『月をナイフに』


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《一》呼ばれても困りますっ10



 どういった理由かは分からないが、アメシストは強制的に真珠をこの世界に呼び寄せた。
 早いところ琥珀がいる地球に戻してほしいのに、なにかよく分からないが、あんなことになってしまった。
 とにかく、アメシストを助けないことには、真珠は文句の一つも言えない。

 だが。
 アメシストがいる神様の屋根サンブフィアラは燃え始めている。
 この炎を消す力を、真珠は持っていない。
 この世界に魔法というものがあるのなら、一刻も早く炎を消してほしいと願うのだが、そんなものはあるのだろうか。
 赤い悪魔は勢いを増し、飲み込んでいく。
 熱風が真珠の頬を撫でる。

 アメシストから救って欲しいと言われた。それなのに、呆然と見つめていることしかできない自分に腹が立って仕方がない。
 どうしてアメシストは真珠をこの世界に呼んだのだろうか。
 真珠にそもそもそんな力があるとは思えない。
 ひらひらとした精霊ファナーヒが見えるようになったり、涙が真珠になったりと変なことはあるが、霊が見えたり声が聞こえるわけでもない。ましてや、超能力が使えたり、魔法の力も持っていない。本が好きで、琥珀が大好きという、一介の高校生でしかないのだ。
 アメシストに救って欲しいと言われ、あんな場面を見せられて救わなくてはという気になったが、なんだか思いっきり乗せられているだけのような気がする。
 いや、気がするのではなく、明らかに乗せられている。
 では、どうすればいいのだろうか。
 このままこの世界にとどまり、暮らしていく? だけど、どうやって?
 一滴の水さえも満足に手に入れることができない自分が、この未知の世界で暮らしていけるのだろうか。どう考えても無理だ。

 それでは、アメシストに言われたようにこの世界を救う? それをするにはどうすればいい?
 お願いしてきた人物はアレクのせいで……。

「ま……まさか、死んで、ない、よね?」

 不安を抱えきれず、真珠は思わず、声を上げる。

「……いた」

 真後ろから、声がした。
 真珠は慌てて振り返ると、そこにはマリがいた。

「あっ!」

 真珠はどうすればいいのか分からず、迷った。逃げるのが正しいのか、マリに駆け寄るのがいいのか。
 マリは神様の屋根サンブフィアラの炎の色を正面から受け止め、真っ赤に見える。赤い髪はますます燃えているように見えるし、白い服も赤く見える。ところどころ、焦げているのか服の端々が黒い。
 マリは力なく真珠の前に歩み寄り、抱きついてきた。

「良かった、無事で」

 真珠の身体は固まる。
 さっき、自分の身を守るために回し蹴りをした真珠に対して、無事で良かったと言ってくれた。

「あの……蹴ったりして、ごめんなさい」

 真珠はマリに抱きつかれたまま、お詫びを口にした。

「ううん、いいの。……あなたが言っていたことが、正しいって……分かったから」

 マリの声は鼻声で、泣いているのが分かった。真珠はそっと、マリの背中に手を回した。

┿─────────────┿

 真珠とマリは神様の屋根サンブフィアラから遠ざかった。
 どうあがいても手遅れで、燃え尽きるのを待つ方が早い様子だった。
 真珠とマリは天幕のあるところに戻り、マリは太陽が沈んで暗い中、どこからか明かりを手に入れてごそごそとあちこちの天幕に出入りして、なにかを探していた。
 真珠はマリが見つけて来たどろりとした甘ったるい液体と、なにか分からないひからびたものを口にしていた。液体はぬるくて不快ではあるが、味は悪くない。匂いも嫌いなモノではない。地球で言えば、南国系の果物のような芳香だ。ひからびたものは、暗くて色は分からないが、茶色っぽい。かじった感触と味はジャーキーに似ている。長期保存のためか、塩がききすぎてしょっぱい。
 両極端な味に苦笑しつつ、真珠は黙って胃に収めた。
 水分と食べ物を得たのもあり、真珠は少し、元気になった。

