『愛してる。』


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Endress Follow



 奈津美と蓮たちは今、高屋(たかや)のお屋敷内に作られた仮事務所で会議を開いていた。
「会社名……ねぇ」
 出会いから結婚までをトータルサポートする会社……時流に乗ったわけではないが、要するに「婚活」も応援する会社を作ることになり……。
 会社名は顔であるのだから、いい加減なものは付けられない。
「秋孝(あきたか)はもう考えていると思ってたのに」
 奈津美の言葉に高屋秋孝はつや消しのシルバーフレームの眼鏡を外して目頭を押さえながら首を振る。
「そんなに簡単に考えついているのなら話を振ったりしない」
 そう言われ、奈津美は確かに、と心の中で納得する。
 秋孝は意外にワンマンで、これ、と思ったらよほどのことがない限りは変更することがない。今までそのせいで奈津美は秋孝と何度となく衝突してきた。蓮がいさめたり深町が秋孝を説得する、という状態が数度。今にもとっくみあいのけんかでも始めそうなことも二・三度。
「秋孝のネーミングセンスの悪さは折り紙付きですから」
「深町、そんな説明しなくていい」
 憮然とした表情で秋孝は辰己深町(たつみ ふかまち)をにらみつけている。深町は慣れたもので涼しい顔をしてその視線を受けている。
「ずーっと悩んでいるんだが……。本当に難しいな、会社の名前を付けるのは」
 普段、何気なく目にしたり口にしている様々な商品や会社名。よくよく考えると、とてもよく考えられている。由来を聞くと「なるほど」と思わずうなってしまうようなものばかりだ。たまには駄洒落を効かせた面白い名前もあるが、それでもよく考えついたなぁ、と感心する。
「夢と希望があって、それでいて『結婚』がすばらしくていいものだ、と思えるようなそんなイメージがある会社名を付けたいんだ」
 秋孝のイメージを聞いて奈津美はため息をつく。
「秋孝が考えたものは?」
「……恥ずかしいし、もう忘れた」
 といいつつもしっかり覚えているのは分かったが、奈津美はあえてそれ以上の突っ込みはしなかった。聞いたところで参考になるとは思えなかったからだ。
「ちぃも一緒に考えてくれたんだが……。意外にこういうとき、意見が合わなくて」
「けんかでもした?」
 にやにやと笑いながら奈津美は聞く。
「俺とちぃに限ってけんかなんて」
 とのろけられ……。
「はいはい、ごちそうさま」
 と奈津美はいつものように返す。
「蓮、なにかない?」
 ずっと黙って聞いていた蓮に奈津美は話を振る。
「………………」
 返事が返ってこない、ということは蓮は今、必死に考えているらしい。
 奈津美も悩むが、なにもないところからはさすがに思いつかない。
 打ち合わせスペースの後ろには本棚があり、さまざまな種類の本が置かれている。もちろん結婚情報誌も数多く入れられている。それらをめくって会社名に目を通す。
「カタカナ名が意外に多いわよね」
「英語だけではなくてフランス語だったりいろいろだな」
 そう言われて見てみると、確かにそうだ。
「そのあたりのヒントになりそうなものは何度も見た」
 そうだろうなぁ、とめくられ慣れたページを見ていると思う。ところどころに付箋紙が貼られていたり、メモが貼られていたり。
 奈津美はぱらぱらとめくり、手に持っていた雑誌を閉じ、本棚へとしまう。既存のものを見ても思いつかない。
「ちょっと外を散歩してくる」
 その言葉に蓮はあわてて立ちあがる。蓮は当たり前のように奈津美の後ろについていく。
 二人がいなくなった事務所では深町と秋孝が同時にため息をつく。
「……気が合うな」
「僕は秋孝とは違う理由でため息ですけどね」
「どういう意味だ?」
 秋孝は深町を睨みつける。
「あの面白い会社名を披露するのではないかとひやひやしていましたから。奈津美さんなんて爆笑しましたよ、きっと」
 深町の笑いを含んだその言葉に秋孝はもう一度、今度は大げさにため息をつく。
「一生、披露することがないことを祈っておくよ」
 いつにない秋孝の気弱な発言に、深町は苦笑いした。

