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鹿児島市 交通局
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 初めてのB個室寝台『ソロ』で鹿児島に到着。
 前夜、「今ごろからどこへ?」部下の怪訝そうな問いかけを背に、会社で着替えてスポーツバックかついで、そそくさと三ノ宮駅へ向かい、20時55分発の寝台特急『なは』に乗車。せっかくなら個室寝台に乗ろうと、狭いことは承知のうえで『ソロ』を予約していたのであった。下段だったので出入りに少々難儀したものの、完全な個室というのは悪くない。ただ、まさか喫煙が可能とは思ってもいなかったが、かなり煙草臭くなっていて、禁煙者には辛いかも知れない。

鹿児島駅前にて
3線の電停に電車が揃い踏み。
左1両が郡元行き、右2両が谷山行き。
 『なは』が西鹿児島に到着するのは、10時24分。もう早朝とは言えない時刻で、駅に降り立つと、街は既にかなりの人出であった。早速、市電に乗って一旦鹿児島駅前へ向かう。この日は2000年2月11日、建国記念日の祝日とあって、市電もリュックを背負った行楽客などで結構混みあっていた。
 鹿児島駅前の電停は、3線の本格的なものだと事前に調べていたが、目の当たりにすると、予想以上に立派である。もっと正直に言えば、23年前の1977年に来たことがあるはずなのだが、まったく記憶に残っていないのであった。そのころから3線式だったのだろうか。
 ここで折り返す電車たちをしばらくながめて、谷山行きで終点まで行って折り返す。そのときは、『続いて趣味の話』で少し触れたとおり、路面電車より安室奈美恵似の女性の観察?に気をとられて、とても市電の取材とは言えないものであった。
 安室奈美恵は途中で降りてしまったが、こちらはそのまま鹿児島一番の繁華街、天文館通まで乗る。
 ここで買い物客でにぎわう様子をカメラに収めようと、いろいろなアングルをためしてみたものの、どうも今ひとつ決まらない。1時間くらいねばっただろうか、腹も減ってきたので、ついにあきらめて昼食をとる。

木造の交通局
木造平屋建ての交通局の建物
 午後からは交通局へ。交通局の建物は、昔の学校を思い出させる木造平屋づくりで、ちょっと入りにくい。意を決して中に入ると、全く人の気配がなく拍子抜け。考えてみれば祝日だから当たり前か。現場なら誰か出ているだろうと奥の工場へ行くと、ちょうど散水用のトラックから降り立った職員の方に出会えた。
「桜島の火山灰は大変ですね」と声をかけると、
「最近は火山灰よりゴミのほうが多くてね。センターポール化で、道路の中央に植え込みをつくったおかげで、ゴミがたまりやすくて。水を撒きに行っているのか、ゴミ拾いに行ってるのかわかりませんよ」と苦笑い。
 センターポールは架線をきれいに張れて街の景観にもいいし、車も入りにくくなるので一石二鳥と思っていたのだが、意外なところに苦労があるようだ。
 この方に責任者の方を紹介してもらい、工場を見学させてもらう。やはり祝日ということで工場も最小限の人しか出ていないようだ。そのかわりというのも変だが、市電の運転本数も少ないのだろう、車庫にはたくさんの電車が肩を寄せ合うように休んでいた。


青色:1系統(鹿児島〜谷山)
赤色:2系統(鹿児島〜郡元)
 最後に郡元に戻り、1系統と2系統の合流の様子を見る。
 西鹿児島方面からやってきた郡元止まりの2系統の電車は、交差点をまわりこむように左折すると1系統と合流して郡元の電停に着く。乗客が下車すると、鹿児島方に少し走り、渡り線を越えたところで一旦停車。ここで反転すると、渡り線がスプリングポイントになっているので、これを渡って反対側の電停に向かうのである。
 どうも文章ではうまく説明できないので、ポンチ絵も描いてみた。なお、両系統の電車が必ず絵のとおりのパターンになるとは限らない。
 このように本線上で折り返す光景は、路面電車では珍しくはないように思える。でも、車庫への入庫や、臨時便などの場合がほとんどで、これだけ頻繁に折り返すシーンが見られるのは、鹿児島だけではないだろうか。当然、この間にも1系統の電車が走っているのだから、その間隙を縫って折り返す姿は結構スリリングでもある。

 郡元からJR西鹿児島駅に戻り、予約していた『つばめ』に乗る前に子供たちへの土産、そう鹿児島といえば『かるかん』を忘れずに買う。熊本市電の項でも触れたように、下の子がアトピーなので、山芋などでつくられた『かるかん』なら大丈夫だ。そして、何を隠そう、『かるかん』は私自身、大の好物なのであった。

【2000年2月現地、2001年5月記】




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