「ねえ、なにを探しているの?」

 真珠の質問に、マリは埃を払いながら天幕から出てきた。

「アメシストさまを救うために、わたしたちは『楽園パラディッサ』に行かなくてはならないのです」
「……パラディッサ?」

 また初めて聞く単語が出てきて、真珠は思わず、しかめっ面をする。
 周りは暗く、明かりは少し離れた足下にあるため、マリには真珠の表情が見えなかった。

「そこにたどり着けば、アメシストさまを救う手立てが見つかるはずなのです」
「って、ちょっと待って。そのパラディッサってなに?」

 疑問に思ったことはすぐに聞かなくてはならないということに真珠は気がつき、マリに質問した。

楽園パラディッサは、そこは苦も悲しみもない場所で、人々が穏やかに過ごしているところのようです」

 マリの伝聞系な言葉に、真珠はますますしかめっ面になった。

「そこって、遠いの?」
「……分かりません」
「え……?」

 嫌な予感が駆け抜ける。
 ファンタジーものにお約束な展開が次に待っていることに真珠は気がつき、思わず、耳をふさぎたくなった。
 困難をくぐり抜けて、ようやくたどり着く場所。そこは地図に書かれていないとかいうヤツでしょ?

「困ったときには楽園パラディッサを目指せと言われているのです」
「……うん、分かった。もう、いい」

 そういう展開だろうということは真珠には読めていたため、げんなりしただけだった。

 アメシストを救うには、今の真珠ではどうすることも出来ないということだけははっきりとした。ここに留まっていても解決するわけもなく、しかも、今は火事に気を取られているが、落ち着いたらそのうち、アレクは真珠に追っ手を差し向けるだろう。いつまでもここでぐずぐずしていられないのは分かった。

「思うように荷物が集まらなかったのですが……」

 そう言って、マリは大きな袋を二つ、天幕から運び出してきた。

「ここに当面の食糧と水が入っています」

 一袋で一人分、ということだろう。

「え……。あの、あなたも、行くの?」

 一人で行ってこいと言われても真珠はこの世界のことがまったく分からないので困る。同行者がいるのは心強いが、マリは真珠に同行するフリをして、逐一、アレクに報告するのかもしれないと思うと、のんきな真珠でも警戒してしまう。

神様の屋根サンブフィアラが燃えたのは、アレクさまが火を放ったからです」

 どこかで予想していたことだったが、そう言われると言葉をなくす。

「でも、あれはなにかの間違いだと思うのです。アレクさまがあんなこと、するわけ……!」

 マリの声は、揺らいでいる。
 アレクを知らない真珠でさえ、見間違いだと未だに思っているくらいだから、間近でずっとアメシストとアレクを見ていたマリはもっと、信じられないのだろう。

「あたしはよくわかんないけど、じゃあ、そのパラディッサとかいうところに行って、真実を見つけてこよっか」

 もしかしたら、そこにたどり着いたら真珠も地球に帰ることができるかもしれない。帰れなくても、なにか糸口があるかもしれない。ここでぼんやりとしていたって仕方がない。
 真珠はファンタジー小説の主人公になったつもりで、腰に手を当て、ない胸を張りだした。

「あたしに任せておきなさい!」
「マジュさま、今更ですが……。男の方が『あたし』では、少々、気持ちが悪いと思いますが」
「う゛……」


 言われて、思い出した。
 男の服を着たくらいで男に見えるとは思えないが、一応、これは男装なのだ。
 幼い頃、髪が短い上に、男顔だった真珠は、よく男の子に間違えられていたことを思い出した。それもあって、髪の毛を伸ばし始めたのだ。

「じゃあ……ぼく、でいいかな?」
「いいと思います」
「あと、真珠って名前、女の子っぽいと思うから、ぼくのことはこれから『カッシー』って呼んでよ」
「カッシーさま……ですか?」
「さまは要らないよ。カッシーって呼び捨てで。変に『さま』とかつけてたら、不審がられそうだし」

