表示がおかしい場合はこちらをクリックしてください。
文字を設定する場合はこちらをクリックしてください。

1/7

最初の思い出

 ホームページ開設3周年として、幼少のころ和泉多摩川で親しんだ小田急電鉄を取り上げたから、4周年記念は国分寺に引っ越した後の中央線だ、と思いながらも、いつしか月日は流れ、ついに今年(2008年)は10周年。
 いい加減何とかしなくちゃ、と腰を上げたものの、よくよく考えてみれば、転居先は中央線沿線とはいえ、国立駅からバス便の距離である。和泉多摩川時代の窓を開ければ電車が見える、なんて恵まれた環境ではなかった。
 おまけに中央線は既にすべて101系(当時はそんな形式名も知る由もなかったが)になっていて、小田急のようにバラエティがない。
 いつしか鉄道への興味は薄れ、小中学校時代はプラモデルに傾いてしまったのである。
 おかげでその頃の中央線で、かろうじて印象に残っているのは2つくらい。
 ひとつは中野〜三鷹間の高架工事である。中央線は、いつ乗っても工事中で何だか落ち着かない感じであった。もっとも何の因果か、今も三鷹〜立川間の高架工事で、ごちゃごちゃしているのは同じである。
 もうひとつは武蔵小金井での分割併合で、東京や新宿から帰ってくるときは、切り離される後ろ3両が空いているのでそちらに乗り、武蔵小金井で乗換えるなんてことをした記憶がある。
 逆に出かけるときは、座るためにわざわざ武蔵小金井で乗り換えたこともあったように思う。

101系と103系
 ところが、高校に入って、電車通学することになり、中央線は俄然身近なものになった。
 そこで、せっかくなのでそのころに撮った101系の形式写真を載せておこうと思ったら、これがまたまともな写真がほとんどない。
 その中でなんとか選び出したのが、少し時代は下がった1979年に豊田電車区で撮った101系と103系の並び写真。普段は見分けがつきにくい両形式だが、こうして並べてみると、結構違いがわかる。
 (そう言いながら、ちょっと不安になるのだが、右が101系、左が103系で間違いないよね)

 ところで、いつも書いているように、高校で鉄道研究会に入会した当時は、鉄道に関しては全くのど素人で、先輩から、
「中央線で通学しているならいつも見るだろうけど、やっぱり特急『あずさ』は183より181のほうがいいよね」と尋ねられても、
「?」という状態だったのだ。
 言うまでもなく、181系は元祖『こだま』151系の流れを汲むボンネット型特急車両、183系はそのボンネットをすぱっと切り取ってしまったようなデザインの特急車両である。
 左の写真が1975年に撮影した181系の後追い写真で、場所はおそらく国立〜立川間。181系は、この年に中央線から引退してしまい、実を言うと、これが私の撮った唯一の181系『あずさ』なのである。
 右の写真は4年後の1979年、上の101系と103系の並び写真と同じ日、豊田〜八王子間で撮った183系『あずさ』である。この183系も今は『あずさ』の運用から外れてしまった。

181系   183系

 中央線で初めて鉄ちゃんらしき行動をとったのは、1975(昭和50)年3月10日のダイヤ改正で、中央線の鈍行客車が無くなると聞いて、最終日の3月9日、新宿〜立川間だけ乗りに行ったときであった。
 左の写真は、立川駅に進入中の客車を撮ったもの。写真を拡大すると、客車はオハ35の3278と読める。
 ん?ちょっと待て、立川まで乗車したはずなのに、なぜそんな写真を撮れるのか、って?
 実はこの写真を撮ったのは弟で、今風に言えば私は乗り鉄、弟は撮り鉄という役割分担だったのである。
 右の写真は、その立川駅に停車中のEF64の41号機牽引の客車列車。これはどちらが撮ったのか、思い出せない。

オハ35   EF64

 そして最後に、同じくこの日が最終となってしまった気動車の急行『アルプス』を撮ったのであった。
 なんともシャッタータイミングが早すぎて間の抜けた写真であるが、実は気動車『アルプス』の写真もこれしかなく、私にとっては貴重な1枚なのである。

気動車急行『アルプス』

【2008年11月記】
『上野原〜勝沼』につづく

目次へ 次へ
表紙へ

 本文のフォント(文字)を設定できます。

 大きさ→

 行 間→

 濃 淡→