表示がおかしい場合はこちらをクリックしてください。
文字を設定する場合はこちらをクリックしてください。
連載第2回 ナロー編その2 屋久島の軌道


 屋久島、九州鹿児島の南方約120Kmの洋上に浮かぶまんまるっこい島だ。屋久杉はもちろん有名だが、九州で一番高い山(宮の浦岳1,935m)があるということは案外知られていない。 ましてや、軌道があるなどとは思いもよらぬことである。
DLがトロッコをひいて上っていく
DLがトロッコをひいて上っていく
 この軌道、かつては営林署が運材に使用し、やがて武田産業という民間に委託されたが、ほとんどトラックで輸送したため、軌道は使われなくなった。しかし、軌道が安房川に沿っているため、ダムの資材運搬用として屋久島電工が使用している。また、ダムの工事や、車両保守、修理等は、佐藤工業が担当している。
 運転は、朝、昼間勤務の人を乗せてゆき、夜勤の人を乗せて帰ってくる。夕方はその逆で、都合2往復走ることになる。その他、保線のため、DLがバラスを積んだトロッコをひいて、走ったりもする。
 さて、いよいよ軌道めぐりへ出発である。7時少し前、民宿を出て、地図とカンを頼りに歩いて15分、どうにか軌道の起点に着いた。当たり前といわんばかりに線路が敷かれているのがなんともいえない。
 モーターカー(線路を走るマイクロバスと思えばよい)の運ちゃんに便乗できないか尋ねようと近づくと、こわい顔でにらまれたので、すっかりたじろいでしまい、あきらめて歩くことにした。2時間ちょっとで終点に着けると言われ、11Kmだから、それくらいで着けるだろうと思い、それが自分にも当てはまると考えたのがあさはかだった。

 ☆ 0.5Km付近(いっちょまえに0.5Kmごとに、天下の『キロポスト』がある)
人車(客車)が放置されていた。新車なのに設計ミスで軸バネがない。すなわち走らせると即、脱線してしまうので、一度も使わずに廃車だそうだ。
 ☆ 1Km付近
DLがトロッコをひいてのぼっていった。
 ☆ 5Km付近
すでに2時間もかかった。保線屋さんに聞くと、やはりまだ半分だそうだ。
 ☆ 7Km付近
保線屋さんに「ご苦労様」なんて言われ、元気が出る。
 ☆ 8Km付近
橋を渡るとき、ふと遠くをながめると、海が見えた。そういえばここは島だった。
 ☆ 9Km付近
珍しくコンクリートで固めたトンネル(ほかのはすべて素掘り)をぬけると発電所だった。ここからやや軌道の状態が悪くなった。それをもう少し、深く考えるべきであった。真夏の空の下、がちゃがちゃ枕木を踏みつける音だけが響く。
 ☆ 11.5Km付近
がび ━━━ ん、鉄条網の門で行き止まり。これが終点か。この先にダムがあるのだろう。
ここまで堂々4時間10分の行軍であった。

 しばらく休んで、柵を乗り越え、奥へ行ってみた。線路は安房川を渡り、さらに奥へ続いている。ヒヤッとするトンネルをぬけるとガーン。 DLや運材車の廃車群。イエローとグリーンのSKW(DLのメーカー名)、運材に使っていたのだろうが、イエローの方は今にも動きそう。そして、片隅には、な、な、なんとスノープロウが、南国屋久島にスノープロウが・・・・・
 しばらくして、門のところに戻ったが、そのままドタッ。
 腹へった。朝から口に入れたのは、朝昼兼用のアンパン1個。それと民宿のおばさんに入れてもらった水筒のお茶。それも全部なくなってしまった。食い物くらいどうにかなるさなんて来てしまって、結局どうにもならない。岩からしたたり落ちる清水を水筒のコップに受けて飲む。川は景気よくザーザー流れているが、川原へはどうやっても危険で降りられない。ひもじーい。
 なぜか、鉄研の人たちの顔が思い浮かぶ。みんなどうしているのかなあ。
 いかん、根性が鈍ってきた。俺は無事に帰れるのだろうか。モーターカーに乗せてもらえなかったらおしまいだ。