     *

 奈津美は仮事務所を出て、そのまま天井を睨みつけながらどこかへと向かって歩いている。蓮はその後ろからついていくだけだ。
「結婚……会社名……婚活……夢……希望……理想……現実……」
 とぶつぶつとつぶやいている。
 蓮も奈津美を気にしつつも、会社名を考えている。
 男性をターゲットにするよりも女性向けの名前の方がよいような気がする。
 以前に秋孝に言われて行った婚活パーティを思い出し、蓮は自然と眉間にしわが寄る。あれを主催していた会社名を思い出す。ひらがなの妙に丸文字っぽい書体のロゴをデザインしたショッキングピンク。目がちかちかすると思った。落ち着きのある名前でもう少し大人向けな雰囲気のある会社名がいい、と思うが……そうなると、漢字しか思い浮かばない。それはさすがに固すぎるな、と奈津美の背中を半ば睨みつけるようにして蓮は考えていた。
 そしてふと……とある単語が思い浮かび、しかし、あまりにも強すぎるその単語に、蓮は思いっきり首を振る。
 いやこれは……さすがに。
「蓮っ!」
 いきなり立ち止まり、振り返る奈津美に蓮はあわてて立ち止まる。今、自分が思いついた物を察したのか、という絶妙なタイミングすぎて、蓮は動揺した。
「思いついたんだけど……。これだと乙女チックかなあ?」
 そう言って奈津美の口から出た単語に、蓮はぽかんと口を開けた。どちらかというと、柄ではない言葉だ。
「あー、それ以上言わなくていいから。柄じゃないのくらい、自分が一番分かってるから!」
 とは言うが……。
「よくそんな発想が出てきたな」
「なんでだろう、なんとなく……ね」
 奈津美はにこりとえくぼを深く刻み、蓮を見る。
「秋孝と深町の二人も驚かせようか」
「ああ……うん」
 さきほど、自分が思いついた物よりはるかによさそうだ。これ以外、ぴたりと当てはまるものはないかもしれない。そうと思えるほどの物だ。
 奈津美は足取りも軽く、来た道を戻り始めた。
 外に出る前に思いつくとはさすがだな、と蓮は感心していた。

     *

「ただいまっ!」
 思ったより早く、しかも妙にすがすがしい表情の奈津美に秋孝と深町は視線を向ける。
「あの……思いついたんだけど」
「思いついたって……会社名をか?」
「うん」
 誇らしげにだけど少し恥ずかしそうな奈津美に秋孝と深町は顔を見合わせる。
「俺たちも考え直していたんだが……思いつくの、早いな」
「なんだか……天から降ってきたというか、なんというか」
「天から降ってきた?」
 秋孝はいぶかしく奈津美に聞く。
「ない、そういうこと? すっごく悩んでいて……突然、なんの前触れもなくいきなり思いつくこと。なんだか天から降って来たような感覚に陥るのよね、そういうの」
 以前、ブライダル課にいるときに同じように『Happy? Happy!』というキャッチコピーが浮かんだ経験のある奈津美だ。今回もまさしくそういう感じであった。
「ないな……」
「ないんだ」
 秋孝になら分かってもらえるかな、と思ったのに同意を得られなくて奈津美は少しがっかりした。
「それで、思いついたというのは?」
「柄じゃない単語だから……笑わないで聞いてくれる?」
 奈津美の少し恥ずかしそうな表情に秋孝と深町の二人はなんとなく調子が狂う。
「笑いませんから、教えてください」
 深町の珍しく真面目な表情に、奈津美もなんとなく調子が狂う。
「会社名……と考えて、おとぎ話、という単語が思いついたの」
「おとぎ話ってシンデレラや白雪姫といったあのおとぎ話?」
「そう。女の子って……意外にそういうおとぎ話にあこがれるから」
 そう言っている奈津美の頬は少し赤い。おとぎ話にあこがれたことがあるのかもしれない。
「そういう夢と言うか憧れを叶えてあげられる場所でありたいと思ったの」
 奈津美の話に男三人はうなずいている。
「でも……あまり現実的な単語も夢が醒めるかなぁ……と思って……。思いついたのが」
 そこで奈津美は一呼吸置き、大きく息を吸い込む。
「Fairy Tale、というのはどうだろう?」
「フェアリーテイル?」
 Fairy Tale……ようするに妖精のお話。現実にはいない妖精のお話、すなわちおとぎ話。
「結婚に夢を見すぎるのもその後の結婚生活の失敗の原因にもなりそうだけど……。なんとなく少しは夢を見てほしくて」
「フェアリーテイル……」
 秋孝はその単語を口にして……腕を組んで床をじっと睨みつけている。
「へ……変だよね、やっぱり! 却下で!」
 奈津美は両手を振って今のはなし、聞かなかったことに! と言っている。しかし、秋孝は動かない。
「や、やだなぁ……。柄じゃない、それは乙女すぎだろう! と笑ってよ……」
「僕はそうは思いませんけどね。いいと思いますよ」
 と深町に横から肯定され……奈津美は困った表情で蓮を見る。
「れ、蓮もさっき、なにか思いついたんじゃないの?」
 その指摘に、蓮はどきり、とする。
「いや……オレのは、あまりにも強すぎるから」
「思いついたのなら公表しようよ!」
 奈津美に強くいわれ、蓮はぼそり、とつぶやく。
「最近は女性が強いから……男性にも戦ってほしくて……『bridal☆fight』というのを思いついたんだけど、ちょっと強すぎだよな」
「うん……ちょっと強いかも」
 という話をしている横で、秋孝はなにか考えるようにずっと動かない。
「秋孝……?」
 深町は慣れているのかとりたてていつもと変わらない態度だ。
 しかし、ここまでじっと動かないで考え込んでいる秋孝を初めて見る奈津美と蓮はどうしたものかと悩み……蓮は奈津美に秋孝はこのままにしておこう、と伝える。
「あ……うん」
 先ほど口にした単語を小さく口にして、奈津美は失敗したかな、とうなだれる。
「オレはいいと思ったけどね」
「そ、そう?」
「まあ、奈津美らしからぬ、と言えばそうだけど……なんとなく夢を見られるような気がしていいと思ったよ」
 と蓮に褒められ、奈津美も少しその気になる。
「そっ、そう? 男の人は少し恥ずかしくないかな?」
「男性よりも女性をターゲットにしようという会社のコンセプトと合わせればいいと思うけどな」
 奈津美と蓮はそれぞれの机に戻り、打ち合わせの前にやりかけていた仕事へと戻る。
 それからどれくらい経っただろうか。秋孝が音もなく二人の元へと現れた。
「ちょっ! びっくりするから!」
「奈津美。会社名は『フェアリー・テイル』に決定だ」
「……はい?」
 いきなりそう言われ、奈津美はキョトンとする。
「『テイル』はtaleなんだな。tailだと尻尾だしな。妖精のしっぽ……でも可愛い気もするが、しっぽはなんとなくいいイメージがないからな。トカゲのしっぽ切りをどうしても思い出す」
 その手には英和辞書が握られていた。調べていたらしい。
「妖精のお話……そんな甘酸っぱい結婚ができればいいよな。現実はそうはいかないんだが……少しでも夢を見てもらえれば」
 会社名が決まれば後はとんとん拍子で話は進み……。
 バタバタと忙しい日を送ったが、とても充実していた。

