男木島洞窟探検調査

−洞窟内池、水位変化の謎にせまる−

工学部教授 岡本研正


高松市沖4kmにある(高松市女木町)の鷲ヶ峰山頂部には大きな人工洞窟がある。この洞窟がいつ頃、何の目的で掘られたのかは分っておらず謎の洞窟とされている。その内部の総面積は4000uと広大で迷路のように複雑な構造となっている。この洞窟は、香川県の観光名所の一つにも数えられており、その不気味な雰囲気からその昔桃太郎に退治された鬼が住んでいた所かも知れないということで、女木島は鬼ヶ島と通称されている。ところで、これと同様の人工洞窟が女木島の東隣の(高松市男木町)にもあることは、ここ高松でも知られていない。この男木島の洞窟は地元では「ジイの穴」とよばれているが、女木洞窟と違ってまったく観光地化されておらず、その存在は島の関係者のみが知るところである。私の専門は電子計測工学であるが、1978年から趣味的研究として、飛鳥時代、国救援のために朝鮮半島に派遣された約3万の日本軍が、(今の錦江)の戦(天智期 663年)で唐との連合軍に惨敗した後、唐・新羅の日本来襲に備え北九州から瀬戸内周辺にかけて多数築かれたとされる朝鮮式山城に関する調査研究を行っている。これに関連して、私は女木や男木の洞窟も要塞の一部だったのではないかと考え、男木洞窟を一度調査してみたいと思うようになった。そして、予備調査のため島に渡ったとき、非常に興味深い話を現地で聞いたのである。それは、ジイの穴の奥にある池の水位が一日の間に上下するという島の伝説である。この伝説は、代々親から語り継がれてきたとのことである。地元では、池の水位変化は潮の干満と関係しているのではないか、というのが一般的な説であるが、子供たちが洞窟にあまり行かないようにするための親の方便だったのではないかと言う人もいる。ともかく、池の水位変化が事実かどうかを調べた人は誰もいないようである。前者の「潮位と連動した水位変化」説は、常識的には考えられないことである。なぜなら、ジイの穴が海岸近くにあるならともかく、海抜213mの山(コミ山)の頂近くにあるからである。一方、後者の説については、池の水位変化よりも落石や落盤の方がよほど恐ろしく、親としてはその危険性を子供に諭すのがより現実的であろう。
私は 6年程前にこの話を初めて聞いて以来、洞穴池の水位の時間変化を測定して伝説が事実かどうか調べてみたいと思っていた。それはまた女木や男木の洞窟の起源を解く手掛かりになりそうな気がしていたからである。しかし、電気など皆無の真っ暗闇な洞穴であり、1昼夜24時間も洞内にとどまって、凍えるほど冷たい水(10℃)の深さを実測することなどとてもできない。また、水位の測定・記録は少なくとも24時間行う必要があり、そのための電源には電池を利用するしかない。ところが24時間つけっ放しで電気機器をオン・オフできるような電池式タイマーや、24時間もの長時間、データを記録できるような可搬型データ記録計はなく、ノート型パソコン等も実際上使用困難である。このような諸状況から長らく調査の決行をためらっていたのである。
 しかし、この 4月末ついに思い立ち、長年の念願を果すべく検出感度が 1mmで、 1時間ごとに各30秒間の水位データを10日間測定・記録できるユニークな携帯型無人水位記録計を手作りで開発した。装置の詳しい説明は省くが、要するに水位を音の高さ(周波数)に変えてカセットレコーダに記録。実験後テープを再生して音の周波数の変化から水面の上下変動を調べるというものである。
 この特殊な測定装置を携えての男木島洞窟調査は、 5月 9日(土)に実施することになった。事前に男木島観光協会会長の浜坂忠義氏や男木洞窟に詳しい松下豊数氏らに調査に対する協力依頼を要請した。一方、私の講義を受講している教育学部の学生たち、ならびに工学部信頼性情報システム工学科の学生に調査探検への参加を呼びかけた。そして当日、出発点である高松築港には15名の学生、テレビ・新聞などマスコミ関係者計8名、総勢24名が集まった。男木港には10余名の島の男性が我々調査隊の一行を迎えに来てくれていた。これにより洞窟調査は30名を越す大調査団により行われることとなった。また、島の女性たちも約10名がわざわざ洞窟入口まで昼食を運んでくださった。この調査については山陽、サンケイ、四国および読売の4紙、および、西日本放送と瀬戸内海放送のTVニュースで大きく報じられた。このように調査は、男木島の人々の好意と協力により大掛りなものとなったが、残念ながら水位データの長時間記録は予想外の事態で結果的に失敗した。それは洞窟内の100%近い湿度と11℃という低温にあった。記録装置は乾燥剤を充填したポリ袋に入れたのであるが、実験システムをセットしているわずかな時間に磁気テープと磁気ヘッドの部分が結露したらしく、レコーダが作動していなかったのである。これは翌日テープを回収に行った際、判明したことである。やはり謎の洞窟水位変化の正体をさぐるのは一筋縄では行かなかった。その後、湿気対策を十二分に講じた実験システムに改良し、目下、天候不順の続く梅雨のなか、再度の実験調査に向け待機しているところである。今回の科学技術を駆使しての探検は、香川大学と地元県民のつながりをより深めるとともに、新生工学部のモットーである「分離融合」の実践を意図するものである。

 (平成10年 6月14日記)