連載第1回 ナロー編その1 赤谷鉱産専用軌道



 キーキー、ガタガタ、グィーン・・・・・
なんとなく愛嬌のある顔つきの機関車
なんとなく愛嬌のある
 顔つきの機関車

 どこだと目を見張るとすぐ下の長いすだれ(後でスノーシェッドとわかった)の中を ちらちら見え隠れしつつ小さなELが走ってゆくのが見えた
 ここは、赤谷線の終点、東赤谷やや高台を通っている道から軌道を捜していた 軌道はスノーシェッドに隠れていて大いに僕をあせらせてくれた
 道沿いに機械工場と書かれた建物がある他に事務所らしいものもないのでその中へ入る
「あのォこの下の軌道を見せてほしいんですけど」
 待ってましたと言わんばかりに(?)どうぞどうぞと奥へ入れてもらい船のラッタルのような狭くて急な階段を下りる そこには外からは見えない軌道の情景が展開されていた
 今日は雨で、写真を撮るのは大変だと思っていたがスノーシェッドの中ならば雨だろうが何だろうが平気だが 暗いのは困る
「どちらから来られました」 
近づいてきた初老の鉱員さんに聞かれた。
「東京です」 
「そうですか。あのォ都立大学ってのはいいんでしょうか」
「さあよくは知らないんですが個性があっていいところだと聞いています」
「はあ、そうですかありがとうございます」
と言って微笑む
「実は、私の弟の息子が都立大学に受かって喜んでいるんですよ」
と、また笑った
 その鉱員さんによるとこの鉱山では最初、亜鉛、鉛を採って次に銅、そして現在では鉄を採り最近になって 石灰も採るようになったそうだ 軌道のゲージは昔、1,067mmであったのを昭和32年、電化、改軌して610mmにしたということだ ナローに改軌するというのは珍しいが、それにはそれなりの理由がある ここ、赤谷付近は豪雪地帯だそうで、1,067mm時代には冬季は作業を止めねばならず能率が悪かったそうだ 電化してスノーシェッドをつけるためにナローにすることによって 輸送力は落ちたが冬季の作業停止を考えるとずっと良くなったということだ
 ザザザザザーッ!話しの合間にもトロッコの鉱石が、ベルトコンベアに積みかえられ国鉄貨車に積むためにあると思われるホッパーに運ばれてゆく その音はスノーシェッドの中で激しく反響し、話しの合間というよりは中断させられるようなものだった
「昔はSLが2両いたんです1080といって、古いやつで、弁装置もワルシャートではなく○○式で・・・・・(SLの構造になると、全くわからなくなるので割愛)」 
「SLの時から、機関士をなさっていたんですか」 
「ええ」 
「長いんでしょうね」 
「まあ、30年になりますか」 
 ここは朝が早くそのために11時半に昼休みとなる
「このへんに食堂のようなものはありませんか」 
「もうなくなってしまいましたね全盛期にはそば屋とかいろいろあったのですが、全盛期には社宅もいっぱいで。今は皆、空家です」 
 一軒だけこの鉱山直営の売店があった そこでストーブにあたりながらカップラーメンを食べた 売店のおばさんにこの鉱山は日鉄鉱業がてがけてきたが 数年前、日鉄鉱業の子会社として赤谷鉱産をつくり、その際規模を大幅に縮小させられたということを聞きながら
 午後は石灰の積出口に行ったりふらふら歩きまわっていた
 4時頃になって鉱員を乗せた列車が帰ってきた カメラを構える僕に一瞥をくれて一人、二人と家路に就く 最後の列車が到着した その後、人車を入換して明日に備える 無常にも(?)他の人は皆帰ってしまい残ったのは入換をした人と僕だけになってしまった ELから降りてその人は言った
「どうも。どちらから来られました?寒いでしょう。こちらへどうぞ」 
ストーブのある詰所に入ってまたいろいろなことを聞いた
 この鉱山では本線に15tEL2両入換に10t(石灰)、8t(鉄)それぞれ1両ずつとぜいたくに使っている 聞いてみると勾配がきついために馬力がいるらしい
「勾配がずっと続いて最高は1,000分の33です」 
「それじゃ下りは制動のかけっぱなしですね」 
「そうです。特に今日のように雨が降ると大変です」 
延々と続くスノーシェッド
延々と続くスノーシェッド
 そしてこの鉱員さんもふと洩らした
「全盛期には1,000人以上働いていたんだが今は百数十人・・・・・」 
 鉱員さんは着替えを済ませ、それではとストーブを消し電気を消して、外へ出た この軌道に500ボルトの電気を供給している変電所の前で
「最後にここの電源を切るのが私の役目なんです」 
と言って変電所へ電源を切りに入った 変電所特有のウーンという低い音が消えるかと思ったら鉱員さんが出てきても音は消えなかった
 鉱員さんと別れて、赤谷線の道を歩く 今まで見たことのあったスノーシェッドはせいぜいポイントの部分くらいであった 目の前にあるスノーシェッドは、果てしなく延々と続く 確かに異質の鉄道である しかし、この『異質』が大きく僕の心をゆすぶるのである

1977年3月の軌道めぐり
【1977年?月発行キロポスト第55号】 




高校最後の春休みに2ヶ月間アルバイトをして貯めたお金で旅行したときのものです
赤谷ではみなさんが暖かく迎えてくれたのが今でも印象に残っています
なお、本文では昭和32年改軌としましたがけいてつ協會編著『知られざる鉄道』によれば
1,067mm軌間は昭和31年廃止とありもしかしたら改軌されたのも 
昭和31年かも知れません。また架線電圧も550ボルトだそうです
私が訪問したときのスノーシェッドは文字どおり『すだれ』という感じでしたが、同書の写真を 
見ると、トタン板?に進歩しているようですね


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