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加古川刑務所専用線 路線図
地図


 別府鉄道の廃線跡へ行くついでに、何か他に廃線跡はないだろうかと何気なく昔の専用線一覧をめくってみると、加古川刑務所専用線が目についた。距離も3.0Kmと半端じゃない。
 早速地図で確認すると、刑務所から加古川線に向かって、それらしい道路があるではないか。

 しかし、確かめようがない。そこで、東京出張の折り、国土地理院に寄って昔の地図をコピーしてもらった。古い地図のコピーができるというのは宮脇俊三編著の『鉄道廃線跡を歩く』で知ったのだが、国土地理院で、緊張しつつ係の人に尋ねると、丁寧に教えてくれてとても感じがよかった。
 そんな係の人に私はひとつ嘘をついてしまった。マイクロフィルム化された各時代の版を閲覧して、必要な版のコピーを申請するのだが、その申請書に使用目的欄がある。うーん、鉄ちゃんと書くのは恥ずかしいし、で、記載した目的は、郷土史研究(^^;

 私が入手したのは、昭和25年発行の2万5千分の1『加古川』で、やはり目星をつけていた道路が専用線であった。それにしても、学生時代、古い地図の入手には苦労したのだが、こんなに簡単に手に入るとは。もしかしてその頃でもコピーはできたのだろうか。
 なお、これから国土地理院に行ってみようという方にひとつアドバイスを。1枚500円のコピー代は印紙で収めるのだが、国土地理院では入手できないので、予め郵便局などで購入しておくことをお勧めする。


 さて、加古川刑務所。刑務所か・・・・・うーむ。
 ちょっと中を見せてくださいというわけにはいかないし(^^;)、まあ、非合法なことをすれば合法的に入れられるのではあるが・・・・・(コラコラ)
 それよりカメラなんかぶら下げてうろうろしていたら、逆に怪しまれるんじゃないか。

 それにしても刑務所の専用線とは護送目的は思えないし、何なのだろうと加古川刑務所のことを少し調べてみると、もともとは太平洋戦争中の軍事施設(神野弾薬庫)だったそうで、なるほどそれなら専用線は合点がゆく。
 昭和25年発行の地図をコピーしたのもそれ以前の版では、ただの田畑だったためだが、軍事施設は地図に載せないことが多かったのでそれも納得。
 そうだ、刑務所ではなく、軍事施設の専用線跡と思って行けばいいんだということで、現地調査を決行する。


A地点(加古川刑務所)
 

【A地点 加古川刑務所】
刑務所西隣の公園駐車場にて。
右に見えるのが刑務所の塀。
塀のすぐ裏側に線路跡があると
思うのだが・・・


 加古川刑務所の西側に広がる日岡山は、今は一大公園として整備されており、刑務所西隣の公園駐車場に車を置く。

 現在の地図でも、刑務所内の専用線跡に沿って倉庫のような建物が並んでいるのが確認できるが、もちろん現地は刑務所の塀が巡らされて、中の様子を伺うことはできない。
 念のため、正門にまわってみると、『刑務所作業製品常設展示場』という看板が目についた。
 おお、これなら非合法なことをしなくても入れると思ったが、土曜の午後だったせいか、正門はチェーンで閉ざされていた。

B地点(線路跡の歩道)
 

【B地点 線路跡の歩道】
正面の刑務所から一直線に伸びる
専用線跡の歩道。


 おそらく線路跡と思う歩道をずっと歩いてきて、誰かに確かめてみようと思ったが、真夏の炎天下、出歩いている人などいない。
 ようやく、道路沿いの民家の庭先で、お孫さんの遊び相手をしていた老婦人を見かけた。しかし、突然、外から声をかけたら警戒されないだろうか、そんなことを考えるのも歳かと思いつつ、
「すみません、つかぬことをお聞きしますが、この道路沿いに線路があったのをご存じありませんか」
「ええ、ありましたよ、ちょうど歩道のところです。鉄道のことをお調べですか」
「そうなんです。いつ頃まで使っていたかわかりますか?」
「さあ、なんでも刑務所は元々弾薬庫で、向こうのハリマ化成は高射砲陣地だったそうで、そのための鉄道だったと聞いてますが、私らがここに住み出した頃はもう線路は草ぼうぼうで、使われていなかったように思います」
 とのこと。確かに戦時中ならともかく、刑務所となってからはあまり使われることはなかったのだろう。
 走っていた頃の様子を聞けなかったのは残念であるが、それよりも変な顔もされず、ごくごく自然に応対していただいたのが何よりであった。


C地点(ハリマ化成付近)
 

【C地点 ハリマ化成付近】
煙突の見えるあたりがハリマ化成。


 古い地図によると、このあたりから専用線は道路の反対側に移り、ぐぐっと弧を描いて西へ、加古川方面へ向かう。
 しかし、あいかわらずそれらしいものは残っていない。

D地点(新井水路)
 

【D地点 新井水路】
何の変哲もないコンクリート橋であるが、
のぞきこんでみると・・・


こ、これは・・・


 “ハリマ化成の横を抜けると、十字路がある。古い地図を見ると、専用線と平行していた道路はここで南に折れ、専用線だけ田んぼの中を西へ直進している。すなわち昔、道路はT字路だったわけだ。現在もこの十字路から南下する道路が本線のようで、専用線跡の道路はここからやや規格が落ちる感じになる。

 専用線跡の道路は、ほどなく郵便局の端の新井水路の小さな橋を渡る。事前に地図をチェックして、引込線の遺構を最も期待していた場所である。
 橋の部分だけ、きゅっと道幅が狭くなり・・・というシチュエーションを想像していたが、あにはからんや同じ道幅だ。これはだめかと橋の下をのぞくと、
「フッフッフッ、あるじゃないの」
 いかついコンクリート橋の下に古めかしいガーダーが窮屈そうに座っている。

 冷静になった今、考えてみると、これが専用線のものとは断定できないのであるが、そのときは橋の下をのぞいては、ニタニタしていたわけで、こういう姿を世間では「アブナイ」と言うのだと気付き、一人赤面している。もっとも顔が赤いのは日に焼けたせいもあるが、って関係ないか。くだらないことを書いて、よけい顔が赤くなる。(しつこい)




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