     *

「奈津美……オレはずっとフォローするから」
 会社設立前日。
 蓮は妙に真面目な表情で奈津美にそう告げる。
「なっ、なんで急にそんなこと……」
「急に、じゃないよ。ずっと思っていたけど、なかなか言い出せる機会がなくて。明日から新しい生活が始まるから、その前に改めて伝えておこうと思って」
 蓮は奈津美の腕を取り、引きよせる。その腕の中に奈津美を納め、
「愛してる……。奈津美に捨てられても、オレはずっと奈津美だけを想うから」
「やだ……。捨てるなんて、ありえないよ。それよりも……ここまで来るのにもいろいろあったから、蓮の方こそ私のこと、呆れていたりしない?」
 蓮のいつも以上に熱いまなざしに奈津美は少し居心地が悪くなる。
「秋孝にものすごく言ったし……。女のくせに、呆れるよね」
「奈津美」
 蓮の強い言い方に奈津美は腕の中で少し身体を固くする。
「男だから女だからなんて……ナンセンスだ。男と女の違いは、ついているかついていないか、だ。ついているから男が偉い、と思っているのは勘違いも甚だしい」
「ついて……って、ちょっと!」
 微妙な下発言に奈津美は引き気味だが、蓮は至って真面目な表情だ。
「男なんて女に入れてなんぼだと思っているような生き物だぞ? よほど女の方が偉いと思うんだがな。男はなにか勘違いしているヤツが多くていけない」
 蓮のそういう考え、変わっていると思うが奈津美は面白いな、と思う。
「女はこれだから……というヤツは自分に自信のない男なんだよ」
 だから自信をもて、ということらしいのだが。
「励まし方が面白いよね、蓮」
 くすくすと笑う奈津美に蓮は少しだけ表情を緩める。
「オレは嫁だからな」
「最近、自覚してきたんだ?」
 奈津美の言葉に蓮はしかめっ面をする。
「オレはどうあっても奈津美のフォロー役みたいだからな。女房役もなかなか楽しいよ」
 奈津美はくすくすと笑って蓮を見る。
「蓮、ありがとう。蓮がそうやってフォローしてくれるから……私はいろんなことを思いっきりできる。蓮がいてくれるから、助かるよ」
 奈津美は蓮の鳶色の瞳をじっと見つめる。蓮は奈津美の髪を梳き、見つめる。
「愛してるよ、蓮。今までも今もこれから先も……蓮だけを愛するから」
「ありがとう、奈津美。オレも奈津美のことをずっと愛しているよ」
 二人は見つめ合い、自然と唇を重ねる。
 明日から始まる新しい生活に対して、不安と希望を抱えつつ、見つめ合った。

【おわり】






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