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土佐電気鉄道 前編


はりまや橋にて
電車を横目に自転車が行き交う
 高知の朝の通勤・通学風景はどんなだろうか。そう思って8時ごろ、はりまや橋の交差点に立ってみた。
 確かに電車も車もひっきりなしにやってくる。でも、最も目を引いたのは、高校生を中心にした自転車の大群であった。一体どこにそんなにたくさんの自転車があるのかと思うくらい、あちこちからやってきて、交差点を北へ南へ颯爽と駆け抜けていく。
 そんな自転車たちも、20分もすると、すっと潮が引くように消えていった。すこし静かになったはりまや橋で定番の橋と電車をからめて写真を撮る。まだ観光客の姿は見えない。

 例によってホテルに一旦戻り、土佐電鉄西端の伊野へ行った後、またはりまや橋に戻って、桟橋線に向かう。
 この行程は、もちろん本に書いたとおりであるが、時間にして2時間ほど、省いた部分がある。この空白の2時間に何があったのか、ここで明らかにしよう。実はその間、私は危機的状況に陥っていたのである。
 一旦、話を伊野に戻す。ここからの電車はほとんどが知寄町行きだが、1日数本だけ、はりまや橋を右折して岸壁通に向かう電車がある。たまたま乗ろうと思った電車がこれに当たったので、ちょうどいい、岸壁通まで行って、お昼を食べてから車庫を見学させてもらおう、と乗りこんだのであった。
 ところで、はりまや橋で右折と書いたが、実際は、高知方へ一旦左折して、スイッチバックして岸壁通へ向かうのであった。左折したときは驚いたが、考えてみれば原付バイクの2段階右折のようなもので、なるほどこのほうが合理的だ。
 そして、次の瞬間、運命の危機的状況が突然に訪れたのであった。左折にびっくりしたせいか、急に腹に差込みが走ったのである。「ううう、これは昼飯どころじゃない、トイレが先だ」
 しかし、岸壁通で降りると、それらしいものが何もない。これはいかんと慌ててはりまや橋に戻る。岸壁通からはりまや橋まで停留所数は6つ、10分ほどなのだが、その時間の長いこと。状況は刻一刻と悪化の一途をたどり、はりまや橋直前の潮江橋を渡るとき、電車がゴンゴンゴンと揺れて、「ウググ」と思わずうめき声が漏れてしまった。いや肝心なものが漏れなければうめき声くらい、って汚い話で申し訳ない。
 はりまや橋の某百貨店のトイレに駆けこみ、「ふうううう」、どうにか事なきを得たのであった。
 突然だが、漫画の『巨人の星』で、甲子園出場の壮行会で食べ過ぎた野球部員たちが腹を下し、甲子園でメロメロになるという話があった。本当に腹下しは体力も気力も下ってしまう。トイレから出ると「もう神戸に帰りたい」と取材意欲も失い、精神的にも危機的状況に陥ってしまったのである。

 とにかくどこかで休憩しようと、とぼとぼとはりまや橋近辺を歩いていると、『ビーンズ・デリ』というテラスカフェが目に入った。もう昼休みを過ぎたせいか、お客はひとりもいない。お腹も落ち着いてきたので、少し何か入れておこうとカップケーキのような小さなパン(それにしては値段が少々張る)を食す。
ビーンズ・デリ店内から
ビーンズ・デリ店内からの光景
コントラストが強すぎて、わかりにくいけど、
全面広告の派手な電車が走っている。

 穏やかな昼下がり、開店してまだ1年余というしゃれた店のテラスで、コーヒーを飲みながら路面電車の走る様を眺めているうち、むくむくとやる気が起きてきた。
 しまいこんでいたカメラをバックから取り出し、お店のお嬢さんに断って、店内から路面電車の写真を撮る。「何かの取材ですか」と言うお嬢さんに、「うん、そうなんだよ」なんて答えたら、もうプロ気取り。
 数枚写真を撮って、「ありがとう、邪魔したね」とかっこつけて店を出る。我ながら決まった!と思った瞬間、後ろから「お、お勘定まだなんですけど」という呼び声。ああすべて水の泡。
 どうも今回の話は水っぽい。

【2000年5月現地、同年8月記】




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