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土佐電気鉄道 後編

 やる気は完全に戻って、はりまや橋から元ノルウェー市電198形に乗って岸壁通へ。いよいよ土佐電鉄本社・車庫訪問だ。堂々胸を張って本社の正面玄関へ向かうが、敵もさるもの、人気のない広い玄関は、いかにも『本社』というオーラを放ち、近寄りがたい。しばらくにらみ合いを続けるが、ガラスの扉に映る自分の姿はジーンズにポロシャツのラフなスタイル、「う〜ん、負けだな・・・」
 きびすを返して、別の突破口を探すと運転士の詰所らしき場所があった。ここなら声をかけやすそうだ。
「あの〜、車庫を見学させていただけないでしょうか」
「見学の受付はここじゃないんですが・・・」
「あ、そうでしたか(白々しい)、どちらへ行けば?」
「まあ、いいですよ。気をつけて見てください」
車庫全景
車庫全景

 土佐電鉄の保有車両数は60余両。日本一の規模の広島電鉄には及ばないものの、2位の長崎電軌とほぼ同じ両数だ。ついでに言えば、いわゆる『軌道法』に基づく路線長は、土佐電鉄が日本一になる。
 そんな土佐電鉄の車庫は、敷地も広く、たくさんの電車が休んでいた。
 早速、車庫に向かって歩き出すと、何と水路が横切っている。水路を渡るには線路内の歩み板を歩くしかないようだ。
 いつものことであるが、車庫の見学といえども、線路内を歩くのはタブーである。万一、事故なんて起こしたら、自分が傷つくだけでなく、好意で見学させてもらった恩を、仇で返すことになってしまうからだ。
 でも、このときばかりはやむなく線路内を歩いて水路を渡らざるを得なかった。

 土佐電鉄名物のドイツ、ポルトガルなどの海外の路面電車が、毎年のゴールデンウィーク恒例の『電車まつり』に備えて並んでいた。海外の電車を一両一両見ながら奥へ進むと、トラバーサの手前に『カ1』と書かれた単車がいた。『カ』とは貨物のことであろう、電動貨車の好ましいスタイルに思わずシャッターを切る。
 ふと、後ろに人の気配を感じて振り向くと、土佐電鉄の職員の方が、私の撮影が終わるのを待っていた。
7形
レトロ単車の7形

「あ、すみません。どうぞ通ってください」と言うと、
「ゆっくり撮ってくださいよ。単車なら奥にも一両ありますから、後で見てください」
 丁寧な受け答えに恐縮する。穏やかな口調に土佐電鉄への愛着を感じる。現場にはこういう雰囲気があって嬉しい。

 奥の単車とは『7形』、『維新号』として、昭和59年(1984年)復元されたものだ。形態は古いが、土佐電鉄では最新車両だったりする。『7形』も『電車まつり』で走るのだろう、ピカピカに整備されていた。
 工場内では、2両の600形が大掛かりな整備を受けていた。聞けば両方とも全般検査だそうで、2両いっぺんに並んで検査を受けるシーンはなかなか見応えがある。
 台車も外され、さらにその台車から外された車輪やモーターを撮影していると、
「おい、ストロボ使わんかい」と声をかけられた。
「いや、作業中にストロボ焚いたら迷惑でしょう?」
「構わん、構わん」
 その方はカメラの趣味をお持ちのようで、しばらくカメラ談義となってしまった。
「向こうでタイヤを削る作業が始まるぞ」と促されて行ってみる。
タイヤ研磨機
ピカピカに削られた車輪

 大きな旋盤のような機械に車輪が据え付けられ、ツツツっとあっという間に削って、削りかすがくるくるとバネのようにまるまって出てくる。タイヤを削るシーンを見るのは初めてで、カンナがけをきれいにできたときのような、いや、大根の桂剥きがうまくできたときのような、うまく表現できないが、そんな小気味よさであった。

 車庫や工場へ行くと、面白くてついつい長居をしてしまう。でも、この後に後免へ行かなくてはいけない。かえすがえすも昼間のつまらないロスタイムが痛い。後ろ髪を引かれる思いで本社・工場を後にして、はりまや橋に戻り後免に向かう。既に日は傾きかけていた。

【2000年5月現地、同年10月記】


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