魚は空を泳ぎ、鳥は水を飛ぶ。


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【八話】わがままか否かの分かれ目はどこなのだろうか《前編》



 帰りは奈津美さんと蓮さんに運転をバトンタッチ。前に文緒とはるちゃん、後ろに野郎三人が座った。俺は窓際で流れて行く車窓を眺めながら先ほど言われた文緒の言葉を反芻していた。
 文緒が俺のことを好きだった? 正しくは、だったではなく好きだ、と現在進行形だ。
 広場で話をした時、文緒は昔からずっと好きな人がいる、と言っていた。その人はにぶいから言わないと分からないかも、と切なそう表情をしていて、慰めの言葉さえかけることができなかった。いつもの俺だったら心にも思っていないような適当な慰めの言葉を口にして終わりにしていたような気がする。しかしあの時、なにも言えなかったのはどうしてだろう。文緒の片思いの話を聞いて、俺はどう思った?
 車内を見ると、上総は犬の姿に戻ってシートの上に丸くなって寝ている。姉崎と桜井は足元で伸びて寝ている。文彰も窓に頭をあずけて眠っている。前の席のはるちゃんの頭が見えないところをみると、犬に戻って寝ているのだろう。文緒は運転席と助手席の間から正面を見つめ、外を見ているようだ。そりゃあ、眠れないよな。俺も身体は疲れているけど、眠れない。
 奇妙に静まり返った車内。蓮さんと奈津美さんは俺たちのことに気が付いているのか別の理由からなのか。ずっと無言だ。途中、サービスエリアで運転を交代して、帰ってきた。
 駐車場手前で車を止め、寝ている人たちを起こして俺を残して全員、部屋へと戻った。車を駐車場に入れ、エンジンを切ってハンドルに突っ伏す。
 このままエンジンをかけ直し、一人でどこかに行きたくなる。しかし、どこかに逃げたって仕方がないじゃないか。
 ……逃げる? なにから?
 逃げる必要なんてないのに、逃げようとしている。そもそも、なにから逃げないといけないのかが分からない。
 文緒からの告白は俺にとってものすごくダメージが大きかったようだ。俺の中では文緒は歳の離れた妹としてしか認識していない。だけど、文緒はずっと俺のことを好きでいてくれていた。これは素直に喜んでもいいことなのだろうか。
 好意を寄せられるのはうれしい。嫌われるよりずっといい。
 肉親的な「好き」という感情しかなかったのに、それ以上の気持ちを持たれていたなんて。
 俺はそこで気が付いた。文緒にそう言われて戸惑っているのだ、と。
 こんな駄目人間を好きになるなんて、文緒は見る目がないよな。
 大きく息を吐いて、身体を起こす。
 とりあえず今まで通り、接することにしよう。車から降りて、九階の連城家へと向かった。

