浜 松

 静岡県内で東海道と姫街道の分岐点は三ヶ所あるが当初は安間村から分岐して市野宿を通り気賀宿に向かうルートと、浜松宿から気賀宿に向かうルートの両方が併設されていた。その後城下町でもある浜松が経済的に発展し、市野宿は次第にすたれていった。明和元年(1764)に道中奉行の管轄となるが、その時浜松・気賀ルートが本坂通(姫街道)として定められた。また別に市野宿から安間に南下せず、真っすぐ東進して池田の渡しで天竜川を渡り、見附宿で東海道に合流するルートもあった。

★浜松宿
 城下町でもあり、江戸と京都の中間にあって六本陣を有する大きな宿場であった。太平洋戦争の空襲によりかつての面影は失われた。

★高札場(連尺町・谷島屋書店前)
 浜松城の追手門前の東海道沿いにあった。姫街道の分岐点である。

★芭蕉句碑(紺屋町・蓮華寺)
 「八九間 そらて雨降る柳哉」天明年間に建てられたという。

★侍屋敷
 街道は高町の坂の上で北に折れる。ここから鹿谷町に向かう国道257号の両側に侍屋敷があった。

★名残番所
 浜松城下への出入り口に当たる名残村に番所が置かれていた。中部中学校の西北100メートルの亀山小公園のあたりとされる。

★名残追分
 浜名湖東岸の庄内に至る庄内道との分岐点。

★宗円堂
 三方原合戦の戦死者を供養するため、浄土宗の僧宗円が建てたと伝えられる。現在は浜松市の所有となり、犀ヶ崖資料館として遠州大念仏関係の資料が展示されている。

★犀ヶ崖古戦場
 東西2キロ、幅50メートル、深さ20〜40メートルの崖。三方原合戦の際、敗走中の徳川方はこの谷を大きく迂回して浜松城に退却したが、地理不案内の武田方は直進してこの谷に落ち、多くの死傷者をだしたといわれる。記念碑がある。

★大島蓼太・句碑
 「岩角にかふとくたけて椿かな」大島蓼太は天明五俳人の一人。全国を行脚し宝暦・明和の頃この地を訪れた。建立年代は不詳。

★小豆餅
 旅人相手の茶屋があったとされ、街道の目安になっていた。

★犀ヶ崖資料館
 鹿谷町25 TEL472-8383


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