『偽りは舞う』


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《八》



 万里の様子がおかしいという報告を帝が受けたのは、あの見合いから数日経ってからだった。
 帝は仕事が忙しくて外を飛び回っており、屋敷に帰ってくることは稀だったが、帰ってくると必ず、短い時間でも幸と顔を合わせるようにしている。幸も帝が帰ってくるのを心待ちにしていて、帝が屋敷にいなかった間のことを報告してくれる。
 幸の話題は、大学での様子と万里とどこに行ったというのが主な事柄だ。
 今日はどんな話が聞けるのだろうと楽しみにしていた矢先、開口一番、幸は心配そうに万里の様子を語った。

「お兄さま、最近、万里の様子がおかしいの」
「万里の?」
「そうなの。本人は普段と変わらないようにしていると思っているみたいなんだけど、なにか悩み事があるのか、ぼんやりすることが多いし、酷くふさぎ込んでいることもあるの。どうしたのって聞いても、いつものあの調子で大丈夫ですとしか言わなくて……」

 聞いた帝はあごに手をあて、しばし考え込んだ。

「それは、いつ頃からか?」
「その……あたしがお見合いのお断りを万里に押しつけてから」
「ふむ……」

 腕を組み替え、帝はあごを撫でる。
 幸はどうやら、万里の様子がおかしいのは自分に原因があるのではないかと悩んでいるようだった。
 正直、幸には辛いかもしれないが、それは一理あるのだろう。間違いなく、万里が上の空なのはあの見合いがきっかけなのだろうから。
 色んな要因が重なり、結果的に万里に嘘をつかせるような状況にさせてしまった。
 鹿鳴館家側にはすぐに謝罪をして説明をしたので事なきを得たのだが、万里にきちんと経緯を説明していなかったような気がしないでもない。真面目な彼女のことだから、もしかしたら未だに気に病んでいるのかもしれない。

「なるほど。で、その万里は今、どうしている?」
「万里なら、部屋で休ませているわ」
「すぐに呼んでこられるか?」
「なあに、お兄さま。万里を呼びつけて、今更お叱りになるの?」

 幸は帝を睨み付けている。
 素直にあの日、幸が見合いに行っていればこんな状況にならなかったのに……と帝は内心で思いながらも、苦笑した。

「いや。万里にきちんと説明をしていなかったような気がするんだ。それに、少し話がある」
「なんですの、一体?」
「幸にも同席してもらう。とにかく、万里をここに連れてきてくれないか」
「……分かりました」

 納得がいってない様子だったが、幸は部屋を出て、万里を呼びに行ってくれた。

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 万里は自室のベッドに腰を掛けて、ぼんやりと窓の縁を見ていた。
 自分がどうしようもなく落ち込んでいることは、自覚している。幸が心配しているから早いところ浮上しなくてはと思うのだが、どうすれば気持ちが上向くのか分からなかった。あがいてもあがいても抜け出すことが出来ず、ここ数日であきらめの境地に至った。
 あがくから苦しいのであって、抱いた感情を認めてしまえば楽なのだ。
 幸に正直な想いを伝えれば楽になるのではないか。
 伝えようと口を開くものの、思いは言葉にならず、空中にただ、息を吐き出すだけだった。
 そんな万里の様子を見て、幸は部屋で休むように言ってくれた。一緒にいると、幸に心配ばかりかけてしまう。それが心苦しくて、万里は部屋に引きこもっていた。

 どうして……と。
 万里は答えの出ない自問自答を繰り返していた。
 いや、答えは出ているのだ。万里がどれだけ手を伸ばしても、想う相手は遠すぎる。諦めなければならない。
 分かっているし忘れようとするのだが、ふと気がつくと考えている。
 大和は、万里が想っていい相手ではない。とにかく忘れるのが一番だ。
 何度も自分に言い聞かせるのだが、そんなものできっぱりと諦めきれるのなら、世に
「恋の病」
など蔓延しないだろう。
 これが少しでも距離が近ければ、ここまで思い悩まないのかもしれない。
 ──そういう問題ではないのだ。
 万里の心は、そんな葛藤が延々と続いていた。

 ノックの音に、万里は顔を上げた。
 休んでおくようにと言ってくれた幸ではなく、屋敷のだれかだろう。
 そうだ、部屋に引きこもっているからぐだぐだと考えてしまうのであって、外に出て、一心不乱に働けばその間だけでも忘れられる。来た人になにか手伝うことはないか、聞いてみよう。
 ベッドから立ち上がり、万里は扉へ向かい、開けた。

