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見習い

 続けての「余談」は、3年以上もお蔵入りさせていた原稿を引っ張り出して、手を入れてみた。
 内容は、またまた女性、お気に入りの女性職員のことである。
 女性職員といえば、以前、ドトールコーヒーの店員のことを書いたが、今回はJRの女性駅員。仮にK駅のFさんとしておこう。
 
 彼女と初めて会ったのは、乗車券でちょっとややこしい買い方をしてしまい、その精算のために『みどりの窓口』を訪れたときのことだ。
 ややこしい買い方というのを説明するのもややこしいのだが、簡単に言えば、一部区間を重複して2組の往復乗車券を買ってしまったので、重複する区間を払い戻してもらうつもりだったのだ。
 今はどこの窓口などでも、1列に並んで順番に空いた窓口につくという公平な並び方をするようになった。K駅の『みどりの窓口』も同じである。
 注文が注文なだけに、なるべくベテランに当たりたいな、と思いながら、自分の番がくると、窓口には若い女性駅員がなぜか二人いる。
 見れば胸に『見習』というバッチをお揃いで着けていて納得したが、少し気が重い。馬鹿にしているのではなく、おそらく見習には手に負えない注文だろうと思ったのである。
「見習の方にはちょっと大変かもしれないけど」と前置きを言うと、
「あ、やっぱりそっちを見ていたんですね」
「え?」
「胸に視線がいっていたので」
「え?胸!?」(胸をいやらしそうに見るセクハラおやじと思われたか?)
「名札の名前を読んでいるのか、見習というのを読んでいるのかどちらかな、と思ったんですけど」
「ああ、そりゃ失礼」(ほっとしながらも、おもしろい子だというのが第一印象)
「見習ですが、がんばります。何でしょうか」
 事情を説明すると、理解はしてもらえたものの、やはり処理方法がわからず、相談しに一旦奥に引っ込んでしまった。そして、会社にいる私と似たような風貌の男性、すなわち、苦虫を噛み潰したような顔の上司が出てきて、タメ口で一言、「もう両方とも使い切ったんじゃないの」
 そう来られたら負けてはいられない、「使い切ったら手元に残るはずないだろうが!」と言い返す。
 突如緊迫化してしまった展開に、見習の女性駅員が顔色を変えて、「事情はお聞きして間違いありません」と口を添えてくれる。「おお、上司ではなく客の味方をしてくれるんだ」とその女性駅員がいっぺんに気に入った。
 結局、その一言が利いて、男性駅員が精算額を計算し始めた。その間を取り繕わなくてはいけないと思ったのか、女性駅員が話しかけてきた。
「お忙しそうですね」
「ちょっとこのところ立て込んでいてね。いつから窓口に?」
「実は昨日からなんです。まだぜ〜んぜん分からなくて」と言う彼女を、横の同じ見習の女性駅員が「余計なことを言うんじゃないの」とばかり小突いている。
 でも、正直言うと、そういう屈託のなさは嫌いじゃない。

 それから1〜2週間後、たまたま『みどりの窓口』の前を通りかかると、誰かが手を振る気配に気づき、目を向けると、その女性駅員が「お〜い」とばかり、こちらに手を振っているのであった。
 覚えてくれたのはうれしいが、さすがにちと恥ずかしい。案の定、隣の男性駅員が彼女に「誰?」と尋ねている。彼女が何と答えたのかは聞きとれなかったが、屈託のなさは天然のようである。

 こうして、顔なじみになったFさんから、何度か乗車券や特急券を買うようになったころ、いつものように『みどりの窓口』に行くと、
「こんにちは、宮田さん」とFさんから声がかかり、どきっとしてFさんの顔を見返す。
「あ、ごめんなさい、名前違いました?」とFさんも困惑げだ。
「いや、合ってるけど、なんで名前知ってるの?」
「だって、いつもクレジットカードでサインしてもらってるじゃないですか」と笑みを戻したFさんが答える。
「なるほど!」
 もともと私が女性びいきであることは否定しないが、数をさばかなくてはならない駅の窓口業務で、お客さんの名前を覚えようとするFさんがますます気に入ったのである。

 ある日、窓口でFさんがいささか元気のない様子だ。「どうしたの」と話しかけると、
「お客さんと余計なことをしゃべりすぎるって怒られちゃって」と言う。
「そんなことないよ、事務的にお金と切符をやりとりするだけじゃつまんないじゃない」
「でも、カメラでマークされてるんですよ」とあごを小さくしゃくる。見上げるとそこには監視カメラがつけられていた。もちろん防犯用で、マークされているというのはFさんのジョークだろう。
「あっホントだ。よ〜し、一緒にカメラに手を振ろうか」と茶化すと、
「やめてください!」いつになく真剣である。
「本当にそんな無粋なことを言う上司がいるなら、俺が掛け合うよ。応援してるからね」
 と励ましたつもりであったのだが・・・。

 それからしばらく経ったころ、そういえば最近Fさんの姿を見ないなと心配になり、思い切って『みどりの窓口』で尋ねると、「辞めたんです」との答え。
 そのやりとりを聞きつけて、一人の女性駅員が近づいてきた。思い出した、Fさんと一緒に見習いで並んでいた同期の女性駅員だ。
「本人も、ご挨拶できないことをすごく気にしていたんですが、本当にお世話になりましたと伝えて下さいとのことです」
「そうですか・・・」がっくり肩を落として『みどりの窓口』を出る。

 それがもう昨年のことである。
 もともと3年前に原稿を書いたときは、単にお気に入りの駅員という話だったのだが、まさかこんなに早く終焉を迎えるとは思ってもいなかった。
 今では憶測でしかないが、やはり、Fさんの屈託のない性格は、JRの社風に合わなかったのかも知れない。
 でも、機転の利く頭のいいFさんのことだ、今ごろどこかでその天分を存分に発揮して活躍しているに違いない。私とはまた別のファンがたくさんついていることだろう。そう信じている。

【2007年8月記】

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