《三》ひたすら南へ08
ほっと出来たのはほんの一瞬で、迷いの森を抜け出すと、遠くでなにかが聞こえてくる。さっきまでなにも聞こえなかったのは、迷いの森の中にいたからなのだろうか。
「たぶん、こっちだわ」
マリが駆けだしたのを見て、真珠も追いかける。走れば風景が変わり、真珠はほっとした。
「ギュオォオオォォ」
思っていたよりも近くで声がして、真珠は震え上がる。空気をびりびりと震わせるほどの、大音声。
声のする方へと向かうと、地響きを感じ始めた。
「なんだよ、これ」
そんな言葉が思わず、口から出てしまう。
「気をつけてくださ……きゃっ」
ずーんと地面が揺れ、その度に身体が跳ねる。
真珠とマリは慎重に歩みをすすめ、ようやく元凶の姿を見ることができた。
カーネリアンが言っていたように、鈍い青色に光っている。鱗のようなものが身体全体を覆っていて、体表はかなり硬そうだ。生半可な剣で切りつけても、折れるだけだろう。しかも身体もとてもすごく大きくしっかりとした後ろ足で立ち、一歩進むごとに地面が揺れている。ということは、体重もかなり重いということだ。
前足らしきもので木を乱暴につかむと、地面から引っこ抜いて投げつけている。
そしてなにより、大きな頭と凶悪そうな大きな口に立派な牙。あんなもので噛みつかれたら、一貫の終わりだ。
「あれは……ジャーグナ?」
半信半疑といった様子で、マリは言葉を口にした。
「ジャーグナ?」
聞いたことのない単語が次々と出てきて、真珠は混乱していた。
ジャーグナというのは、あの生き物の名前ということでいいのだろうか。
「あれは……まずいです。でも、どうしてこんなに人が多いところに出てきてしまったのでしょうか」
マリのつぶやきによれば、ジャーグナというのは普段は見かけることがないということなのだろう。それがなにかの要因で、ここに現れ、暴れている。
とそこへ、ジャーグナの足下に影が見えた。じっと見つめると、それは人に見えた。
「あれは……」
焦げ茶色の髪に紺色の服。長短の二刀を左右の手に持っているのは、ルベウスのようだ。
「剣で切れるわけが……えっ?」
ジャーグナはルベウスが近づいて来たことに気がつき、標的として認識した。振り向きざま、長い尻尾でルベウスを振り払おうとしたが、右に持った剣で受け止め、左の剣で尻尾の先を切り落とした。
「まさか……」
マリは信じられないとつぶやき、頭を振った。
真珠はよく分からなかったが、尻尾とは言え、あんな硬そうな体表をしていたのに切るなんてすごいなと感心していた。
それにしても、と真珠はすぐになにかおかしいことに気がついた。
切りつけても体液が噴き出している気配がない。それはそういうことに慣れていない真珠にはありがたいことではあったが、なんだか違和感がある。
ジャーグナはルベウスを確実に尻尾で捕らえたと思ったのか、鼻息を得意げにはき出すと一歩、前に足を進めた。
ルベウスはジャーグナの背後に回ることが出来、二刀を構え直すと再度、尻尾を切りつけた。それでもジャーグナは気がつかない。痛覚がないのだろうか。
ジャーグナの尻尾がルベウスによって輪切りにされていく。きらきらと鈍い青色に光る輪切りの尻尾が地面に転がっていた。それはしばらくすると、鈍い青色から輝く血色へと変化していく。
「なに、あれ?」
「あれは元々、ルビーのジャーグナなのでしょう」
「……ルビーの?」
ルビーと言われ、先ほど会った薄赤色の少女を思い出す。確か、名前をルビーと言っていたと思ったが……。
「ルビーって、さっきのあの子?」
真珠は疑問に思い、マリへと質問した。
「ええ、あの少女もルビーから生まれて、あのジャーグナもルビーから生まれました」
真珠の頭は疑問符だらけになった。ルビーから生まれるとはどういうことなのだろうか。
「ギャアアア」
ジャーグナは雄叫びを上げ、またもや暴れ始めた。すっかり尻尾がなくなってしまったジャーグナだが、まったく気がついている様子もない。
