当店の過去から現在

2021年3月21日更新


中央下が現在の当店。
架かっている橋は「市場橋」。橋のすぐ右下にある四角い空き地が移転前の旧店舗跡地。
川の名前は柳生川(柳生運河とも言ってました)で右が上流で
左が下流となり豊橋港へと向かい、三河湾に繋がっています。
左上は牟呂用水で、大半が柳生川と合流しています。

「1960年前後の当店周辺写真」←クリックすると新しい画面が出ます。


橋の右にあるのが創立時の当店です。
1枚目の写真上側の船着場から当店を写しています。
当時はガソリンとかの販売もしており、旧丸善石油(現コスモ石油)を
愛知商工様より仕入れていました。
この建物は、ガソリン給油中にお客様がタバコに火を付けた後に
捨てたマッチが原因でガソリンが爆発し、火災のため焼失しました。
火災は沖で海苔を採っていた人たちにも見えたそうです。

右側にある二つの同じ建物は豊橋養鰻組合の建物で
うなぎを保管していたと思います。ここが排水してた冷却装置の水の通路で
近所の人は雑談しながら洗濯をしていました。
夏は冷たくて気持ちがよかったです。

この当時の船は木造船で、巻き上げ式のプロペラシャフトを使用していました。
エンジンは焼玉式エンジンからヤンマーとかのディーゼルエンジンに切り替わる
50年前の写真だと思います。私はまだ産まれておりません。



焼けた跡に再度店を建築しているところです。
木造建築中の部分は住居部で2階建て。右側の石の敷いてある部分が
一部店舗と駐車及び野外作業場となります。
木造建築物と石が敷いてある場所の間の下には柳生川の下を土管を使って
通って来た牟呂用水が流れています。
建築は神野土建様(現・神野建設株式会社)が行ってくれました。



再建した店舗です。
道路はまだ舗装されておらず、自動車もほとんど通らない時代で
牛車が通っていた時代です。
現店舗に移転するまでは、この建物の一部を増築とか改築しただけです。
1960年前後だと思います。



建物左側に書いてあった「ヤンマーディーゼル」の文字を
正面の看板にも書き直しています。
中央にある「丸善石油」と書いてあるのがガソリンスタンドで、
ガソリンを販売するには、販売するガソリン量により、
正面に見えるハンドル左側にある(写真では分かりませんが)
レバーを上に上げてからハンドルを回すと、頭部にあるガラスで覆われた
貯蔵部に貯まっていき、希望量以上になると余分な分は下側の
メインタンクに戻されるます。そして給油ガンのレバーを握ると
上側のガラスの貯蔵部に貯まったガソリンが落ちてきて
給油される仕組みになっています。



ガソリン給油機の左側にあるのは混合ガソリン給油機です。
どのような構造だったかは忘れてしまいました。
混合ガソリン給油機の左後ろは危険物倉庫です。

当店の作業車です。この当時はガソリン・灯油・オイル・ペンキ等も販売していました。
作業車に載せた重い荷物は作業車周囲にある枠の上側に取り付けられて
チェーンブロックで上げ下げしていました。

「竹宏」の文字が「竹廣」に変わっています。
ちなみに初代の名前は「廣吉」で、通常は「広吉」を使ってました。
初代の時は「竹宏商店」「竹廣商店」「竹広商店」と
時々変えていたみたいで、文字数の縁起を考慮していたのではと思います。
灯油などの配達には母親がオートバイに乗って、後ろの荷台に灯油を積み、
背中には子供を背負って配達もしていたそうです。
看板の「ヤンマーディーゼル」の文字の「−」「デ」の間には
夜間用の作業灯が取り付けられています。



消防法の改正により、立地条件等でガソリンを販売出来なくなった為、給油所は止めました。
写真では分かりませんが、看板部より下の建物を1.5Mほど増築し、前に出しました。
その関係で危険物倉庫の入り口は建物の中になりました。

この前後からヤマハボートと取引を始めたと思います。
当時はヤマハボート豊橋営業所がありました。
その後、豊橋営業所はなくなり、ヤマハ中部・岡崎店となったのですが、
現在はそれもなくなり、名古屋にあるヤマハ中部となっています。

車のテールランプ上側にちょこんと見えるのは、、我が家の番犬です。



初代が他界した前後の時代の看板です。
写真は初代他界数年後です。トラックのデザインは私がしました。
上のラインの赤は太陽、中央の白は空間・空気、下の青は海を表しています。

ヤマハからの要望もあり、ヤマハの名前を看板に入れてます。



でも、側面だけは昔のままのデザインです。



移転する前、最後の店舗デザインです。
この当時は写真右隅にある水槽で船外機の試運転をしていました。
看板取り付け作業が完了したばかりなので、足場台がまだ店の前に置いてあります。
当時、ヤンマーの文字を一切入れなければ、全額ヤマハが負担してくれると
言っていたのですが、ヤンマーの方が取り引きが長いため、断りました。
もっとも最後は裏ワザで全額出して頂きました。
ちなみにヤンマー関係の商品は昔から現在まで半田市に本店がある
「株式会社 師崎ヤンマー商会」より仕入れています。
愛知県のヤンマー全販売店も同様です。



横のデザインもこの時、一緒に変更しました。
撮影時に、画面右にストラップか何か余分な物が一緒に写ってしましました。



市場橋の架け替え工事と同時に行われた牟呂用水の配管工事の関係で
移転せざるを得なくなりました。この写真は移転半年前の写真です。
市場橋架け替え工事により、道路は乗用車の位置まで現在は広がっています。



移転後(1994年)の建物です。
看板取り付け作業完了中です。


移転と共に店名も「竹宏商店」から「竹宏マリン」に変更致しました。

2021年3月21日現在は一旦店を閉じた関係もあり看板は全てありません。