2005.3〜2005.11
▲南方貨物線の中川運河橋梁東詰部分。水面のきらめきが文様のように写りこみます。橋桁はPC構造で対岸の西詰部分はすでに撤去が完了していて、対岸の須成町高架橋の断面がのぞきます。 2005.4
▲中秋の名月に浮かび上がる中川運河橋梁東詰。撤去作業で切り取られた3線ぶんの幅のPC桁が口をあけているところ。2005.9
▲運河西詰(画像左手)ではすでに橋梁はなく、橋脚の埋め戻し工事中。運河を通行する船を誘導する赤いサイン灯が浮かび上がります。2005.9
▲中川運河西詰にある須成町高架橋の高架下駐車場の通路の向こうに、運河を挟んで東詰にある解体中の橋梁がのぞいています。この通路は愛知県武道館の高架下駐車場から伸びていて、出るときは一方通行で運河岸へ出てくるルートを取ります。俯瞰すると下の写真のようになります。2005.9
▲中川運河で最も海に近い中川橋。(架け替え前の05年撮影)道幅も広く、2013年に新しく架け替えられましたが、特徴のある鉄骨アーチは再利用されました。2005.10
▲1930年製のリベット工法のアーチ橋。青く塗られていた時期も記憶しています。(但し1987年に名古屋市土木局・石播による補強工事が実施されている)同。
▲中川運河橋の銘板。昭和5年6月竣功とあります。 橋体工事・大阪鉄工所と橋梁工事・飛島組の名も見える。 橋梁工事では竣工ではなく俊功と記載されるのが目につきます。同。
▲国道1号線昭和橋から海側を望む。左岸に解体中の中川運河BV東詰、その遠方に名古屋港シートレインランドの観覧車、中部電力新名古屋火力発電所の煙突が見えます。 05.10.02
▲こちらは国道1号線から見た中川運河の北方向。
1号線は別名東海道(トウカイドウ)と呼ばれるが、もう1本南側の「東海道」はトウカイドオリであって別物である。 日曜日も終わって日が暮れます。 2004.6.14
▲中川橋の左岸に、JR貨物東名古屋臨港線のターミナルがあります。昔は写真左下のその先にある名古屋港埠頭までレールが延びていました。現在は写真左上のJR東海資材センターに出入りするレール運搬列車が週に1便程度運行されています。この線路は山王信号場で(東海道本線ではなく)中央本線に接続しています。2005.5
▲陸橋の上からJR東海資材センターの敷地が見られ、その奥には青いシートをかけられ保管されている中央リニア試験車両「MLX01-1」が目につきます。これは2005年夏の愛知万博閉幕後から2011年のリニア鉄道館オープンまでの期間保管されました。ここは名駅のJRセントラルタワーズのテナント関連の物流拠点にもなっています。2005.10
▲JR資材センターの北西は名古屋市交通局の名港工場が隣接しており、中川運河沿いに伸びる車両基地にいる地下鉄名城線のパープルの帯をまいた2000系車両の姿が地上で間近に眺められます。写真の円弧状の花壇の下には地下鉄築地駅の北側につながる入出庫線がJの字状に通っており、低くなっている右側の方が地下の名城線につながっています。
名港工場は近代的な新しい設備ですが、交通局の車両基地公開は現時点では赤池のみで行っていて、名港工場が見学できるイベントの開催に期待します。
▲JR資材センターの反対側には、かつて名古屋港貨物ターミナル(現在は移転)だった広大な敷地が残っています。現在の線路は道路陸橋の下の車止めで終わっていますが、周りにはPCマクラギやコンクリート資材が置かれています。2005.5
▲▲操作場跡地にはいかにも鉄道用地境界らしいコンクリートくいの柵と、海沿いにはチャペルや遊園地が作られ、跡地の大半は遊園地の駐車場なっています。
▲遊園地の名古屋港シートレインランドはその名からわかるようにJR貨物が関係しています。運営こそはレジャー開発企業ですが、敷地一帯の案内看板にはJR貨物の名があります。2005.5
▲海の真上に突き出していることで知られるシートレインランド観覧車と、その向こうには名古屋港水族館のイルカやシャチのショーが見られる屋外展示プールが望めます。2005.10
▲遊園地エリアからはガーデン埠頭側にも線路が伸びていました。ちょうど埠頭をぐるっと半周する感じで中川運河とは反対側の堀川側に回りこんでいます。
写真はガーデン埠頭の線路跡の部分。道路の正面奥の右手から伸びている円弧状の緑地帯がその痕跡。線路はこちらにまっすぐ伸びていた名残があります。その先には・・・・
▲跳上式の可動橋が残ります。2005.05
▲▲写真右の跳ね上がっている側が名古屋港駅から来ている線路。橋の向こう側は堀川で、その対岸には大江の三菱重工のビルが見えています。
▲この橋を渡ると防潮扉があってさらに線路が延びていた形跡があります。2005.5
▲【施設紹介】渡米して橋梁を学んだ山本卯太郎卿(といっても若くして没したのでこの敬称は似合わないかも)が設計し、彼が率いる山本工務所により完成した可動橋(昭和2)で、現存する日本最古のもの。もちろん登録有形文化財に指定されています。
その4年後に完成した四日市港の末広可動橋は、同じスタイル・構造を持ち現在も稼働する唯一のもので、現在もセメント列車を毎日通しています。2005.5
▲写真はいろは橋の北寄りで中川運河と交差している水路。赤いガーター橋でつながれている築堤がJR東名古屋臨港線で、写真右手側が先ほどのシートレインランド手前までつながっています。その後方は邦和みなとゴルフ場で、さらに画面右遠方には中部労災病院が見えています。
この水路はかつては東へ伸びていて堀川までつながっていましたが、現在臨港線の向こう側から少し行ったところで埋立てられています。江川線の港区役所付近では今は遊歩道となった水路跡を跨いでいるアーチの道路橋が現在も使われています。
▲上の写真の水路を手前側へ進むと、途中には埋め立てられた箇所がありますが荒子川に突き当たります。 その荒子川を名古屋臨海高速鉄道あおなみ線が渡ります。この河畔は桜の名所として知られています。
あおなみ線はかつてのJR西名古屋臨港線を全線高架化のうえ旅客化した近代路線で、手前の鉄橋がかつての貨物線でした。 現在は遊歩道として利用されています。
▲上の写真の旧臨港線のガーター橋。運輸省・昭和23年・汽車製造の銘板。
2016年5月 管理人:茉莉花(まつりか)
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