『彼女に捧げるエチュード』


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【七】



 小田桐先生は今までのやりとりの説明はする気はないようだったけれど、にやりと不敵に笑い、そう言った。

 そうだ。
 姉のために、姉への未練を断ち切るために、わたしは姉が好きだった『別れの曲』を弾こうと思ったのだ。
 準備室から出て、ピアノに向かうと、荒田先生が一番前の席に座っていた。
 今までみた中で一番の真面目な表情に、急に緊張してきた。

「ミスタッチしても、弾き直すなよ」
「……はい」
「俺はすぐ横で見ておいてやるから、緊張せずに弾け」
「先生が近くにいたら、別の意味で緊張します」
「よく言う」

 そんな軽いやりとりで緊張が解けていくのが分かった。

 ピアノの下から椅子を引きずり出し、調整をしてから座る。横目で後ろを見ると、斜め後ろに小田桐先生が立っているのが見えた。

「一年、火浦由乃。亡くなった姉のために『別れの曲』を弾きます」

 そう宣言して、親指に力を込めた。

 美しいメロディが音楽室の中に響きわたる。
 家で練習した成果なのか、ミスタッチもなく弾き終わることができた。

 終わった余韻に浸っていると、斜め後ろにいたはずの小田桐先生がわたしの真後ろに立ったかと思うと、覆い被さるようにして鍵盤に手を置き、あの激しい第二パートを弾き始めた。
 わたしはじっと小田桐先生の指をひたすら見つめる。

 ダウンロードして聞いた、ミスタッチもない、正確無比なあの演奏と同じようだったのに、どうしてだろう、すごく胸が切なくぎゅっとなる。
 激しくも切なく不安を煽る美しい和音の連続が終わり、穏やかなメインのメロディ部分に戻り、終焉を迎えた。

 わたしは背後に小田桐先生の気配を感じながら、動くことができなかった。

 ばたんという鉄の扉が閉まる音がして、ようやく動くことができた。

 小田桐先生の素晴らしい演奏に対して拍手をしようとして、自分が泣いていたことに気が付いた。
 慌てて涙を拭おうとしたら、後ろ頭を抱えられ、顔面がなにかに押し当てられた。
 ぎゅっと抱きしめられている感覚にパニックになる。

 えっ、えっ?
 なななな、なにっ?

 意味が分からずに内心で焦っていると、すぐに離された。

「よく弾けた」
「え……と、はい」

 今のはなんですか? と聞くことができず、返事をすることしかできなかった。

「この曲は日本では『別れの曲』と言われて有名だが、正式名称は練習曲作品10第3番という」
「れ……んしゅうきょく?」
「美しいメロディが練習曲っぽくないが、これはれっきとした練習曲だ。特に真ん中の部分は難易度が高い。日本では練習曲といわれるが、フランス語で学習を意味するエチュードといったほうがわかりやすいかもな」

 譜面にetudeと書かれているのは認識していたけれど、それが練習曲という意味だったなんて。

「簡易版の楽譜だったとはいえ、今まで弾いたことのない人間がよく一週間でこれだけ弾けるようになった。がんばったな」
「先生のおかげですよ」
「まあな」

 いつもの先生の返しにわたしはようやくペースを取り戻した。

「さて、遅くなったし、家まで送っていく」
「あ、はい。ありがとうございます」

 わたしたちは片づけをして、音楽室から出た。
 外には荒田先生が待っていて、小田桐先生と少しなにか話していた。

「鍵は荒田に託したから、このまま駐車場に行くぞ」

 わたしたちは無言で下まで降り、小田桐先生の車で家まで送ってもらった。

 家に帰ると、車の音を聞きつけた母が飛び出してきて、抱きついて泣かれてしまった。
 小田桐先生は遅くまでわたしを付き合わせてしまったことについてお詫びをしていたけれど、母は聞いてないようだった。
 小田桐先生は諦めて、運転席に戻った。そして窓が開き、真剣な表情を向けられた。
 わたしは母に抱きつかれたまま、先生に視線を向けた。

