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尾小屋鉄道 路線図
地図

 『尾小屋鉄道』 大正8年(1919年)鉱山鉄道として開業した軽便鉄道で、新小松〜尾小屋間16.8Kmを結んでいた。晩年は、希少な軽便鉄道として、鉄道ファンはもちろん、映画やテレビのロケなど注目を浴びたが、昭和52年(1977年)3月、廃止されてしまった。

 そんな尾小屋鉄道に行ったのは、もう最晩年の昭和51年夏のこと。その年の高校の鉄道研究会の年間テーマ『軽便鉄道』の合宿で訪れたのだった。私のひとつ下の鉄研メンバーは、バリバリの鉄ちゃんばかり。後に、その筋では有名なトロッコの愛好団体『羅須地人鉄道協会』に参加したメンバーもいる。『軽便鉄道』というテーマはもう必然としか言いようがない。

 さて、その夏合宿、北陸本線の小松まで、夜行急行の『越前』で入ったという記憶がある。例によって自信なさげなのは、合宿のため、夜ゆっくり日記を書く間もなかったので、メモがほとんど残っていないのだ。それなら年間テーマをまとめた機関誌があったはずと探してみたが、見あたらない。
 しかたなく、ネガを順に追ってみると、雨の新小松駅から始まっている。そうだった、この合宿は雨にたたられたんだ。確か3日間の行程の初日と最終日が雨だった。合宿には女子部員も同行したはずだが、しんどい夜行急行で一夜を明かし、早朝から雨の小松で降ろされ、おんぼろ列車に乗換えるなんて、何の因果かと思ったことだろう。

雨の新小松駅
雨の新小松駅に停車中のキハ1
唯一、沿線の印象を車内で走り書きしたものが残っているので、これを参考に尾小屋までの情景を綴ってみよう。
 尾小屋鉄道は『新小松』を出ると、すぐ半径100mの急カーブを切って、北陸本線と別れを告げる。『西吉竹』、交換施設のある『吉竹』を過ぎると、25パーミルの急勾配で山中に入る。
 『遊園地前』といっても、小さな池があるくらいで淋しいところだが、鉄ちゃんにとっては撮影スポットとして有名なところ。ここから次の『花坂』までなかなかの景色がつづく。
大杉谷口にて
大杉谷口付近の橋を渡るキハ2

 交換可能でいい感じの『西大野』からは、道路をはさんで山すそを走り、『大杉谷口』に着く。ここを出るとすぐに川を渡り、急カーブでS字を切って『金野町』、そして田んぼの中の交換駅といった風情の『金平』に着く。他にも交換駅はあるが、晩年、実際に交換をしていたのは、この駅だけだったと思う。
金平にて
キハ3が待つ金平駅に進入するキハ1

波佐羅の大カーブ
波佐羅の大カーブをゆくキハ3

 『沢』『塩原』を経て、田んぼの中を、今度はゆったりと弧を描いて『波佐羅』に至る。この大カーブも撮影定番ポイントである。
郷谷川を渡るキハ3
郷谷川を渡るキハ3

 『観音下(かながそ)』からは再び山中に入る。小さなトンネルを出ると、小渓谷という感じの郷谷川に沿って走る。このあたりもなかなかいい。そして『倉谷口』『長原』、この駅のすぐ手前で川を渡る。
 そして次は終点『尾小屋』だ。谷あいの終着駅にふさわしい、いいムードをかもし出している。



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