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東京都 交通局
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 2001年12月の東京出張の折、約20年ぶりに東京都電を訪ねてみた。
 もともと東京出身であるし、神戸に住んでからも、仕事も私用も合わせて、何度も東京へは来ているのだが、都電に乗ることはもちろん、見かける機会すらなかったのである。
 東京というと、新宿、渋谷、品川、新橋など、出かけるのはどうしても山手線の南半分になってしまう。早稲田〜三ノ輪橋間、12.2kmを走る都電は、山手線の大塚、京浜東北線の王子で2回もクロスしているのだが、なかなか行く用事がない。おそらく、東京以外の人は、大塚、王子という駅名を聞いても、ぴんとこないのではないかと思う。

小台にて
小台付近は道路幅が狭いので、
併用軌道になっている。
 さて、久しぶりの都電、どうやって入ろうか思案したあげく、日比谷線の三ノ輪橋で乗り換えることにした。都電の三ノ輪橋の電停は、大通りからひとつ入った目立たないところにある。実は20年ぶりというのは、大学の卒業アルバム用に、鉄道研究会のメンバーで記念写真を撮りにきて以来ということになる。記憶ではもう少し広々としていたように思うのだが、思った以上に小ぢんまりしている。

 ここから、最新型の8500形で一気に早稲田まで乗車。一気とは言うものの、およそ50分の行程で、結構乗りがいがある。
 朝のラッシュも過ぎたこともあってか、乗客もまばらな8500形の一番前の座席に座って、三ノ輪橋を出発。ようやく町屋駅前で大勢の乗車があって、立ち客が出始めた。
 町屋駅前から乗車した老婦人が、目の前に立った。これは席を譲らねばと思ったら、その老婦人は前面窓越しにカメラを構える。それもバカチョンカメラではなく、本格的な一眼レフである。おお、鉄ちゃんなのか、それも老婦人だから、おば鉄ちゃん?
 おば鉄ちゃんは、行き交う都電に向かって、さかんにシャッターを切っていた。席を譲ろうと思ったのも、目の前に立たれると、前方が見えなくなるというのが本音でもあったが、そんな様子では譲っても断られるだろう。
 熊野前から併用軌道になったと思ったら、道路とは分離されて、いわゆるセンターリザベーションになっている。それでも宮ノ前〜小台間だけは道路幅が足りないのだろう、併用軌道が残っていた。ただ、どうやら道路拡幅の工事中だったので、半年以上たった今は、様子が変わっているかも知れない。
 たくさんの都電が休む荒川車庫から、いくつかの電停を経て、JRの高架横で少々薄暗い王子駅前に到着。ほとんどの乗客が慌しく入れ替わる。
飛鳥山付近
飛鳥山付近の併用軌道で行き交う電車。


 ここから、飛鳥山までは、また併用軌道で、車と一緒にぐいぐい坂道を登っていく。坂の途中に信号もあるので、雨の日など信号にかかってしまうと、坂道発進はたいへんなのではと思う。
 飛鳥山からは閑静な住宅街という感じだ。そして大塚駅前で再びJRに接続。大塚駅前を出ると、また坂道を登る。東京都心は、意外に起伏に富んでいることを改めて感じさせる。
 しばらく進むと、雑司が谷、鬼子母神と観光でも有名な電停が続く。おば鉄ちゃんは、鬼子母神で下車。都電の写真を撮っていたのも、もしかしたらタウン誌などの取材だったのだろうか。
 鬼子母神を過ぎると、車内は振り出しの三ノ輪橋に戻ったように閑散となってしまった。終点早稲田のひとつ手前、面影橋に着くと、思いもよらず、「面影橋です。よろしいですか」と運転士の肉声でアナウンスが入る。「おります!」おばちゃんが慌てて下車していった。そういえば大塚駅前だったか、「面影橋行きますか」と尋ねていたおばちゃんがいたことを思い出す。運転士はちゃんと覚えていたのだ。

わんわん電車
「ほら、わんわん電車よ」とお母さんに
言われる前から、坊やの目は電車に釘付け。
 終点早稲田は、路面電車にありがちな、街中の道路の途中で唐突に行き止まりになるという感じで、特に見るべきものもなさそうだ。とはいえ、乗ってきた電車でそのまま引き返すのも能がないので、1本やりすごし、自動販売機で缶コーヒーを買って一服。
 次にやってきたのは7000形、これに乗って、まず学習院下まで戻る。ここで定番のサンシャインシティをバックに写真を撮って、また電車に乗って大塚駅近辺の併用軌道へ。その後、飛鳥山〜王子間、小台など小刻みに途中下車しては撮影しつつ、三ノ輪橋に戻る。昼には帰ってくるつもりであったが、三ノ輪橋で遅い昼食にありつけた頃には、もう陽が傾いていた。

【2001年12月現地、2002年7月記】


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