「ありがとな、由乃。あと、新体操、楽しみにしてる」

 それだけいうと、小田桐先生は失礼しますと母に向かっていい、車を発進させた。

 え、ちょ、ちょっと、待って?
 今、火浦ではなくて、由乃って言った?
 ……もしかして?
 と、考えた後、抱きついている母に気が付いた。
 小田桐先生、火浦だとわたしになのか、母なのか分からないから、区別するために名前呼びしただけ?
 うん、きっとそうだ。

 わたしたちの間には、甘い感情はなにひとつなかった。

 そう結論づけて、わたしは母を連れて、家へと入った。

     *

 この一件のあとの週明け、学校から四年前のひき逃げ事故の犯人が校長だったいう緊急メールが来た。
 そのメールが来てからこちら、教育委員会の偉い人たちが謝罪に訪れたり、警察がやってきたりとあわただしい状況になった。

 そうして落ち着いたのは、夏休みを数日に残すところとなった。
 その間、いろいろと考えた。

 音楽室で『別れの曲』を弾いたとき、小田桐先生がわたしの後を引き継ぐようにして続きを弾いた。
 わたしはあの演奏を聴いて、なぜか泣いてしまった。
 それはどうしてか。わたしはなぜ、泣いたのか。
 考えて、気が付いたのだ。

 先生の演奏は譜面どおりに正確無比だった。
 だけど譜面には書かれていないことは先生には表現できていなかった。
 それはなにかというと、感情だ。

 先生の演奏に言及したブログは賛否両論だったけれど、そのどちらにも同じ言葉が書かれていた。
 それは、演奏は確かに正確無比だけど、そこに感情がない、と。

 言われてみれば、先生が昔に演奏した『別れの曲』は悲しく美しいメロディではあったけれど、心を感じられなかった。
 軽口は叩くし、ねぎらいの言葉も口にしていたけれど、いつだってそこには感情がなかった。

 だけどあの日の演奏は、自然と涙があふれるほど、悲しみの気持ちがこもっていた。
 それに、あのあと、お礼を言っていたけれど、それも心に響いた。

 もしかして先生は感情を込めることができなくて、演奏家を止めたのかもしれない。
 なんて、偉そうな分析をしていた。

 そういうわたしも、だれよりも正確に身体を動かすことに腐心した。
 新体操は美しく身体を動かすことも重要であるけれど、競技の採点には表現力というものも存在している。わたしは感情を身体で表現するのがとても苦手だった。それはまるで、自分の心の中のすべての感情をぶちまけてしまっているかのようで、そして乏しい感情を披露することが怖くて、だからそれを誤魔化すために、より正確に、だれよりも美しく見えるように、そこに重点を置いたのだ。
 だけどそれは、姉の死によって、脆くも崩れ去り──それを取り繕うために無理をして、怪我をした。
 でも、わたしはもう、あの『別れの曲』を弾いて、姉に捧げることによって決別した。
 そして小田桐先生が去り際に口にした一言に、それまで引っかかっていたつっかえがとれたような気がした。

「お母さん、わたし、新体操に復帰しようかなって思ってるの」

 小さなミスで引き起こした怪我もすっかり治っていたけれど、また怪我したらどうしようと怖くて、わたしは新体操から逃げていた。
 父と母は無理して復帰する必要はないと言ってくれたのもあり、わたしはそのまま逃げてしまった。

 でも、いつまでも逃げていられない。
 すっかり元気になっているわたしの身体はむずむずとしていた。
 なにかきっかけがあれば復帰することができるくらいにまで心も回復していた。

 わたしの一言に、母は涙を流して喜んだ。

 新学期が始まったら一番に、小田桐先生に新体操に復帰したことを報告しよう。

 そうして夏休みが終わり、二学期の始業式で衝撃の事実を知った。

 なんと小田桐先生は一身上の都合で先生を辞めていたのだ。あちこちから落胆の声が聞こえていた。

 土曜日に会ったのがどうやら最後だったようだ。

 小田桐先生はどこの段階で辞めると決めたのだろうか。

 あのときの『別れの曲』はもしかして、遠回しにわたしへの別れの言葉だったのだろうか。

「小田桐先生からメッセージとピアノの演奏が届いてます。『この曲を彼女に捧げます。今までありがとう』」

【完】






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