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 インターネットで鉄道関係のニュースをチェックしていたら、名松線の腕木式信号機が2004年1月26日廃止されたという記事があった。
 名松線に初めて乗車したのは2002年5月のことだから、それほど昔のことではない。
 実は『鉄道の疑問がわかる本』の取材と称して訪れたのであった。
 そのとき、ああ、やはり腕木式信号機はいいなあ、また来たいと思いながら、果たせないまま姿を消してしまった。
 そこで今回は、名松線の腕木式信号機への惜別の意をこめて、取材当時のメモを元に原稿を起こしてみた。
 ただ、そのときは雰囲気を記録するため、主にビデオカメラで撮影している。
 ここで紹介する写真も、ビデオをキャプチャーしたものが多く、解像度が低い点はご容赦願いたい。
腕木式信号機

 前夜に松坂入りし、翌朝、ホテルを出て、駅構内に入ると、ちょうど伊勢奥津からの一番列車が到着したところだった。
 既にパラパラと高校生が乗り込んだキハ11単行の一番前に座り、腕木式信号機のある家城の手前からビデオカメラを回そうと思っていた。
 隣では女子高生が念入りに化粧をしている。素顔でもかわいらしいのに、マスカラにファンデーション、そこまでしなくてもと、余計なことを考える。
 しばらくして、運転士が後ろ側に乗り込んだので怪訝に思ったら、後ろなのはこちらのほうだった。早朝で寝ぼけていたせいだろう、松坂で折り返して、当然に前後が入れ替わることをうっかり忘れていた。
 とはいえ、いつしか車内は高校生でほぼ満席なので、いまさら席も替われず、途中で空いたら前に行ってビデオを撮ろうと思い、そのまま座っていた。
 ところが、松坂を発車して、上ノ庄、権現前と進むにつれて、どんどん高校生が増えていく。車内は超満員となって、どこで降りるのだろうと思いながら、次の駅のホームを見ると、またまた高校生が大勢いて唖然とする。高校生たちがぎゅうぎゅう詰めで乗り込み、座っているこちらの頭にもかばんが押しつけられ、首を傾ける。時刻表では、朝のこの列車だけ土日と平日で時刻が違っていたが、高校生が乗り込む時間を織り込んでいるからだろう。平日はもう1両くらい増結したらいいのにと思う。
 家城の手前の関ノ宮でも高校生たちは降りず、このままではビデオ撮影どころか、家城で下車できないかも知れないと心配になる。果たして家城に到着すると、ぞろぞろと高校生が下車しはじめた。

下車する高校生 三々五々、学生たちが列車を後にする。



 高校生と一緒に乗降口から吐き出され、やれやれ。いや、それよりも、腕木式信号機はどこだ、と見やると、ああ、実物を見るのは何年ぶりだろう、凛として立つ腕木式信号機が遠望できる。

腕木式信号機遠望




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