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 鈴蘭台駅のホームへ上ると、ちょうど普通電車の扉が閉まったところであった。菊水山駅はハイカーくらいしか使わないため、普通電車でも通過することが多い。ちょうど扉を閉められた電車が停車する普通電車で、次は30分待たねばならない。どうもさっきからついてない。他の電車が何本も来るのにやりすごし、じっとベンチに座っていた。

神戸電鉄 路線図
地図



A地点(菊水山〜鈴蘭台)
  菊水山〜鈴蘭台間

【A地点 菊水山〜鈴蘭台間】
新旧線の分岐点付近を電車内から。
この後、上り電車はトンネルに入り、
旧線の様子はうかがい知れない。
(左手が菊水山)


 冷え切った身体で普通電車に乗りこみ、車内から旧線跡との分岐点などの写真を撮る。5分ほどで菊水山に到着。ずいぶん手間がかかったのに、廃線跡めぐりはあっという間に終わりである。まあ、楽ではあったが(^^;


B地点(菊水山駅付近)
  菊水山にて

【B地点 菊水山駅付近】
説明するまでもなく、
左側のトンネルが旧線跡。
(菊水山駅から鈴蘭台方を望む)


 菊水山側の分岐点には古いトンネルが残っているが、これも頑丈にフェンスでガードされて近づけない。
 旧線のトンネルの反対側に出てみようと登山道をぐるっと迂回して行ってみたが、やはり『立入禁止』、工事用バリケードでガードされていた。

 しかたなく、年賀状の撮影モードに切り替えるが、新線唯一の撮影ポイントと思っていた橋梁もガードが固くて、ではなく高くて、要は電車の足回りが隠れてしまい、鉄道写真には使えない、上から撮らなきゃ・・・・・そりゃ、菊水山という駅名からして、山そのものは目の前にあるけど、登るの・・・・・?
「こんにちは」
 ハイカー同士ですれ違うと挨拶する習慣は気持ちがいい。そう、結局、私は菊水山を登っていた。
 ちなみにこの登山道は六甲全山縦走路の一部であり、毎年11月に全山縦走が開かれ、多くの参加者があるそうだ。しかしこの縦走は半端じゃない。西は須磨から東の宝塚まで約56Km、おでこにライトをつけて、夜明け前から日没後まで歩くのである。もちろん、私は参加する体力も度胸もない。それどころか菊水山登山口からまだ10分、既にゼーゼー、貧血を起こしそうな体たらくである。
  菊水山から

菊水山からの写真は、ご覧のとおり、
もやってしまったので、年賀状写真としては没。
でも、せっかく苦労して撮ったのだから、
ここでご笑覧いただければ・・・


 これで何もなく戻ることになったらどうしようと思い出したころ、視界が開け、眼下に菊水山駅が見えるではないか。おお、これならいける、とここで数本列車を撮影し、下山?した。途中で、あるハイカーと一緒になり、
「菊水山って結構急でしたね、そんな靴で大丈夫でした?」
と聞かれて、10分で引き返すところとは答えにくくて、思わず、
「いやあ、大変でした」なんて答えてしまった。すると、
「どんなルート?」とか「頂上はどうでした?」と立て続けに聞かれ、いよいよ答えに窮してしまった。見栄は張る(嘘はつく)もんじゃない。
 鈴蘭台駅での経験から最長でも30分待ちと思い、駅へ戻ってみると、昼間はさらに本数が間引かれるようで、電車は上下とも1時間以上なかった。だいだい時刻表も確認していないなんて本当に鉄ちゃんなのかと言われそうだが、やむなくもうひとつ先の鵯越(ひよどりごえ)駅まで歩く。
 20分ほどで鵯越駅に着き、ホーム山側の端に立ってみると、まあまあのアングルじゃないか、よしここで上り電車(電車自体は山から下ってくるのだが、ってかえってややこしい説明)の2000形を撮ろうと構えるが、次に来たのは1350形、残念、次は?5000形、1100形、また5000形、1350形・・・・・
 うーん、形式写真集ができてしまいそう(^^;
 しかし、ここで諦めて帰る途中、もし2000系とすれ違ったらしゃくだし、と思ったら止められない。
 菊水山で乗るはずだった下り普通電車も行ってしまい、粘ること1時間、ようやく2000形がやってきた。
 カシャ、ふぅぅぅぅ、予定終了。

【1999年12月現地、2000年1月記】



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