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大道棋の歴史(16)  藤倉満 表紙に戻る
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大道棋の文献(続き)

◇将棋月報

大正十二年十一月十日創刊。 昭和十九年二月号にて終刊。 将棋月報社刊。 最終号は通巻二五三号であるが、これは創刊号からではなく、大正十三年十一月号を一号としてのものである。 街頭所見のものや、読者の作った大道棋を永年にわたって数多く載せた。 私は戦前、博文館発行の「将棋世界」は読んでいたが、月報のことは全く知らなかった。 これは今思うと実に残念なことである。 然しそれにも拘らず「将棋月報」は何となく懐かしさを感じさせる四文字である。 これはどういう理由によるものであろう。 諸先輩の月報への回想の言葉によるものであろうか、或は主幹を通じて、詰パラが継承したであろう月報的体臭の故であろうか。

◇紳棋会報

昭和二十二年九月十日第一号発刊。 昭和二十四年十月、第四七、四八、四九合併にて発展的終刊。

詰パラ主幹の鶴田氏が愛知県昭和警察署の警備主任の頃、指将棋の同好者グループ「紳棋会」の動静をガリ版で配布していた。 発足間もなく、この会報に大道棋の研究が載るようになり、希望に応じて全国各地にも頒布された。 (50部位) 原則として月一回だったが、月二回出されたこともあり、同氏が警部に任官転勤されるまで続いた。 鶴田氏の手許にも現物はないという。 稀少文献であり、全部揃えば貴重品と言える。 同氏編著の名著「秘手五百番」に収載されている大道棋のかなりのものはこの紳棋会報に収載されたものであり、 その意味においても珍重すべきガリ版印刷物と言えると思う。 私も途中の号からしか持っていない。(18×26cm)

◇詰将棋パラダイス(第一次)

昭和二十五年四月十五日創刊、昭和二十八年六月最終号。 紳棋会発行。

「紳棋会報」を発展的に解消して誕生した所謂「旧パラ」である。 全部で29冊発行して休刊。 やがて第二次詰将棋パラダイス(新パラ)として蘇る。

「詰将棋パラダイス発刊の辞」

 どんなつまらないものでも、一つのものが新しく生れ出るといふ事は意義深いものである。 この世の中に、たとえ貧弱なものにせよ一つのものが創り出されるといふことについては、 それが生れ出づる必然の因縁が働いていると見るべきであろう。 ただそのものが永き命を保つか、或は短命に終るかは、生れ出てからの運命で、 其処に努力その他あらゆる発展的要素の添加如何が之を決するであろう。

詰将棋パラダイスは、中京の一角から発行されて居たガリ版刷りの寔に貧弱極まる、 だが、熱と誠意を以て作られていた『紳棋会報』が、通巻四十九号に達し、 その初期より企図せる成果が、一応の限界点に達したと測定された必然の結果として、 会報を発展的に解消して、之に新たなる生命力を附与して、之に『詰将棋パラダイス』と命名し、 諸彦の座右に送らんとするものである。(中略)

 曩に信州に将棋月報なるものあり、今尚我等にとりて恋人の如くなつかしき存在であった。 戦争の為廃刊せられ再びなし。我々はこのパラダイスを月報の生れ代りとして育成してゆきたいと思ふ。 否、月報以上の立派な良い子に育ててゆきたいと誓ふものである。 パラダイスはかくの如き理由の下に、当然生れ出づるべくして生れた赤ん坊である。 (後略) (15×21cm)

◇詰将棋パラダイス(第二次)

