『月をナイフに』


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《四》荒れる世界10



 真珠はマリとモリオンと合流できることを信じて、ルベウスに促されるがままに街道を目指した。
 アリカたちが村人を足止めしてくれているようで、追いかけてこない。二人は少しだけ、足を緩めた。
 見上げても、枯れた葉が木についているのでそれらが遮って空は見えない。たとえ空が見えたとしても月は見えなかったかもしれないが、あまりにも暗くて、明かりが欲しい。しかし、そうすると村人たちはそれを目印として追いかけてくる。
 ルベウスが真珠の手首を掴んでくれているから、はぐれないでいられる。もしも急に、この手を離されたら……?
 真珠は怖くなって、ぶるりと震えた。
 見つかった袋はルベウスが持ってくれている。真珠は手にはなにも持っていない。はぐれるのが怖くて、真珠はルベウスが掴んでいない手を伸ばし、掴んだ。こうすると両手でルベウスにぶら下がるようなおかしな恰好になったが、はぐれることはないということに安堵した。
 ルベウスは少しだけ真珠に視線を向けた。

「なにしてるんだ?」
「いや……はっ、はぐれたらそのっ、怖いって思って」

 真珠はそう口にしてから、恥ずかしさがこみ上げてきた。顔が熱い。真っ赤になっているのが分かったが、この暗闇だから、ルベウスには見えていないだろう。

「恐がりだなぁ」

 ルベウスは楽しそうに喉の奥を鳴らして笑っている。

「それくらい臆病な方がいいときもある」

 ルベウスの声は思ったよりかたいものだった。真珠はルベウスを見たが、前をまっすぐ見ていてどんな表情をしているのか分からない。
 無言で歩くことに苦痛を覚えた真珠は、再度、空を見上げて枝の隙間の赤黒い色を確認してから、口を開いた。

「月が、見えないね」
「月?」
「うん。夜だから、空に月があるはずだよね?」

 ルベウスは確認するように空を見上げた。

「……見えないな」

 しばらく見上げたまま歩いていたがどれだけ目を凝らしても見えないことが分かり、諦めたようだ。

「昼間は太陽が見えなくなっているし、三つある月も見えないのは、明らかに異常だな」
「そうだよな、見えない……の、は? えっ? 月が三つ?」

 普通に話を続けそうになったが、月が三つあるというルベウスの発言に真珠は思わず足を止めた。

「止まるな、歩け」

 グッと少し強く引っ張られ、真珠はよろけたがすぐに体勢を立て直し、ルベウスに続いた。

「そうだ。子どもでも知っているようなことになにを驚いているんだ?」
「や……その」

 この世界に生まれ育った者には当たり前のことだろうが、真珠は異世界の住人だ。アメシストに喚ばれない限り、こことは接点がまったくなかった。

「二つの太陽は、若さと老いを表し、三つの月は、現在・過去・未来を表していると言われている」
「へー」

 神様の屋根サンブフィアラの外で見た太陽を思い出す。
 一つは光り輝いていたけど、もう一つは今にも失くなってしまいそうなほど、弱っていたように見えた。なるほど、あれは若さと老いを表していたのかと真珠は納得した。

「しかし、アメシストさまが影響しているとしても、どうしてこんなことになったんだろうな」
「この世界を守っている水晶が壊れたから……」
「それは知っている。そうではなくて、今まで異常がなかったのに、なんでそんなことになったのかという原因だよ」
「あ……」

 真珠は今の今まで、そのことに気がつかなかった。まったく馴染みのない世界に飛ばされ、慣れることに必死だったからだ。今もまだ驚くことの方が圧倒的に多いが、飛ばされた当初よりは余裕がまだあると思う。
 この世界に来てすぐにそんなことを言われても知らないと叫んでいただろうが、今なら考えられる。

