『愛してる。』


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母と娘の会話



「ねぇ、なっちゃんはなんで蓮と結婚したの?」
 文緒(ふみお)のいきなりの質問に、奈津美(なつみ)は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
「なっ……」
 日曜日の昼下がり。珍しく全員が出払っており、佳山(かやま)奈津美とその娘である文緒は、佳山家のダイニングで午後のティータイムと楽しんでいた。そこにいきなり、文緒のこの質問、である。奈津美は微笑んで文緒を見る。
「なあに? 睦貴と結婚したことを後悔でもしてるの?」
 文緒は幼いころからずっと想っていた高屋睦貴(たかや むつき)と入籍した。しかし、その睦貴はそのままばたばたとアメリカへと旅立ってしまい……。文緒は睦貴がいなくなり、さみしいような少しほっとしているような複雑な表情をよくしている。そこには後悔の文字はなさそうに見えたが、実は後悔しているのかも、とふと奈津美は思い、聞いてみた。
「後悔なんてしてないよ。むしろ、もっと早くに結婚してって言えばよかった、とそっちでは後悔してる」
 文緒のその言葉に奈津美は思いっきり苦笑する。
「プロポーズを待ってるなんて、やっぱり性に合ってなかったんだよ」
 睦貴に想いを告げたのも文緒からだったし、初めての時も文緒から誘った。睦貴は優しい。優柔不断と言ってもいいほど優しすぎて……そのやさしさに物足りないという人はいるだろうけど、あの優しさは懐の広さを兼ね備えた優しさなのだ。
「私がリードしてあげないとね」
「年齢差が倍もあるのに……睦貴も尻に敷かれてるわね」
「それは睦貴の余裕なのよ! いくら私が頑張ってもそこは埋められないところでっ」
 ちょっと泣きそうな表情になった文緒に、奈津美は微笑む。
「意外にあの子、誤解を受ける子だから。きちんと睦貴のこと、あなたは分かってあげているのね」
「そうだよ。だって、ずっと小さいときから睦貴だけを見てきたんだから!」
 奈津美は文緒を見て、口を開く。
「私はね、文緒。あなたと睦貴の結婚には反対だったの」
「……うん」
 奈津美と蓮は何度も文緒に
「とても近くに一緒に暮らしているけど、本来なら絶対に逢うことのない世界の違う人なんだから、好きになると後が辛いわよ」
 と言い聞かせていた。たとえ、想いが通じ合って結ばれたとしても、それから先は想像以上にいばらの道なのは分かりきっていたのでやはり娘かわいさに言い聞かせていた。
 文緒も一度は諦めようと思っていた節はあったのだが……。
「人を好きだとか嫌い、という感情は……そう簡単にコントロールできないわよねぇ」
 紅茶を口に含み、ほぉ、とため息をついている奈津美を見て、文緒は再度、質問する。
「なっちゃんはどうして蓮と結婚したの?」
 そう改めて聞かれると、意外に答えにくいものだな、と奈津美は苦笑する。
「睦貴に好きだと告げる前、いっぱいいっぱい考えたの。最初は……睦貴のこと、お父さんみたいに思ってた。だけど……気がついたら、それは違うんだって。蓮に感じている『好き』と睦貴に感じている『好き』の種類は違っていて……。そう思うと、切なくて苦しくて。睦貴を見るのが苦しいことがあった」
 そんな想いを抱えていたのか、と奈津美は自分があまり娘に対して手をかけていないことに気がつき、落ち込む。
「私、母親として、失格ね」
 力なく笑う奈津美に、文緒はあわてる。
「え、そんなことないよ! なっちゃんは私の憧れの人だし! きちんとお母さん、してくれてるよ。今だってこうやって話を聞いてくれているし!」
 あわてて肯定してくれる文緒に奈津美は涙が出そうになる。
 仕事ばかりしてきて、あまり家のことを省みていない自分。それなのに、娘の文緒はあこがれだと言ってくれているし、こんなになにもしてあげていない自分を母親だと認めてくれている。よい娘を持ったな、と胸が熱くなる。
「ありがとう、文緒」
 素直にお礼を述べると、文緒は真っ赤になって照れている。
「蓮と出逢えて……こんなにいい娘を持つことができて、幸せよ」
 文緒はますます照れている。
「……で、文緒。なにが目的なの?」
 にっこり、と奈津美は微笑んで文緒を見る。
「え……、なっ、なんのこと、かなぁ」
 奈津美の質問に文緒の視線は宙を舞う。やはり……と奈津美ははーっとため息をつく。
「何年、あなたの母親をつとめていると思っているの? なにかあるからそういう話を振るんでしょ」
 奈津美のするどい視線に文緒は、やっぱりしっかり母親じゃん、と心の中で思う。褒めてお願い作戦はどうやら失敗のようだ。
「まあ、あなたのお願いなんてなんとなく読めるけど。それは蓮が帰って来てからお願いすることね」
「えーっ! ひどい、奈津美さま!」
「私を落としてから味方につけて蓮を説得、と思ったのまでは褒めておくわ。だけど、ちょっと手順を間違ったと思うわよ」
 奈津美は文緒ににやりと笑う。
「蓮の方があなたには甘いんだから、蓮を説得するのが先だと思うわよ」
「わー、この夫婦、最悪だわ」
 文緒は頭を抱えてソファにうずくまる。
「どうして蓮と同じことを言うのかなぁ……なっちゃん」
「あら? すでに蓮に話を持っていったの?」
「うん。蓮に話を持っていこうとしたら、なっちゃんが許可したらいいよって」
 なによ、これがたらいまわしってヤツ? と文緒はぶつぶつと文句を言っている。
「で、蓮になんてお願いしようとしたの?」
「うーんとね……」
 文緒は少し戸惑いなら、奈津美に自分の考えを述べる。
「……まあ、蓮との約束を守るには……確かにそれが手っ取り早いけど」
 奈津美は文緒に言われたことに対して、戸惑う。
「おっ、お金の心配なら、働いて返すから!」
「もー、なにをこの子は心配してるのかしら。子どもはそんな心配、しなくていいの。それをどうにかするのが親の役割なんだから」
 それよりも……と奈津美は心配をする。
 文緒の考えていることを許可するとしたら……いろいろと問題点が山積みのような気がしてきた。
「今から出す条件をすべてクリアしたら、許可してもいいわよ」
 奈津美のその言葉に文緒はやった! と飛びあがって喜ぶ。奈津美は条件を聞く前にそんなに喜んでいいのかしら、と顔をしかめる。そうして出した条件に、文緒は顔をひきつらせる。
「むっ、睦貴のために、頑張るんだから!」
 あまりにも一途なその想いに奈津美は微笑む。こんなに一途に想われて、睦貴はきっと、この子にものすごく救われているのだろうな、と。
 自分たちができなかったあの真理の心も救ったようだし。
 この子は、自分たちが思っているよりすごい子なのかもしれない。
 親ばかかなぁ、と思いながら奈津美は文緒を見つめていた。

