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オムニバス/別れ

 <神戸阪急>
 禁煙しましたと、いつか言えればいいのだが、現時点で私はまだ喫煙者である。
 煙草はいつも10箱入りのカートン買いで、縁あって、神戸阪急の進物コーナーで買い求めていた。あの韓国の女子大生が、阪急電鉄と間違えて駆け込もうとした百貨店だ。

 毎週のようにカートンを買うので、進物コーナーの5〜6人の店員とは、みな顔なじみになっていた。
 奥のストック棚を見ることはできなかったが、どうやら私専用の棚もあったようだ。繁忙期に手伝いに来た店員が「売り切れです」と言うのを聞きつけて、顔なじみの店員が「宮田さんの分は、ちゃんと別にキープしてあるんですよ」と出してくれたことで知ったのである。

 その日も、いつものように進物コーナーへ行くと、店員が「来たわよ」とばかり、もうひとりの店員Sさんに目くばせしている。それで私に気づいたSさんが、そそくさと奥に消えて、レジ袋に入ったカートンを持ってきた。普段は奥から裸のカートンを出して、目の前でレジ袋に入れるのに、今日はちょっと違う。
 Sさんは、進物コーナーの責任者で、もっとも懇意にさせてもらっているのだが、そもそもSさんの様子も、どことなくおかしい。
 「これで在庫がなくなりました」
 「ああ、そうなんだ・・・」
 そう、神戸阪急は店じまいを控えていて、仕入れも止めてしまったのである。最後のカートンだから、Sさんの様子が違ったのかと、そのときは思っていた。

 横着な私は、買ってきたカートンをレジ袋の中に入れたまま、手探りで皮をむくように包み紙を少しずつ破いては、煙草の箱を取り出している。
 最後のカートンも同じようにして何箱めか、レジ袋に手を突っ込んで、破こうとした包み紙がひっかかる。おかしいなとレジ袋を改めると、包み紙にSさんからのメッセージカードが貼られていた。
 「値上げしたら煙草をやめないとなぁ、と言っていたのに、今日まで来ましたね」なんて憎らしいことも書いてある。
 おそらくSさんは、メッセージを貼った最後のカートンを予めレジ袋に入れて専用の棚に置き、私が来るのを待っていてくれたのだろう。それを他のメンバーにも伝えていたので、Sさんに目くばせして知らせたに違いない。
 Sさんの様子が違っていた理由はこれだったんだ。ちょっと胸が熱くなる。

 そんなSさんのメッセージに気づかず破こうとしてしまった自分のそこつさを償う意味でも、最終日に挨拶に出かけた。
 「最後に風邪をひいてしまいました」というSさんは、本当にやつれた感じで、痛々しい。店じまい後も数日は片づけで、その後、異動先の発表があるという。
 うまく言葉が見つけられず、会話が途切れる。それを見計らったように、Sさんから先に「またどこかで」と最後の言葉をかけられてしまった。異動先がわからないのだから、そう言わざるを得ないのだ。Sさんに同じ言葉を返し、別れを告げたのであった。


<タリーズ>
 『つかのま』で書いたとおり、なじみの店員が転勤などでいなくなり、楽しみがなくなったタリーズであるが、他に適当な店もなく、その後も通っていた。
 不思議なもので、そうしていると、新しい店員にも顔を覚えられるもので、少しずつ会話を交わすようになった矢先のことだった。
 「もうオープンにしてもいいのでお伝えしますが、実は店を閉めることになりました」と言う。
 そのタリーズが入っている商業エリアは、リニューアルのため3ヶ月ほどクローズすることは聞いていたが、タリーズはそれを契機に撤退してしまうそうだ。
 結局そういうことになるのか・・・。脱力感にも似た感覚にとらわれる。
 それにしても、『余談』は、店じまいのことばかりだ。どこかに書いたが、やはり私は疫病神なのだろうか。


<異動>
 そう言っている自分が異動となってしまった。転居するわけではないが、勤務先は神戸からずっと西の兵庫県の郡部に変わるので、転勤である。
 これで30年以上通い慣れた神戸ともお別れだ。次々と、なじみの店が消え、顔なじみの店員が去り、次はおまえの番だと引導を渡されたような気もする。
 確かにいろいろな意味で潮時なのだろう。
 メーカーに入社しながら、なぜかほぼ30年、不動産関係の仕事だけを続けていた。そんな私は、ある上司から「おい、悪徳不動産屋!」と呼ばれていた。その言葉に嫌みはなく、親しみと信頼の裏返しと感じていたものだ。
 しかし、いかんせん長すぎた。世間から見ても、異例のキャリアである。潮時というのもとうに過ぎている。
 かくして、ついに悪徳不動産屋も店じまいである。



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