「こんなことが起こる前、なにか異変はなかったのか?」

 真珠は、元々のこの世界を知らない。なのでルベウスに聞いたのだが。

「なーんも。いつもと変わらなかった」
「胸騒ぎがしたとか、そんなのは?」
「ない。そういうのがあれば、敏感なルビーが気がついていたはずだ」

 どうやら、本当に突然だったようだ。
 だけど、と真珠は考える。
 アメシストはこうなることに気がついていたのではないか、と。
 真珠がこの世界に喚ばれたのは、異変が起こる直前だった。アメシスト以外が気づかない小さな変化というものがあったのではないか。
 そういえば、モリオンが真珠がこの世界に喚ばれる前になにか異変を感じたと言っていなかったか?
 無事に合流できたら聞いてみよう。
 真珠は心にメモをして、ルベウスの手を握り直した。

┿─────────────┿

 マリとモリオンもやはり、森を走っていた。

「暗い、ですね」

 二人の息遣いと、足音しか聞こえない。生き物の息吹も、身じろぎする音もしない。

「生き物たちは、どこに行ってしまったのでしょう」

 昼間はあれだけ追いかけられたのに、今はその気配さえまったく感じられない。

「さあな。寝ているんだろう」

 素っ気ないモリオンの言葉に、マリは口を噤んだ。
 夜になりますます冷えてきたが、風さえも吹かず、静まりかえっている。風があると寒いからない方がいいのだが、それがかえって辺りの静けさを強調しているようだ。
 暗闇の中、たった二人だけ。世界に取り残されたような錯覚。このままもう、真珠とルベウスに会えないような気がしてきた。
 神様の屋根サンブフィアラでのあの出来事さえ、幻のような……。

「モリオンさま」

 なにか喋っていないと不安に押しつぶされてしまいそうになる。

「なんだ?」

 とりあえずで声を掛けたが、特にはなにか話があったわけではない。続かず、沈黙が横たわる。
 聞きたいことはそれなりにある。しかし、口にした途端にそれが現実になってしまったらと思うと、恐ろしい。

「月が、見えないな」

 言われて、マリは空を見上げた。枯れた葉が枝にしがみついていて、よく見えない。

「葉が邪魔をしているからでは?」
「それだけなら、隙間から月の光が注いでくるよな」

 モリオンは再度、空を仰ぎ見た。

「太陽と同じで、なにかが覆っているのか?」

 空の色は、赤黒い。なにかに覆われているかのような閉塞感。

「一刻も早く、アメシストさまを救いましょう。きっとそうすれば、すべてが元に戻ります」

 モリオンはマリの意見に賛同しかねた。だからといって、反論するにもはっきりとした論拠を持っていなかったため、黙っていた。

「暗くて……寒いな」

 その代わり、違う言葉をモリオンは呟いた。吐く息が白い。

「そう、ですね」

 今日は屋根のある場所で眠れると思っていたのに。
 マリはそう思ったが、口に出来なかった。言葉にしたら、今以上に悲しくなってしまう。

「ところで、街道はこちらで合っていますか?」

 いつまでも木しか見えなくて、マリは確認のためにモリオンに聞いた。

「合っているはずだ」

 そう言っている間に木が疎らになり、下草が増えてきた。さらに進むと街道の垣根が見えてきた。

「ほら、合っていた」

 安堵したモリオンの声を聞き、不安に思っていたことを知ったマリはくすりと笑った。
 モリオンはそれに気がつかないフリをして垣根を割った。かさかさの感触を返す垣根に顔をしかめつつ街道を確認してから、マリをくぐらせた。後ろからモリオンが通り抜ける。
 モリオンは身体についてきた垣根の残骸を払い、左右に視線を向けた。村に入るために脇にそれた地点より、手前に戻ってしまったようだ。真珠はここより後ろに出ている可能性は低い。もしも後ろになっていたとしても、こちらに追いつこうとするだろう。それよりもこの先にいると思われる。

「手前に戻ってしまったようだ。カッシーはこの先にいる可能性が高い。追いかけよう」
「そうですね。少し走るくらいの方が身体が温まります」

 相変わらずの暗さではあるが、森の中より上空が開けているだけましだ。
 モリオンは空を見上げ、これから向かう道に視線を落とした。

「よし、行くぞ!」
「あ、待ってください!」

 意図せずに追いかけっこのような状態になり、二人は我先にと走っていた。






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