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平成筑豊鉄道

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 この日は夜行列車で北九州に入り、筑豊電鉄に寄って、筑豊直方駅から歩いて直方駅に向かった。数分も歩くと、かつての筑豊炭鉱の栄華をしのばせるどっしりとした構えの直方駅が見えてくる。
 平成筑豊鉄道の入口は、その直方駅の跨線橋の下でひっそり隠れるように設けられていた。

JR直方駅 平成筑豊鉄道直方駅
JR直方駅 平成筑豊鉄道直方駅

 平成筑豊鉄道を全線乗りつぶす予定だったので、迷わず1日フリー切符800円也を買い求める。直方〜行橋の片道だけでも870円で、糸田線の金田〜田川後藤寺も往復することを考えれば、買わなければもったいない。
 ホームでは既に100形が出発を待っていた。乗り込んでみると、意外なことにクロスシートがずらっと並んでいる。
 平成筑豊鉄道は、国鉄伊田線、糸田線、田川線を引き継いだものであるが、筑豊の鉄道は路線が複雑なので、正直なところ鉄ちゃんを自称しながら、そらでは路線図を書けない。
 その証拠に直方からずっと田川伊田まで複線が続くことにも今さら驚いたりして、ちょっと情けない。

金田駅にて
 最初に下車したのは金田駅。車庫もあって、たくさんのディーゼルカーが休んでいる。
 ここから糸田線に乗り換え、田川後藤寺まで往復する。
 金田からはもうひとつ、三井鉱山セメントの専用線が出ていて、せめて専用の機関車ぐらい見たいと思ったが、休日のせいか、広いヤードにはその姿は見えなかった。
 その専用線も、今年(2004年)3月、工場閉鎖によってその役目を終えてしまった。平成筑豊鉄道は、セメント輸送に頼るところが大きかったはずで、それを失うことは死活問題だろう。今後の動向が気になるところだ。

枕木
 ところで、金田駅のホームから線路を見ると、枕木に何やら銘が入っている。これは平成筑豊鉄道が1本5,000円で売り出している枕木で、個人の記念や店の宣伝を兼ねてずらっと並んでいる。
 この枕木のことは、今年(2004年)9月、NHKの『ご近所の底力』で、南海貴志川線の存続策のひとつとして紹介されたので、ご存知の方も多いだろう。
 確かに、ちょっと頼んでみようか、とぐらっと気持ちが揺れる。

 次に向かったのは田川線の源じいの森駅。1995(平成7)年に開業した新しい駅である。ここには赤村自然学習村と温泉施設があって、そこへのアクセス駅となっているのである。
 で、途中下車して温泉に入った・・・のではなく、取材なのだから、駅近くにある九州最古の鉄道トンネル『石坂トンネル』を見るのが目的であった。
 ただ、トンネルへ向かって歩き出すと、どうやら学習村に入らないと見られないようだ。入口には、入場する場合は200円を受付で払うように書かれている。う〜ん、学習村に用があるわけではないし、黙って入っちゃおうかと思ったが、こんなことでトラブルになったらいやなので、受付に行き来意を告げると、「どうぞ」とあっさりOK。
ヨ9001

 いそいそと中に入って、まず目につくのは青い車掌車『ヨ9001』
 なんでこんなところに?と思って説明板を読むと、1968(昭和43)年に高速貨物用として試作され、最後は筑豊の炭鉱列車に使われていたとのこと。なるほど、地元に縁のある車両なのだ。
 その奥に石坂トンネルの坑門が見える。ここで簡単に石坂トンネルのことに説明しておこう。といっても例によって説明板の受け売りであるが。
 石坂トンネルは、1895(明治28)年の開業時のもので、第一石坂トンネル(長さ33.2メートル)、第二石坂トンネル(長さ74.2メートル)が連続している。
 いずれも将来の複線化を見込んだ設計であるが、第一石坂トンネルの山側の岩盤は未掘削のまま残されている。また、構造は第一石坂トンネルが側壁と迫石の下半分が素掘りなのに対して、第二石坂トンネルはすべてレンガ積み、坑門の意匠も異なっている。
 トンネルの建設は、ドイツ人のヘルマン・ルムシュッテルの指導を受けたもので、ドイツから車両や橋梁、レールなどの輸入した例は多いが、鉄道建設自体の技術協力は他にないとのこと。

第一石坂トンネル 第二石坂トンネル
第一石坂トンネル(車内から撮影) 第二石坂トンネル(同左)


第二石坂トンネル
 自然村から見えるトンネルは、そのうちの第二石坂トンネルのほうである。ただ、線路とは高低差があって、近くには寄れそうもないので、望遠レンズでトンネルを出る列車を撮る。白く見えるのは、前夜降った雪で、この日は寒い一日であった。

 この後は一路行橋に向かう。乗りつぶしのルール?では、車内や車窓をきちんと観察しなければならない。でも、源じいの森から次の崎山を過ぎたあたりから、のどかな田園地帯が広がり、おまけに車内はぬくぬくと暖かい。おかげでうつらうつら、何度も意識が薄らいでしまうのであった。

【2004年1月現地、同年10月記】

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