『チョコレートケーキ、できました?』


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《四十話》臆病なのはあたし



 圭季はあたしを熱のこもった視線でじっと見つめている。
 あたしも圭季の瞳を見つめた。
 あたしの視線を受けた圭季は目の縁を赤くしながら口を開いた。

「本物を知ってしまうと、代替品では満足出来なくなる」

 代替品って……。

「今までは望んだものはひとつも手に入れられなかった。だけど、チョコだけはなにがなんでも、どうあってもほしいと切望した」

 ぐっと圭季の身体が迫ってきた。

「どうすれば側にいられるか。どうしたらアピールできるか。……すごく考えたし、悩んだ」

 その結果があたしの高校三年生の一年間、ということか。
 あまりにも突拍子なくて、インパクトが強すぎて、忘れられない。あたしの中に刻み込まれていると言っても過言ではない出来事たちだった。
 とても濃密で、印象深い一年だった。
 だから圭季の作戦勝ち。

「おれの想いが通じて、晴れて両想いになった」

 ……改めてそう言われると、激しく恥ずかしい。室温は変わらないはずなのに、あたしの頬も耳もとても熱く感じる。

「想いが通じ合って、望んだものが手に入ったら心が穏やかになると信じていたのに……」

 いたのに?
 あたしは圭季という心の支えを得ることが出来て強くなれたと思っているけど、圭季は違うの?

「おれは今まで、望んだものをずっと手に入れることが出来なかった。だからその先に待ちかまえている苦労というものを知らなかったんだ」

 圭季の言わんとしていることがあたしには分からなかった。
 だから今度は用心深く首を傾げ、圭季に分からないというのを示した。

「おれはとても臆病なんだ」

 先ほどにも言った言葉を圭季はまた口にした。

「それに、独占欲も強いし、思っていた以上に贅沢だったみたいなんだ」

 やっぱり圭季の考えていることが分からない。

「手に入った途端、失うことが怖くなったんだ」

 それなら考えたことがなかったわけではない。
 圭季がいなくなったらとか、薫子さんと元に戻ったらどうしようって。
 でもそう考えたら現実になりそうだから、考えないようにしていた。
 本当に臆病なのはあたしの方だ。
 圭季はあたしのことが好きだって言ってくれたけど、どうしてあたしなのか理由が分からなくてずっと悩んでいた。今日、圭季があたしを選んだ理由を知ることが出来た。
 だけど。
 だけど……。
 もしも。
 あたしよりもお菓子を作るのが上手で、見た目もきれいで、頭も良くてなんでも完璧にこなせる人が現れたら?
 そんな人はいないって言われるかもしれないけど、そんなの分からないじゃない。
 あたしはおっちょこちょいだし、大してかわいくもないし、標準体重とは言え見た目が少しぽっちゃりして見える……って自分で思って悲しくなったけど。お菓子作りが好きってことしか特徴がない。
 その特徴も他の人で代替できる可能性があるもので。
 あたしは一人だけど、圭季にとっては唯一無二というわけではない。
 ……それならあたしは?
 あたしにとっての圭季の存在は?
 あたしには圭季しかいない。
 幼い頃の事件以来、あたしは男性が苦手だ。
 だけど圭季と那津は別だ。
 あたしにとって那津は友だち以上の存在には絶対にならない。
 だからあたしにとって圭季は特別で、代わりがいない存在だ。
 幼いあの日、あたしは圭季に特別を感じた。母の一件があってすっかり忘れていたけど、思い出す前からあたしにとって圭季は特別な人だった。
 それにこの先、圭季より好きになれる人が現れるとは思えない。

「あたしは……圭季が大好きよ」

 思っていたことをなにも考えずに口にして、次の瞬間、言葉の意味をきちんと把握して、またもや自分の体温が上がった。動悸もさらにパワーアップ。
 自分の気持ちを確かめるためってのもあったけど、想いがあふれ出したって感じで思わず口をついて言葉が出てしまった。
 あたしの言葉に圭季がなんと思っているのか知るのが怖くて、あたしは今のあたしに出来うる限りの速さで圭季から視線をそらせた。
 恥ずかしすぎる!
 素直な気持ちを言葉にしただけなんだけど、どうしてこんなに恥ずかしいのっ。
 恥ずかしくて、恥ずかしくて。
 だけど。
 …………あれ?
 圭季からはなんの反応も返ってこない。
 え……っと? だ、大好きなんて……めっ、迷惑、だったのかな?
 今度は急激に自分の体温が下がるのが分かった。
 圭季にはいっぱい迷惑を掛けたし、あたしのこと呆れちゃってるよね?
 そんなあたしから
「大好き」
なんて言われたら……圭季、困るよね。あたし、とうとう圭季に嫌われちゃった?

「あっ……あのっ」

 ぎゅうっと痛む胸と鼻の奥がつんとするのを我慢しながら、言い訳を口にしようとしたら、包帯だらけの手の甲に力が加わった。

「チョコ……おれ……」

 がたんと音がして、圭季が動いたのが分かった。
 ……怒った? 部屋を出て行こうとしている?

「けっ、圭季! そのっ!」
「ああっ、もどかしい!」

 さらにあたしの手の甲の上の圭季の手に力が入る。

「抱きしめたいのに! おれも好きだって抱きしめたいのに!」

 ……はいっ?

「チョコが怪我をしてなかったら、おれのこの気持ちを強く伝えられるように抱きしめるのに!」

 圭季の手が震えている。
 どうしてこんなに震えているのか分からず、あたしは痛まないようにゆっくりと首を巡らせて圭季を見上げた。
 そこには、顔を真っ赤にした圭季がいた。
 顔を赤くしてしまうほど怒っているの……?

「チョコ、おれもチョコのことが大好きだっ。……好きを通り越して、愛している」

 あたしはそのまま身動きが取れなくなった。
 圭季は真っ赤な顔のまま続けた。

「幼い日の約束を忘れた日はなかった。だけど……大きくなるにつれ、チョコとの約束を守れそうになくておれは逃げた」

 あたしが忘れていた間、圭季は葛藤していた。なんだか申し訳なくてなにも言えない。

「会社のため……なんていいながら、おれは薫子で妥協しようとした」

 あたしは薫子さんではないけど、圭季の言葉にやっぱりずきりと心が痛んだ。
 だからって圭季があたしも薫子さんもという人だったら、あたしは圭季のことをここまで好きになっていなかったと思う。
 とそこで、自分の中の醜い感情に気がついた。
 あたしは今、薫子さんに勝ったと思っていた。
 あたしなんかより綺麗で、頭もよくて、お金持ちで。あたしはなに一つ、薫子さんに勝てるものがない。だけど圭季はあたしを選んでくれた。
 あたしは薫子さんより上だ……って。
 なんという思い上がりだろう。

「やっぱりチョコがいい」

 圭季はあたしの手の甲に置いているのとは反対の手で、あたしの頬に触れた。

「代わりなんてない。チョコだから、……チョコしかいないんだ。もしもチョコがこの世からいなくなったら……。そんなことを考えたら、怖くて眠れなくなる。チョコを失うのが怖いから、どこにも、だれの目にも触れないように閉じこめておきたい」


【つづく】






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