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 ナローファンの間では有名だった高島炭鉱。
 長崎の沖、約15Kmに浮かぶ小さな島、高島にあった炭鉱で、同じ高島町には通称軍艦島で有名な端島もあり、まさしく炭鉱の町であった。
 九州には何度も行っていたのに、高島には行きそびれていて、1982年(昭和57年)にようやく訪れることができた。
 以下は、そのときの日記帳を編集したものである。


番外3 ナロー編その7 高島炭鉱


 4度目の長崎。また雨だ。これで3回も雨に降られたことになる。唄にいうとおりか。
 神戸から夜行特急『あかつき』で長崎に着き、港に行くまでに最初に見つけた喫茶店で朝食をとろうと決めて入った『青い麦』。朝早くから常連客が集まり、和やかな雰囲気だ。店内も古き良き時代の風情。ふと外を見れば路面電車が走っていくのもいい。
「天気予報聞きましたか?」と尋ねると、
「なんでも低気圧が近づいているそうで、1日雨だそうです」とマスター。
「ハア、雨ですか」
 雨の中、港へ向かった。
 高島までは『せい丸』という船に乗る。『せい』とは何かずっと考えていたが、結局わからなかった。
 船内は20〜30名の客が生活の匂いを漂わせて座っていた。観光客などもちろん一人としていない。
高島に着いた『せい丸』
高島に着いた『せい丸』

 高島に着いてもまだパラパラと雨が降っている。
 港にあった地図を見ると炭鉱はすぐそばのようだ。近くで鉱業所の人に尋ねる。
「トロッコはどこにありますか」
「この先を入ったところになんぼでもある」
 と、言われるまま入って行くと、詰所があり、その前にDLに牽かれたトロッコが並んでいた。
 早速、その詰所でトロッコの写真を撮らせてくださいと頼むと、そういうことはもっと奥の施設課へ行ってくれと言われ、構内を迷いながら施設課へ。改めて「トロッコの写真を撮らせてください」
 すると「見学の窓口は総務課です」という答え。
 いささか日本的すぎる成り行きに多少いらだちながら
「どこですか、その総務課は?」と尋ねると、
「ちょうど島の反対側」
 エーッ、島の反対側!?
「ど、どれくらいかかるんでしょ」
「10分くらいじゃないですか」
 ・・・・・?
機関車の台枠に燦然と輝くKATOの銘
機関車の台枠に燦然と輝くKATOの銘

 半信半疑歩いてみると、本当に10分くらいで総務課に着いた。それくらい小さな島だったのだ。
 総務課で尋ねると、また施設課の許可でいいというので、さすがにうんざりしていきさつを説明すると、施設課へ電話で連絡してくれて、どうにか許可がもらえそうな気配。再び施設課に戻ったときは、もう上陸後1時間近く経過していた。施設課は「お手間をとらせて申し訳ない」と平謝りで、遊びで来ている私は、さっきまでの憤りはどこへやら、かえって恐縮してしまった。
 施設課では構内図を持ってこられ、「こことここが危ないから気をつけて、後はどこへ行ってもらっても結構です」と言われ、喜び勇んで飛び出す。
 噂に聞いていたKATOのDLはすぐ見つかった。どうやら廃車らしいとその時は思ったが、しばらくすると、同じようなKATOが添乗のおばちゃんを乗せて走ってきてびっくり。しっかり生きていたのだ。
構内配置図
当時の日記帳の図を転記したもの

 構内の簡単な図は上記のとおりで、ごちゃごちゃした配線で最初は訳がわからなかったが、どうやらハンプなどの意味はわかってきた。坑口は立入禁止の立札があったので近寄らなかったが、石炭をそこでトロッコへ積み、勾配がついているのでトロッコは自走してホッパーへ。そのホッパーは面白くてトロッコを台車ごとひっくり返して中身を空ける。 そしてまた勾配を自走し、スプリングポイントを割り込み、今度は急な逆勾配で反転、さきほどのスプリングポイントを通過してハンプへ向かう。引き上げられたトロッコはまたハンプを下り、また石炭を積みこみにゆく。
 見事に自動化された様にしばし感心してながめていた。自走するトロッコはまるで生き物のように走りまわっていた。その時はそんなトロッコに興奮して見ていたので気がつかなかったが、今にして思えばそんな手間のかかることなどせず、ベルトコンベアにしたほうが簡単なはずで、なぜトロッコが生き残っているのか不思議な気もする。
 (ちょっと疲れたので続きはまた)
 えっ・・・・・?

 また続きを書くはずの日記はここで途切れ、それと同時に記憶も途切れてしまっている。
 高島の後、たまたま?九州旅行に来ていた会社の女の子達と合流して柳川に行ったことは覚えているのだが(^^;)、肝心の高島のどこをどう歩いたのか、長崎へもちろん船で帰ったはずだが、何ひとつ記憶がない。おまけにせっかく撮った写真も一部行方不明になっている。
 1982年といえば、もう社会人になっていて、鉄ちゃん活動も末期になりかけていた。そのせいで気合が入っていないというのは言い訳であるが、事実なのが自分でも情けない。

【1999年10月記】


インターネットで検索すると、高島町のホームページがありました。
それによれば高島は東西1.2Km、南北1.8Kmの大きさだそうで、
なるほど、これなら島の反対側へも簡単に行ける距離です。
1986年の炭鉱閉山で人口が激減し、現在は1,000余名だそうで、
町の存続さえ危ぶまれたという記述が危機感を痛切に感じさせます。
なお、ページには石炭資料館も紹介されており、写真を見ると、
あのKATOも資料館の前に展示されているようです。

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加藤製作所のこと。産業用機関車を多数製造し、その筋のファンには根強い人気がある。
一般にはクレーン車などに書かれたKATOのロゴでおなじみ?
操車場などで丘のような勾配をつけて、貨車を押し上げた後、下り坂は自走させてポイントで振り分け、入れ換えるもの。
高島炭鉱ではトロッコの入換をしていた訳ではないので、ハンプと呼ぶのは正確ではないかも知れない。
例えれば、パイプの弁の働きをするポイント。
下の模式図のとおり、右から来た青い水(列車)は、赤い弁(ポイント)を割り込み、通過する。
一方、左からの水は弁のため上へ曲がる。
このように、ポイント操作なしに列車を振り分けられることから、ローカル線の列車交換(行き違い)などに使われている。
模式図

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