 連城家に入ると、ものすごく賑やかだった。何事だ?
 リビングに向かって、扉を開けた瞬間、脱力した。
「……兄貴?」
 はるちゃんに抱きつかれ、その両腕にはなぜか姉崎と桜井がぶら下がっている。なにやってるの?
「睦貴、秋孝はすごいな!」
 なにがだ?
「この二人の服も用意してくれたようじゃぞ」
 ……さようでございますか。
「蓮から連絡を受けて、すぐに準備をさせた。一式、そろっていると思う」
 上の俺の部屋の前に置いてあるらしい。ありがとうございます。
「秋孝、ご飯、食べて行くだろう?」
「いや。向こうに用意してあるからいいよ。今度また来る」
 兄貴は両腕に姉崎と桜井を抱えたまま、玄関へと向かった。俺はあわてて追いかける。
「その……色々とありがとう」
 兄貴は俺の顔を凝視している。なんか変なこと言ったか?
「素直にお礼を言われると、なんだか気持ちが悪いな」
 ひでえ! お礼を言われて気持ち悪い、なんて初めて言われた。
「困ったことがあったら連絡しろ」
 それだけ言うと、姉崎と桜井を降ろして帰っていった。
「アニキだ。あれこそが真のアニキ!」
 赤髪の桜井は少しうるんだ瞳で兄貴が去っていた玄関の扉を見ている。
「おまえたち、ご飯にするぞ」
 リビングの扉が開いて、蓮さんが声をかけて来てくれた。ご飯、と聞いて二人は頭の上の耳をうれしそうに反応している。苦笑しながらリビングへと向かった。
 テーブルの上にはいつもと変わらない料理が置かれていて、この短時間にこれだけ用意できるのはさすが、と感心してしまった。
 姉崎と桜井の二人がとにかくよく食べる! おまえたち、遠慮という言葉はないのかっ!
 いつもどおりに振舞おうとするのだが、気がついたら文緒を目で追っている。一方の文緒はというと、車の中で気持ちを切り替えたのか、いつもと変わらないような気がする。こちらも気にしないようにしよう。
 はるちゃんは今日も文緒の部屋で寝るというので野郎四人、俺の部屋へと戻った。
 玄関の前に段ボール箱が複数個、置かれていた。手分けをして中に入れる。
 姉崎と桜井はいろいろと珍しいようで、部屋の中を見て回っている。上総が偉そうに説明しているのを横目に見つつ、俺はその隙にお風呂に入る。
 二人がお風呂に入る段階になり、大騒動。どうやら二人……というか二匹というか、面倒だから二人でいいや……は、お風呂が嫌いで、入らない! と入ることを拒否している。子どもじゃないんだから、素直に入れっつの!
 二人の襟首を捕まえて、無理矢理服を脱がせてお風呂場に投げ込んでやった。まったくもう。
 寝る場所をどうしようかと悩んでいたら、上総にリビング・ダイニングの隅で適当に寝るから問題ないと言われた。寝る時は本来の姿の犬になるから、場所をとらないらしい。それは便利かも。
 二人は悄然とした表情でお風呂から出てきた。タオルで身体を拭いてあげたりとか、俺って甲斐甲斐しいな。え? 自分で言うな?
 今までこの空間は、俺一人だけだった。文緒が黒い犬を拾ってからというものの、はるちゃんたちにそれをいろいろと壊されているような気がする。もっと不快に感じるかと思っていたのだが、意外にもそれはない。
 自分の中にも外にも何一つ守るものがないのに、俺は空っぽのなにかを抱えて必死に守っていたような気がする。そのことに気がつかされた。変われるきっかけをもらったのだ。
 変わりたくないという気持ちもあるのだが、もうそれも限界だとどこかで気がついていた。俺は臆病でヘタレだから、なにかがなければ行動に移せない。石橋はハンマーで叩いて叩いて叩きまくってヒビ一つはいっていないことを確認してからでなければ渡れない。石橋なんだから、ハンマーで叩けば壊れるに決まっているのに、壊しておいて「ほら、壊れただろ?」とやるヤツなのだ、俺は。叩かなければ壊れなかったのに、あえて壊してしまう。
 本来ならそれくらい慎重になにごともしているのに、はるちゃんたちが現れてから、それができない。自分のペースで物事を進められない。だけどそれはきっと、いいことなんだと思う。考える余裕があるから要らないことまで気にしてしまうのだ、俺は。
 寝室に入り、ベッドに潜り込むといろいろと考えなくてはならないことがあるのに、布団のぬくもりと疲れとで俺はそのまま夢の世界へと向かった。

     *     *

 はるちゃんたち別世界の人たちが増えただけで俺の日常は目に見えて変わった。
 今日も平日なので、連城家の人たちは通常稼動だ。俺も本来ならば、下の診療所でぼんやりと一日が終わるのを待つだけなんだが、暇だ、というはるちゃんたちを連れて、出かけることになった。さて、どうしよう。
 この世界に不慣れな四人を一人で連れて出かける、というのはかなり危険なような気がしないでもない。しかし、元気があり余っている若者をこのまま診療所に押し込めておくのは危険なような気もする。それこそ、破壊しまくってくれるだろう。どこかいい場所、ないかなぁ。
 この四人、いろんな意味で目立つんだよなぁ。はるちゃんなんて美幼女だし、上総も黙っていればモテるだろう。姉崎と桜井はとにかくうるさい。そして四人に共通しているのは、頭の上の耳。コスプレ団体を引率なんてしたくない。
 昨日はプレスがそこそこいたとはいえ、思ったよりおとなしくしてくれていたので良かったんだが。気がつかれるかもしれないと内心はどきどきしていたが、広いのもあり、あまり他の人に出会わなかったのも幸いしたのだろう。しかし、今日も昨日と同じようにいくとは限らない。むしろ、そろそろこの世界に慣れてきたのもあり、一番危険な頃合いのような気もしてきた。
 普段からヒキコモリな俺にはどこにでかければいいのかさっぱり検討がつかない。だからといって、どこに行きたいと聞いたところで知るわけないよなぁ。
「文緒に聞いたのじゃが、ここには屋上があるのか?」
 屋上? ああ、あるにはある。危ないから基本的には立入禁止だが。
「そこに行ってみたいのじゃ」
 連れて行っても大丈夫かなぁ、と不安に思いつつ、いつもならいろんな可能性を考慮するのに、流されるように屋上に行くことになった。これが間違いの元、だったのだ。やっぱり、石橋は叩いて叩いて叩かないとダメだ。