 おかしい。モーターカーが来るはずの3時半になっても来ない。ハッ!スーッと血の気がひいていく。そういえば、確かコンクリートのトンネルのそばから出るとか聞いたような。しまった、2.5Kmも下の発電所だ。脱兎のごとく駆け出し、いや歩き出す(走るとどっと疲れが出るので)。間に合わなかったら餓死するという恐怖が最後の力をふりしぼらせる。発車時刻4時少し前に発電所が見え出して、やった、神か仏か、モーターカー。いかにも死にそうな顔をして「便乗させてください」と言うと、例の運ちゃん、
「ちゃんと手続きをとっていない者は、たとえ従業員であっても乗せないのが建前だ」
とつれない返事。
 途方に暮れていると、作業を終えた人たちがやって来て、「おい、乗らんのか」と声をかけてくれたので、どうやら乗れそうな気配。
「荷物とおんなじに扱うからな」
と長老がからかうと、
「いんや、乗っけた以上、責任があるんだ」
と運ちゃんが釘をさした。
 モーターカーは思ったよりゆれて、やはり脱線がこわい。ドッテン、ドッテンと直線では馬のように上下にゆれ、カーブではジェットコースターのようにガクッ、ガクッと曲がる。
 給水タンクのところで、エンジンも止めて停車した。 モーターカー乗車図
「休憩するから写真撮りなさい」
と長老が言った。モーターカーに給水?と思ったら、人間に給水であった。
 若い人が
「学生かい?専攻は?」
「はい、法学部です」
「エッ?????」
 再びエンジンがかかり、走り始める。運ちゃんはくわえタバコで、ただ前方だけ見ている。
 ジジジジジッとセミが助手席に飛び込んできた。助手さんがそれをつまみあげ、ほらっと微笑みながら運ちゃんに差し出したが、運ちゃんは無表情だった。助手さんは相手にされなかった照れくささを紛らわすかのように、ふふん、とまた笑うとセミをぽいと放った。
 モーターカーのスピードメーターは、100k/hまであったが、いつも15〜18k/hのところをうろうろしていた。
 4時40分少し前、起点に帰ってきた。止まりきらないうちに、みんなどやどやと降りるのを見て、僕もと腰を上げると、まわりの連中が「ヨーシ」とか「オーッ」とか言って、モーターカーがふわりふわりとまわり始めた。あせったのは僕で、何が起きたのかわからず、中腰のままおたおたしていると、それはターンテーブルであった。自動車と同じ構造(日産トラックの部品)なので、進行方向が決まっている。明日のために方向転換しておくのだ。
 運ちゃんや一緒に乗ってきた人たちにお礼を言って、近くで作業をしていた人のよさそうな人に声をかけていろいろお話を聞いた。この人は佐藤工業の人で、車両についても詳しかった。
「僕みたいな変なのよく来ますか?」
「いや、登山客は多いが、一見してマニアとわかるのはあんたが初めてだ」
なんとも嬉しい返事であった。
 モーターカーの銘板も写して、さあ帰ろうかと歩いていくと、1台のDLがエンジンをかけ、数人トロッコをかこんでわいわいやっている。何だろうとのぞきこむとDLからホースをひいて、改造されたトロッコにつながっている。構造に弱い僕も一見して空気ブレーキらしいとわかった。中の一人に近づき、もったいぶって、
「ほォ、空気ブレーキのテストですか」と尋ねると、
「ええ、これから作業が多くなって、トロッコの数を増やすんで、この勾配だとどうしてもこれがいるんですよ」
「調子はどうです?」
「いや、今日つくったもんで・・・・・」
見ると溶接部分もキラキラ光って生々しい。
「写真撮ってもいいですか」
「まだできたわけじゃあ」
と照れくさそうに笑った。
 バネがどうのこうのと言っているので聞いていると、どうやらブレーキをかけると力が強すぎてバネが伸びきってしまったらしい。バネは手動ブレーキ時代の物を流用したらしく、構造も普通の電車などの空気ブレーキよりだいぶちゃちで感じも違う。「バネないか」とか捜しているうち、「今日はも止めよう」ということになり、シラーとしたムードになってきたので、早々に引き上げた。
 町に帰って、屋久島コーヒー牛乳を飲んだ。実によく腹にしみた。終わり。

1977年8月の軌道めぐり
【1978年1月発行キロポスト第59号】


本文の注のとおり、武田産業のDLは動いていたそうで、後で知ったときは地団駄踏みました。
(事前に電話で確認したら、もうトラックでしか運送していないということだったのに)
それにしても、もし、モーターカーに乗せてもらえなかったら、また4時間近く歩いて下山
せねばならなかったわけで、大変なことでした。運ちゃんはまさしく融通の利かない頑固者
という感じでしたが、今となっては、そういう人も組織の中には必要だななんて思っています。

軌道めぐり目次へ アルバムへ
表紙へ
ディーゼル機関車(Diesel Locomotive)のこと。
というより、ワゴン車、1BOXカーですね。
本当は支流の荒川らしい。
後で知ったのだが、このDLは廃車ではなく、武田産業がまだ使っていたそうだ。
前日にパンを数個用意していたのだが、夜の間に黒山の人だかりならぬ、蟻だかりになってしまい、 なんとか食べられたのは1個だけだった。
本当は、乗せないのが建前なら本音はいいんでしょ、と突っ込みたかったが、 余計怒らせてしまいそうで言えなかった。
堀川工機製だった。

 本文のフォント(文字)を設定できます。

 大きさ→

 行 間→

 濃 淡→