 奈津美が文緒に出した条件。
 それは、まったくできない家事をできるようになること。
 蓮がつきっきりでびしばしと鍛えたのもあるだろうが、もともとはそういう才能があったのだろう。なんと言っても蓮の血を引いているのだ。本気になったからか、文緒は奈津美と蓮が驚くほど瞬く間にいろいろなことをマスターしていった。やればできる子、なのにやらなかったということか。
 奈津美と蓮は文緒を見て、ため息をついた。
「睦貴、待っていてね」
 そんなけなげな娘を見て、蓮は大きくため息をつく。
 奈津美が昔、冗談で言っていた『光源氏計画』は本気になってしまった。しかも、あんなに頭を悩ませていた文緒の絶望的な不器用さも睦貴が絡んだ途端に解消されてしまった。
「なんだか……あいつに敗北したみたいでものすごく悔しい」
 ぼそりとつぶやく蓮に奈津美はぽんぽん、と頭をなでる。
「まあまあ、そうしょんぼりしないの」
「だけどなぁ」
 蓮のため息に奈津美は笑う。
「”赤い糸”なんてないけど、めぐり合うべくしてあの二人は出逢ったんだから」
 それ以上言ったらまた『おまえが我慢しているからだろう!』と怒られそうだったので奈津美はそれ以上を口にするのをやめた。
 蓮は奈津美にそう言いたかったが……言ったところで仕方がないので口をつぐみ、再度、ため息をつく。
「まあ……またなにかあの二人ならやらかしてくれそうだがな」
 少し先の未来になにか起こりそうな予感がして、蓮はそう口にする。
 それがあながち外れていない読みだったと気がつくのは、その時が来ないことには分かるはずもなかった。



【おわり】






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