 屋上へ続く階段の鉄扉の鍵を開け、俺たちはのぼった。屋上につき、天気がいいことも手伝ってかなりの開放感。ここからこの町を一望できる、と言っても過言ではない。
 この町にはあまり高い建物がない。このマンションは駅の周りということもあり、ギリギリの十階建て。
 みんな思い思いに屋上を楽しんでいる。俺も両手を天に向けて伸ばす。大きく伸びをして何気なく空を見たとき、なんだかとても嫌な予感がした。少し遠くの空に黒いシミのような点が見える。
「まずいのじゃ。早く中に入れ」
 はるちゃんの切羽詰った声。じゃれ合っている姉崎と桜井を抱え、階段へ駆け込む。上総とはるちゃんはすでに中に入っている。
 扉をそっと開け、屋上を見て後悔した。見たことがないほどのカラスが、屋上一面を埋め尽くしていた。
「勘付かれたか?」
 扉を閉めたが、それでも向こう側でうるさいほどカラスが鳴いているのがわかった。なにか情報交換でもしているのか?
「まずいですね。向こうはわれらがこのあたりにいるのに気がついています」
 上総はカラス語がわかるのか? はるちゃんは今まで見たことがないほど、真剣な表情をしている。
「部屋に戻ろう」
 いつまでもここにいても仕方がないので俺たちは部屋へと戻った。
 部屋に戻ると、はるちゃんたち四人はリビングの隅に固まって難しい表情をしてなにかを話している。俺はダイニングテーブルに座って新聞を読む。たまに「駄目だ」といった強い否定の声が聞こえるが、あとはなにを話しているのか聞こえない。
 新聞も一通り読み終わったので、寝室へ引き上げる。数日ぶりにパソコンを起動してメールをチェックしたりいつも見て回っているところを巡回したりした。それでもまだ、向こうで話しあっているようだ。
 俺に与えられた情報は極めて少ないわけだが、それでも分かることがある。いくら話しあったとしても、結論がでない、ということだ。
 リビングに行くと、全員が本来の姿になって床に突っ伏していた。なんというか、緊張感が続かないヤツらだ。まあ、それがいいところだと思うんだが、はるちゃん以外はだらりと舌を出して眠っている。だらしのないヤツらだ。
 はるちゃんは俺の姿を認めると、人間の姿に戻って飛び跳ねて近寄ってきた。便利だな。
「わらわたちはいろいろ考えたのじゃ」
 野郎三人はリビングの端で寝ているので、俺たちはダイニングへ移動した。紅茶を入れて隣りあって座る。
「わらわたちはいつまでも睦貴たちの好意に甘えていてはならないことに気がついたのじゃ。このままわらわがここにいれば、否が応にも巻き込んでしまう。昨日、巻き込み、今日もあのカラスの監視を見てわかった」
 というけど、俺からすれば今さら、なんだがな。
「ここまでいろいろしてもらっておいてなんじゃが、わらわたちはあやつらが起き次第、ここを去ろうかと思う」
 いなくなることに対してものすごく淋しい気持ちになった。ここで俺はたぶん、はるちゃんたちが出ていくことを止めることができた。
「連城家の人たちには」
「お礼を言わないで出ていくのは不義理なのは承知の上なのじゃが……辛くなるから」
 泣きそうな表情をしているはるちゃんを見ていると、止めることができなかった。
 きっと、四人で長い間話しあって決めたことなのだろう。三人が寝ているのは、この先、ゆっくりと眠れない可能性が高いから、それに備えているのだろう。
「食べ物だとか、寝床はどうするんだ? この世界はお金がないとなにもできないぞ」
 それが足止めの理由にならないのはわかっていたけど、どうにかして考えを覆そうと躍起になっていた。素直に行かないでほしいと言えなかった。淋しいから行って欲しくないなんて、恥ずかしくて言えなかった。それに、これは自分のわがままな気持ちだからと押さえ込んだ。
「大丈夫じゃ、どうにかなるものじゃ」
 それが強がりだというのは気がついたが、行かないでほしい、その一言が言えなかった。
 三人は起き、はるちゃんを先頭にして部屋を出ていった。その時、四人とも深々とお辞儀をしていた。







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