 真珠は今まで読んできた色々な物語を思い出し、そんな提案をした。

「了解しました。カッシーと呼ばせていただきます」
「うん、ありがとう。マリって呼べばいい?」
「あっ……はっ、はいっ」

 マリは少し、動揺したような気配だったが、真珠は気にせず、渡された袋を肩に担いだ。

「夜が明けるまで、どこかで少し休もう」
「はい、そうですね」

 この天幕には人があまり寄ってこないということではあったが、もう少しゆっくりと休める場所があるということで、真珠たちはそこへ向かった。



 屋根のある、簡易とはいえ、寝床のある場所。見た目は薄いが、包まると温かい布を身体に巻き、真珠は横になった。身体は疲れているが、妙な興奮が神経を高ぶらせ、なかなか寝付けない。

「マリ、起きてる?」
「……はい」

 起きているのならと、真珠は疑問に思っていたことをマリに質問した。

「アメシストさまとアレク……さまって、主従関係……なんだよね?」

 マリが寝返りを打った気配がした。マリに背中を向けていた真珠は、同じように寝返りを打った。暗闇ではあったが、目が慣れていたため、うっすらとマリの輪郭が見える。

「はい。シトリンさまがアレクさまを見出しまして」
「ちょっと待って。シトリンさまって?」

 初めて聞く名前に、真珠は質問を挟む。

「アメシストさまのご母堂さまでございます」

 アメシストの母の名前はシトリンというらしい。

「アレクさまはシトリンさまの補佐をされていたのですが……」

 マリの声が沈んでいる。どうにも嫌な予感がする。
 真珠は次にマリが口にする言葉を予想して、こぶしに力を込めた。

「アメシストさまに政務をすべて任せて、その……楽園パラディッサを探す旅に出かけられたのです」

 真珠は思っていた内容とは違うことに、身体から力を抜いた。マリの声が沈んだため、とても最悪なことを考えていたのだ。

「それなら、ぼくたちが旅をしている最中にシトリンさまと出会うかもしれないね」

 真珠の明るい声に、マリがさらに暗い表情をしたことは、この暗闇の中、気が付くはずもなかった。

「それじゃあ、アメシストさまはこの国の長ってこと?」
「国民にはまだ、シトリンさまが長(ラーヴァ)ということになっていますが、実質的にはそうなります」

 シトリンが楽園パラディッサを探すために旅に出ているというのは、国家機密ということなのだろうか。アメシストはあくまでも現在は代理なのだろう。
 長が自ら、なにかを探しに出るというのは真珠が知る限り、お話の中では皆無ではなかったとは思うが、珍しいような気がする。
 真珠には、この国の情勢や規模などが分からないからなんとも言えないが、どうにも違和感を覚えた。が、それを疑ったところで真珠にはなんら害はないと判断して、マリを追及することをやめ、別の質問をした。

楽園パラディッサに行くとしても、とりあえずの目的場所ってあるの?」

 真珠の質問に、マリは少し安堵したのか、小さくため息を吐く音が聞こえた。どうやら、シトリンに関する話題はよくないようだ。
 真珠はますますそのことに引っ掛かりを覚えたが、いまさら蒸し返すのもおかしいので、心にとどめておくことにした。

「日が昇り次第、街に出て、少し情報収集をしようと思っています」

 向かう方向をもう決めているものだと思っていた真珠は、その言葉にほんの少し、落胆した。どうにも先行きは真珠が思っている以上に難局を示しそうだ。

「この先、ゆっくり眠れる保証はございませんので、できるだけ今のうちにお休みくださいませ」

 そう言われ、真珠は急激に眠気を覚えた。大きくあくびをして、真珠は目を閉じた。

「おやすみなさい」

 そう言うなり、あれほど眠れないと思っていたのに、真珠はあっという間に眠ってしまった。マリはそれを確認して、同じように目を閉じた。





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