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蒲原鉄道路線図
地図


「悪いが、仕事納めの日に東京出張してくれるか」
 1984年(昭和59年)の暮れもおしせまったある日、上司に命じられた。
 当時まだ独身で、年末は東京の家に帰ることを上司も見越して、私が適任と思ったのだろうが、どっこい私は蒲原鉄道や東北をまわって東京へ帰るべく、早々に大阪発の新潟行の急行『きたぐに』の指定券を購入していたのだった。
 とはいえ、そんな事情を言えるはずもなく、『きたぐに』はキャンセル、東京から上越新幹線の長岡経由で信越本線加茂へ行くことにして、急遽、加茂駅前の旅館を予約したのであった。

 12月28日出張当日、仕事(用件はもう忘れた)を終えた私は夕方、東京駅から新幹線リレー号で大宮に向かった。当時はまだ東北・上越新幹線は大宮始発だったのだ。年末の急な予定変更で指定券はもちろんなく、自由席で立っていったが、長岡まで1時間程度なので苦にはならない、本当に近くなったものだ。
蒲原鉄道改札口
運休の札がかけられた蒲原鉄道の改札口


 それよりも気になったのは、その日から日本全国が猛烈な寒波に襲われていたことで、上越新幹線の車内放送でも在来線が相当乱れていることを告げていた。それでも長岡で乗り換えた信越本線の普通電車は定刻に発車し、ほぼ予定どおり加茂に着いた。 しかし、積雪量は尋常ではない、いやな予感がして蒲原鉄道の改札をのぞくと、果たして「雪のため運休。代替バス運行」との看板が下げられている。がっくりきてとぼとぼと宿へ向かった。
「ごめんください」
「あら、来た!」
 奥からおかみさんの焦ったような声が聞こえて、またいやな予感。
 冷え切った部屋で慌ててストーブをつけるおかみさんが言った、
「この雪でしょ、今まで泊まっていたお客さんもみんな帰ってしまって、もうてっきり来られないかと思って部屋も暖めてなくて、すみません・・・」
 本当に来ないと思って食材もなかったのだろう、しばらくして出された食事は極めて質素なものだった。確かにこの雪だ、来ないと思われてもしかたない、こちらも事前に連絡すればよかったのである。
代替バス
加茂〜七谷間の代替バス

 翌朝、外を見るとさらに雪が増えている。念のため駅へ行ってみるが、やはり運休の札。しかたない、バスで車庫のある村松に行き、雪に埋もれた電車たちの姿でも見ようかと駅員に尋ねると、「代替バスは七谷までで、そこから先は電車が動いてます」とのこと。
 やった、と小躍りしてバスを待つ。しかし、はやる気持ちとは裏腹にバスはなかなか来なかった。
 信越本線の加茂駅に特急『北越』が雪まみれでやってきた。こんな朝早くに北越?と怪訝に思うと、構内に「北越3号・・・?、えーいや、この列車は昨日の北越1号です」と戸惑った声でアナウンスが流れた。実に22時間遅れ、車内を伺うと、ドヨーンとした空気が流れていて、見てはいけないものを見てしまったような感じである。
 乗るはずだった『きたぐに』は運休、信越本線はガタガタになっていた。出張でやむなく東京経由になったのは結果的に正解だったわけだ。

 30分くらい遅れてきたバスに乗り込み、ようやく七谷へ向かうが、バスはソロリ、ソロリと足元を確かめるように走る。なるほど、これでは遅れるはずだ。
 七谷に着くと、電車はもういない。バスが遅れたので行ってしまったのだろうと待合室に入ると、思いもよらず大勢の人が腰掛けている。
「どうしたんですか」と尋ねると、一言、
「電車が来ない」
 電車は『もういない』ではなく、『まだ来ない』のであった。
 しばらくして、駅員が「まもなく電車が来ます」と告げ、雪を満載したモハ71がやってきた。
 折り返しの電車を近くで撮るつもりであったが、やはり『もういない』と思い込んでいたのだろう、漫然と時刻表を見て『次の』発車時間まで暇だなあなんて思いながら待合室でストーブにあたりのんびりしていた。もちろん、遅れていた電車は乗客を乗せるとさっさと発車してしまった。
「しまった!後姿だけでも撮ろう」と慌ててホームに駈け上がる。それを認めた駅員が「止まれェー」と叫ぶ、ギギギギギッ、ブレーキの音が響き、電車は急停止した。車内からも何事かと視線を浴びる。
「エッ?、アッ!?、ウッ!」一瞬状況が飲み込めず言葉を失ったが、慌てて「すみません、乗るんじゃないんです」と平謝り、モハ71は再びブレーキを緩め、発車した。
 しかし、ここでカメラを構えたらひんしゅくものだろう。私はカメラを後手にそっと隠し、ホームに立ち尽くしたまま呆然と電車を見送った。
モハ71
足回りが欠けてしまったモハ71
(七谷〜冬鳥越間にて)

 ダイヤなんてあってないような状況であったが、時刻表では約1時間ごとになっているので、村松で折り返すか交換する運用になっているようであった。ということは、次に七谷に電車が戻ってくるのは、約1時間後と踏んで、ふらふら沿線を歩き撮影ポイントを探す。
 結局、これといった場所を見つけられないまま、ほぼ予想どおりの時刻に電車が来てしまい、撮った写真は足回りが除雪された雪で隠れるという、しまらないものになってしまった。折り返しの電車は少し戻って撮り、さすがにまた1時間も寒中をうろつく元気はなく、待合室に一旦戻って暖をとる。 また電車が来るのを見計らって七谷駅付近で撮影するというパターンを2回ほど繰り返した後、あの信越本線の状況では、早めに出ないと東北方面へ行きつけないかも知れないと心配になり、早々に代替バスで引き返してしまった。

 余談だが、その東北では、羽越本線で日本海沿いを走る20系寝台急行『天の川』を撮ろうと思っていたのだが、雪のため奥羽本線経由に変更されて撮り逃したり散々で、意地になって日程を延ばしているうち、年が明けてしまい、家に帰ったのは元旦の夕方であった。
「まったく、今までどこをほっつき歩いていたんだ」と親からはこれまた散々であった。

 【2000年1月記】



『蒲原鉄道 夏景色』で思いもよらぬかたちで七谷駅再訪と書いたとおり、
豪雪のために代替バスで七谷駅まで行くことになるとは思ってもみませんでした。
鉄道撮影で、こんな大雪は経験したことがなく、もう少し時間をとって
村松などへも行っておけばよかったなんて今さらながら感じています。
また機会があれば再チャレンジしたいと思ってみても、
蒲原鉄道自身が廃止されてしまった今となっては、かなわぬ夢です。


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