「尻尾を切っても気がついてないけど……なんで?」
「ジャーグナはわたしたちの命の源である『核』が集まって出来たものなのです。だから、痛みを感じない」
マリはそう言って、ちらりと胸元の赤い宝石を見せてくれた。
「それって、触られても痛くないの……?」
真っ赤な『核』を真珠はじっと見つめた。
きらきらと輝く、まるで宝石のような……。
「……それって、宝石……なの?」
「わたしたちは宝石(フィラー)と呼んでいます。だからこの国の名前はフィラー国というのです。宝石(フィラー)を抱いた者が住む国、という意味です」
真珠はほへーと間抜けな声を出し、再度、マリの胸元にある真っ赤に輝く石を見つめた。
「シギャアアア」
というジャーグナの声に、真珠はマリの胸元から視線を上げた。ジャーグナは二・三歩歩き、そこでようやく異変に気がついたようだ。巨大な頭は尻尾があった場所に向けられ、すっかりなくなっていることが分かったようだ。
「ギャア、ギャア」
頭を振り上げ、空に向かって咆哮している。それは空気を震わせ、真珠たちを物理的に震わせた。
ジャーグナは頭を振り下ろし、木々をなぎ倒したかと思ったら、また頭を振り上げ、咆哮した。その動作を数度、繰り返した後。
「グギャアアアア」
と今までにないほど空気を震わせたかと思うと、身体を縮こまらせ……。
「えっ?」
真珠は思わず、自分の目を疑った。
ジャーグナの尻尾が生えていた根元から、にょきにょきっと赤い尻尾が新たに生えてきたのだ。
「あれもわたしたちと同じように『核』を持っています。『核』を壊さない限り、無限に再生します」
ルベウスもジャーグナが再生したのに気がついたようだ。だが、表情は落胆するどころか、喜んでいるように見える。
ルベウスはまた、剣を構え直し、ジャーグナに斬りかかっている。
「もしかして……」
ジャーグナも気がつき、同じように尻尾でルベウスを排除しようと身体を回転させて、尻尾を振っている。生えてきたときは赤かった尻尾が、体色と同じ鈍い青色に変化していた。
「ルベウスはジャーグナの特性を知っていて、わざと尻尾だけを……?」
そうやって見てみると、ルベウスは慣れた様子でジャーグナの尻尾を輪切りにしているように見える。
「どうして……?」
ルベウスはジャーグナの尻尾をすべて切り終えると、切り落とした尻尾を拾ってまとめている。なにか意味があってやっているのだろうが、意図がさっぱり分からない。
ジャーグナはまた、尻尾がなくなっていることに気がついたようだ。頭を振り回し、尻尾を再生しなおしていた。そしてまた、ルベウスを尻尾で攻撃するのかと思っていたら、急に動きを止めた。
疑問に思っていると、ジャーグナは尻尾を地面に振り下ろし、咆哮するとすごい勢いで走り出してしまった。
「やばい!」
ルベウスの焦った声が、真珠とマリの耳に聞こえた。ルベウスはジャーグナを追って走り出した。
「わたしたちも追いかけましょう!」
「え、あ。うっ、うん」
真珠は訳が分からず、マリが駆けだしたのを見て、その背中を追いかけた。
「どうした?」
今まで、どこに行っていたのか、いきなり横からモリオンが現れて、真珠は心臓が止まりそうになった。
「なっ、なんだよ、いきなり! どこに行ってたんだよ!」
「すまない。迷いの森につかまっていた」
どうやら、真珠たちと同じようにはまっていたらしい。
「ぼくたちも迷いの森に迷い込んだよ」
「そうか。お互い、無事に出てこられたのならよかった」
まさしくその通りなのだが、今はお互いの生存を喜んでいる場合ではなさそうだ。
「カーネリアンが見た生き物はジャーグナだったらしいんだ。ルベウスが対峙していたんだけど、急に走り出して、今、追いかけているところなんだ」
真珠の説明に、モリオンは険しい表情を浮かべた。
「ジャーグナ……か」
それ以降、真珠たち三人は地響きをさせながら移動しているジャーグナを追いかけた。