「万里、休んでいてと言っておきながら、ごめんなさいね」

 そこに立っていたのは、かなり申し訳なさそうな表情をした幸だった。
 万里が部屋で休んでいることでなにか不都合が生じたのだろうか。

「すみません、幸さん。ご迷惑を……」
「ううん、違うの。あのね……よく分からないんだけど、お兄さまが呼んでいるの」
「帝さま……が、ですか」

 幸になにか問題が発生した訳ではないというのが分かって安堵したが、帝が呼んでいるというのはもっと問題なのではないだろうか。
 最近の万里は、どちらかというと仕事を全うしていないと言われても仕方がない状況だ。そのことについて帝から叱られるのかもしれない。それ以外に帝が万里を呼ぶ理由が思い当たらないのだ。
 それに、幸と二人でアウトレットパークに行き、色々と買ってもらったお礼をまだ言ってないことを思い出した。

「すっ、すぐに行きますっ!」

 万里は一度、部屋に戻った。
 今日の万里は、幸に言われてアウトレットパークで買ってもらった薄い緑色のブラウスに、濃い緑色のタイトスカートを穿いていた。スカートをはたいて埃としわが付いていないことを確かめ、鏡をのぞき込んで問題ないことを確認した。
 ここのところ眠りが浅く、食欲もなかったので顔色が悪いような気がしたが、大丈夫だろう。
 部屋を出ると、幸が待っていてくれた。

「お待たせして、すみません」
「ううん、いいの」

 心配そうに見上げてくる幸に申し訳なくて、万里は顔を逸らした。

 万里は出来るだけ到着を遅らせたかったのに、あっという間に帝の部屋の前へとたどり着いてしまった。
 幸がノックをすると、中から声がした。本来ならば万里が扉を開けなければいけないのに、身体が言うことを聞かない。幸が開けてしまった。

「申し訳ございません」

 反射的に謝るが、万里の身体はその場に縫い付けられてしまったかのように動けなくなってしまった。
 数日前と同じ光景。
 大きな窓からは燦々と太陽が降り注ぎ、温かな空気が流れてきている。まばゆい光にあふれた部屋に思わず、目を細める。

「万里?」

 動こうとしない万里を心配して、幸は声を掛ける。

「ああ、万里を連れてきてくれたんだね。ありがとう。さあ、中に入りたまえ」

 予想に反して上機嫌な帝に、万里は恐怖に陥った。
 前に進むどころか、万里の身体は後退を始めた。

「……万里?」

 幸は顔を引きつらせてじりじりと後ずさりする万里を見て首を傾げている。

「ほら、廊下は寒いわ。中に入りましょ?」

 幸は万里の腕をつかみ、部屋の中へと引き込んだ。
 背中でパタンと扉が閉まる音がして、それが万里の終わりを告げられたような気がして、血の気が引いたのが分かった。

「やだ、万里! 顔が真っ青!」
「どうした? 体調が優れないのか?」

 笑顔だった帝が、心配そうな表情を向けてきた。
 万里はただ、首を振るだけしか出来なかった。

「とりあえず、ソファに座りましょ?」
「そうだな。少し長い話になるかもしれない。しかし、体調が悪いのなら、日を改めた方がよいのかもしれないな」

 やはり、なにか話があって帝に呼ばれたらしい。
 万里はいたたまれなくなり、幸がソファに座らせてくれたにもかかわらずそこから滑り降り、がばりと土下座をした。

「帝さま……申し訳ございませんでした!」

 いきなり土下座をした万里に、帝と幸は驚き、言葉を失った。そして二人は顔を見合わせ、幸は眉をつり上げて帝を睨み付けた。

「お兄さま! どうして万里をこうやって謝らせてるのよっ! 万里はなんにも悪いこと、してないでしょう! 万里をいじめるなんて、お兄さま、最低よ! お兄さまなんて、嫌いよっ!」

 幸に嫌いと言われ、帝は動揺した。
 もちろん、帝は万里をいじめた覚えは全くなかったし、今も叱るために呼んだ訳ではない。
 万里がいきなり謝るという状況は予想外だったし、ましてや、大切な妹に嫌いと言い放たれるとは思っていなかった。

「ちょっと待ってくれ! なにかよく分からないが、誤解だ! とにかく、万里。今日、君を呼んだのは、叱るためではない。むしろ、謝らないといけないのは、このボクなんだ」
「そうですわよ、お兄さま! 万里がこんなに胸を痛めているのはきっと、お兄さまのせいよ!」
「幸……それは」
「そうでしょ? お兄さまが嫌がるあたしにお見合いを無理強いしたのが、そもそもの間違いよ!」
「しかしだな」
「鹿鳴館家とのお約束は、お父さまたちが勝手に決めたんでしょ!」

 万里が謝った途端、兄妹けんかを始めてしまい、今度は万里が慌てる番だった。立ち上がり、睨み合っている二人の間に入り、万里は仲裁を始めた。

「あのっ! けんかはおやめください!」

 万里は未だに青白い顔をしていたが、必死になって幸をかばう姿を見て、帝は両手を上げ、降参した。






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