昭和二十九年八月一日第一号発行、昭和五十三年九月号現在にて第二七一号。

昭和二十八年六月号以来休刊していた詰パラは一年一ヶ月振りで装を新たにして (13×18cmと小型化)再刊されることになった。 鶴田氏にとっては単に旧パラを継続する再刊ではなく、気分と決意を新にしてこれに臨まれたことが、 雑誌の大きさを変えたことだけでなく、復刊予告の葉書で新誌名の募集をしていることでも窺われる。 応募誌名としては、将棋月報、棋友、詰棋グループ、詰棋クラブ、新将棋月報、詰将棋の泉、 其他色々とあったが、旧誌名の詰将棋パラダイスが圧倒的多数でこれに決定した。 その後エンエンとして現在に至っているのであるが、その間常に順風満帆とばかりは行かず、 大きなピンチに二度見舞われている。 最初は三十三年の六月で、以後翌年の七月迄十四ヶ月の休刊になる。 理由は鶴田氏の健康状態に加えて経営状態(誌代回収)悪化の王手飛車らしい。 二度目は昨年九月十三日の鶴田氏の入院に伴うもので、 十月号の休刊と、十一月号のセンベイのような哀れな姿がこれを物語っている。 然し入院中の鶴田氏始め会員多数の努力が実を結び、危機を乗り切るメドがついたのは何よりであった。 以上の如く詰パラにもピンチはあったが、然しこれは個人経営の雑誌としては仕方がないことで、 むしろ、うたかたと生れ、消えていった数多くの将棋雑誌の中にあって、 二十数年の息の長さをこそ称えるべきであろう。 詰パラは長年の会員にとっては空気か水のような存在で(チョット大袈裟) そのよさを語るとなると却って戸惑うが、とにかく詰将棋の愛好者にとっては魅力一杯の雑誌である。 未だ知らない方には御一見の程をお薦めする。

◇其の他で大道棋を比較的多く紹介した雑誌、会報、単行本等

○近代将棋

昭和二十五年四月一日創刊号、昭和五十三年十月号現在にて通巻第三百四十三号、東京「近代将棋社」発行。 (13×18cm、現在15×21cm)

○詰棋界

昭和二十六年四月号より昭和三十一年七月号迄全三十号、東京「詰将棋クラブ」発行、清水考晏主宰 (ガリ版刷17×24cm)

○風ぐるま

昭和二十六年十月号より昭和三十一年四月号迄全五十三冊、高知市島村俊雄発行 (13×19cm)

○黒潮

昭和三十三年五月号より昭和三十七年八月号迄全二十冊、横浜市早川茂男発行 (ガリ版刷会報 18×25cm)

○大道棋研究会報

昭和三十四年十一月一日より昭和三十五年十二月一日迄全十二号、「詰将棋パラダイス編集部」発行。 大道棋百四十三局収録、内双玉五十四局 (13×18cm)

○詰将棋集書上下

昭和二十五年三月十五日「東洋社将棋普及会」編、安田貞雄発行。 全二百三十八局の内大道棋二十局収録。

○将棋実戦十二講

佐瀬勇次七段著、昭和二十五年十二月十五日「土曜文庫」発行。 大道棋十題解説。

○将棋の詰め方

土居市太郎八段、影山稔雄共著、昭和二十六年二月「大泉書店」発行。 大道棋七題解説。

○将棋の詰め方

塚田正夫九段、宮本弓彦三段共著、昭和二十九年七月十日「鶴書房」発行。 大道棋二十二題解説。

○短期日に強くなる将棋

梶一郎著、昭和三十七年「日本文芸社」発行。 大道棋十四題解説。

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以上が現在の私の力(と皆さんの協力)で集めた大道棋文献の一覧表である。 この外にも私などの知らない隠れた棋書があることと思う。 若しご存知の方があれば、月刊「詰将棋パラダイス」誌上に発表してください。

大道棋の歴史及び本稿執筆に当って貴重な棋書を快くお貸し下さいました大塚敏男氏(号、播州、相生市在住詰パラ会員)に心からお礼申し上げる。

又、借覧棋書中最も参考となりました「大道棋辞典」の編著者田代邦夫氏(名古屋市、詰パラ会員)にも併せて厚くお礼申し上げたい。

(藤倉生)

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