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熊本市 交通局 後編
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車庫に進入する1300形。
(交通局前にて1975年撮影)
 通町筋から健軍町行きの電車に乗り込み、交通局前で途中下車。前回、車庫を見学させてもらったのが1975年のことだから、25年ぶりということになる。それでも車庫への引込線が、本線から分岐してカーブを描く様など、全く変わっていないようだ。庫内にも25年前と同じ1090形などの旧型車の姿が見える。クーラーや塗装などのマイナーチェンジを受けたくらいで、昔の面影のままの姿に、なんだかほっとする。それにひきかえ、こちらは、いつのまにか初々しい?高校生から中年のおっさんに変貌してしまった。「おいおい、老けこむのはまだ早いぜ、しっかりがんばれよ」逆に彼らに励まされるようであった。

 交通局から終点健軍町に着くと、ちょうど超低床車の9700形が折り返すところだった。早速飛び乗り、エルパーサーと呼ばれる女性車掌に「写真撮らせてもらっていいですか」と声をかける。了解は得られたものの、おそらく、そんなふうに鉄ちゃんから声をかけられることが多いのだろう、ちょっと迷惑そうであった。
 超低床車という構造ゆえ、座席数の少ない9700形であるが、土曜日の朝ということもあって、車内は立つほどでもなく空いている。そのまま一気に反対側の終点田崎橋まで行き、また折り返す。途中、熊本駅前で数分間停車。終点の田崎橋は単線なので、時間調整は熊本駅前でするのだろう。運転士と女性車掌も外に出て、にこやかに談笑している。まさに束の間の休息という微笑ましい様子に、思わずカメラを向けたくなる。ただ、たとえ「写真を」と断ったところで、先ほどの例もあり、せっかくの雰囲気に水を差してしまいそうだ。結局カメラはしまって、こちらも一服しよう、と煙草に火をつけたのであった。

歩道橋の銀杏の落葉を
無理やり取り込んだアングル。
画面右上にかろうじて
ペコちゃんの赤い電車が入った。
 その後は辛島町付近の繁華街をぶらぶらして、子供たちへの唯一の熊本土産、朝鮮飴を買う。朝鮮飴はご存知だろうか。もち米と水飴でつくられたお菓子で、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったのが始まりだそうだ。箱を開けると、まさしく飴色の朝鮮飴が、互いにくっつかないように片栗粉をまぶされ、ずらっと並んでいるだけの極めて素朴なお菓子だ。
 とてもきょう日の子供には喜ばれそうもない土産であるが、実は下の子がアトピーで、卵や生クリームを使った洋風のお菓子は食べられないので、かえって好都合なのだ。普段のおやつも、お煎餅やお餅、イモなどが並んで、一体いつの時代のものかと思わせる。でも、上の子もそんなおやつに慣れているし、私自身、なつかしさもあって、案外いいもんだと思っている。大げさに言えば、アトピーという禍を転じて福となすという按配である。
 案の定、朝鮮飴は子供たちに好評で、あっという間になくなってしまい、もう一回り大きい箱を買ってくればよかったと思ったのであった。

 辛島町の電停から今度は上熊本へ。上熊本は、JR上熊本駅を中心にして、南側に市電の電停、北側に熊本電鉄の上熊本駅がある。立派なJRの駅に比べると、市電も熊本電鉄も単線の行き止まり駅で、少々うらさみしい。でも、上熊本では市電車庫の移転計画や、熊本電鉄への乗入れ構想もあり、数年後には様相が一変していることだろう。
 駅前のラーメン屋で昼食をとって、前回書いたように熊本電鉄へ。北熊本経由で藤崎宮前〜黒髪町間の併用軌道へ行ったり、御代志から先の廃線跡を歩いたりしているうち、予約していた『有明44号』の発車時刻17時まで1時間を切ってしまった。帰りは御代志で熊本電鉄に乗り換える余裕もなくなり、バスで水道町まで直行した。
 ここから再び市電で熊本駅へ向かおうと電停へゆくと、クラブ活動の帰りがけらしい高校生の男女10人くらいのグループがいた。男女混合ということは、文科系のクラブだろうか。リーダー格は、かわいいというより美人系の女子生徒だった。みんながその子を取り囲むように集まっているので、ひときわ目立つ。それだけ慕われているのだろう。私の好みのタイプでもある、というのはいいとして、グループの中に三角巾で腕をつった男の子がいた。リーダーがそれを見つけて、
「きみ、その腕どうしたの?」
「は、自転車でこけまして」
「そうなの、大変ね・・・ああそっか、そのとき顔も打ったんだね」
 まじまじと男の子の顔を見つめて、笑みを含ませ尋ねる。
「い、いえ、顔は大丈夫であります」
 大真面目な顔で答える男子生徒に、思わず吹き出しそうになる。そんな姉御肌の女子生徒がますます気に入った。

 「・・・確かにもう出てしまいましたね」指定券を差し出すと、駅員は時計を見上げて言った。
 そう、結局『有明44号』には間に合わず、せめてその後、博多で乗り継ぐ『ひかり』の指定券だけでも変更してもらおうと熊本駅のみどりの窓口に駆け込んだのであった。

【1999年12月現地、2001年4月記】


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