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箱根登山鉄道
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 ここまで来て尻込みしてもしようがない、気合を入れて歩き出す。案の定、坂はきつくなり、つづら折となる。ずっと道路の右側(谷側)を歩いていたが、坂を下る車が正面から迫ってくるのが恐くなり、左側(山側)に寄る。
 その道路端の溝蓋になぜか見覚えがあると思ったら、箱根駅伝のテレビ中継での記憶であった。最短距離を走るために山裾ぎりぎりを走る走者を見て、溝蓋に足を取られないか、いつもはらはらするので覚えていたのである。
 歩くだけで音を上げそうなのに、この急坂を駆けていくわけか・・・。来春の箱根駅伝は、また違った思いで見ることができそうだ。
 いくつカーブを曲がっただろうか、『蛙の滝』という案内看板が目に入った。国道の脇にある滝だからと大したことはなかろうと見くびってはいけない、なかなかどうして風情のある滝であった。
 この先から大平台温泉への遊歩道と書かれた道が分岐している。大平台駅へ直行するなら国道をそのまま行けばいいのだが、遊歩道は上大平台信号場の近くを通るので、そちらを選ぶ。何より車の排気ガスから逃れたかったのが本音でもある。
 分岐した道は、遊歩道と言っても車が悠々と走れる幅員がある。それでも車ほとんど通らず、気持ちよく歩けると言いたいところだが、逆に足が止まってしまった。おそらく20%近い勾配ではないだろうか、とにかく急坂なのである。呼吸を整え、それまでのピッチを変えてゆっくりと足を進める。
 木立の中を走る線路を見下ろしたりしながら歩いていくと、何やら獣道のような脇道がある。これは怪しいと下りてみると、果たしてそこは目指していた上大平台信号場の突端であった。もちろん、駅ではなく信号場だから部外者が入れないように金網が張られ、立入禁止の札が掲げられている。もしかしたらその獣道自体、鉄道の管理道で入ってはいけないような気もするが、あくまで立入禁止の札は金網の前だからいいのだ、と勝手解釈してカメラを構える。鉄ちゃんの悪しき性癖である。
 その金網の間に、ずぼっとズームレンズを突っ込んで撮ったのが下の一連の写真。例によって、車内から乗客の冷たい視線を浴びる。出張帰りのスーツに革靴姿の怪しげな男が、金網にカメラを突っ込んでいるのだから当たり前である。いい歳して相変わらず恥ずかしいことをしている。

上大平台信号場へ進入 運転士が交替して発車
左上)
大平台駅から電車が登ってきた。
WEB上ではわからないかも知れないが、実はピントが右側の出発信号機に来てしまい、完全な前ピン。
未だオートフォーカスを使いこなせていない。
右上)
交替した運転士が発車を見送る。
右)
強羅へ向けて、また急坂に挑む。
強羅へ向かって

 ここで時間切れ、本当は彫刻の森や強羅にも行きたいところだが、大平台駅から小田原に戻ることにする。やってきた1000形で一路箱根湯本へ。駅を出ると、ぐぐっと身体が傾き、久しぶりの80パーミルの勾配を体感する。電車はゆっくりゆっくり坂道を下り、乗り合わせた若い女性客二人が「のんびり電車で下りるのもいいわね」と話している。思わず、そうでしょう!と会話に割り込みたくなる。
 いくつも抜けるトンネルは昔の面影を残すレンガ積みのままであったが、塔ノ沢駅の湯本寄りの塔ノ峰トンネルだけ新しいコンクリート造になっていた。車窓からちらっとトンネル拡幅1993年という銘が読める。大型車が入ったわけでもないのに、何で拡幅したのかなと思う間もなく、すっとトンネルがすぼんでしまい、元のレンガ積みに戻ってしまった。そこで気づく、もしかして3連運転のため、トンネルを削って交換の有効長を延ばしたのではないだろうか。そもそも20〜30年前に来たときには3連運転などしていなかったように思う。
 家に帰ってネットで調べてみると、塔ノ峰トンネルの拡幅理由はわからなかったが、箱根登山鉄道のホームページで1993年から3連運転を開始したとあるので、きっと間違いないだろう。
 箱根湯本に着くと、乗ってきた1000形の散水用の水タンクに早速注水している。最後にそのシーンをカメラに収めて小田急電車に乗り込んだのであった。

給水風景
箱根湯本での給水風景。
ちょうど満杯になって、ホースを外したところ。
満水となったタンクから水があふれている。



【2005年11月現地、同年12月記】

(一口メモ)
 国道1号線には、路線バスも多く走っており、例えば出山鉄橋に行くには、「出山」バス停で下車すれば、目の前が鉄橋である。

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