1−1.ホームページの紹介

 

ホームページの方針

 このホームページは、1995年1月に某大学に提出した文化人類学の修士論文「水子供養の政治学 仏教僧侶と大衆雑誌の言説」をもとにしている。この研究が今後の水子供養研究に寄与することを願い、調査の過程で得た各種の資料を可能な限り公開することにした。ここで公開される資料は専門の研究者だけでなく、一般の人たちにとってもきっと役立つと信じている。なぜなら、水子供養という現象を知ることは、宗教・医療・政治・家族・生命・経済など水子供養と結びついている多くの事柄を考えるきっかけとなるからである。

 

水子供養への関心

 私の水子供養への関心は、胎児への関心から始まった。胎児に関心を持つきっかけとなったのは、バーバラ・ドゥーデン『胎児へのまなざし』である。この本は、ヨーロッパにおける女性の肉体に対する医学的・宗教的・芸術的まなざしと、女性の内部の触感と直感が対抗する歴史を叙述したものである。近代の解剖学の発展が女性の身体から分離した胎児像を形成したという状況は、日本でも同じではないかと推測することができる。流産児に対する死者儀礼の成立はその宗教的な対応を表すものである。もともと新宗教を中心とする宗教現象と、家族・親族関係や社会的・文化的に意味づけされた性差(ジェンダー)の関わりについて興味を持っていたので、水子供養の研究は胎児への着目を核とした、まさにその合流点となった。

 

修士論文の目的

 修士論文の目的は、水子供養を祭司として実際に執り行う仏教僧侶と、その社会的な認知に寄与した大衆雑誌や女性雑誌の記事が、水子供養をどのように意味づけているかを示し、両者の言説を比較して、その共通点と相違点を明らかにすることにある。
 僧侶自身の言動の分析は意義が乏しいと思われているためか、人気がない。また、そうした情報は大衆媒体を通じて得れば済むと考えているためか、調査自体もほとんど行われていない(1)。水子供養に対する個々の寺院の対応について実態調査さえなされていない。仮にそこに商業主義が認められるとしても、それは思想として分析する価値とは別次元の事柄であり、大衆雑誌が取り上げる供養とは異なる内容を含んでいるのである。
 僧侶や大衆媒体が発する言説が、依頼者と供養の意味を共有したり、依頼者にそれを与えたりという可能性もある。実際、研究者自身、依頼者の行動の分析において、中絶の罪悪視・仏教的知識・水子霊の祟りの観念など一般に流通している言説を、推測にもとづいて部分的に取り込んでいる。そこでは影響関係が暗黙に仮定されている。
 これまでの水子供養研究は中絶と水子供養をしばしば直結し、依頼者は罪の意識のゆえに供養し、それにより慰めを得ると当然のように論じている。だが、疑問がある。妊娠全期間にわたる胎児の生命・人間化のなかで、望む妊娠が流れたとき、喪失の悲哀や保護の務めを全うすることができなかった罪悪感のために、供養に向かうのは理解できる。生後の子どもが死んでしまったときと、感情の方向性は同じだからである。ところが、それよりも、最終的に自ら中絶を選択して、その罪の意識のために供養するほうが自然であるとなぜか思われている。しかし、中絶した当事者にとって、供養の実施は水子に対する補償の意味があるとしても、中絶の時点では中絶とその犠牲者になる胎児の追悼は相反する行為である。この不思議な組み合わせ(2)を僧侶や大衆雑誌の側ではどのように解釈しているかも明らかにする。
 以上のように、修士論文では依頼者の主観的経験とは別に、仏教僧侶や大衆雑誌の記事が社会に向けて用意する水子供養と妊娠中絶にまつわる物語を提示し、それぞれの特徴を論じた。依頼者に直接接触することが難しい状況を顧みるならば、手をこまねいて一般論で終始するよりも可能な作業から始めるべきである。

1)橋本や高沢の属する現代宗教社会学研究会は、宗教団体の本部と、大衆媒体が紹介する水子供養施設に対し、異なる質問項目で水子供養の実施状況やその見解に関する調査を行なっている。その集計結果については、新田 1991。

2)ツヴィ・ヴェルブロウスキーが諧謔的に書いているように、水子供養という現象が社会学的に興味深いのは、依頼者と仏教のどちらの側でも中絶と信仰が「矛盾」ではなく、「組み合せ」になることである(ヴェルブロウスキー 1993,82頁)。

 

仏教寺院調査の概要

 1994年の3月上旬から10月中旬まで北陸のある主要都市で、既成仏教宗派に属している寺院を対象に断続的に水子供養に関する調査を行った。最初に市内の400以上ある寺院のうち、水子供養を行う可能性がほとんどない浄土真宗の多数を除く約200寺に電話をかけ、水子供養の実施状況を尋ねながら、住職等の僧侶に対する聴き取り調査を申し込んだ。最終的に55寺を訪問し、1寺あたり30分から3時間30分の聴き取りを重ねるとともに、施設を観察した。相手の僧侶の大半は男性で、20歳代から80歳代である。聴き取りを行うことができなかった寺院も可能な限り訪れて、施設の様子を記録した。この調査で水子供養と関係の深い市内の寺院をほぼ網羅できているが、水子地蔵を積極的に進めているところだけでなく、ほとんど依頼を受けたことがないところまで幅広く含まれている。この他に寺院との比較のために神社と卜占師でも若干の話を聞いた。

   

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