咆哮・檄文・放言 & 怒り・哀しみ・恐怖心   塾長のつぶやきBOX 1    『つぶやきBOX』 へ


28. 6.24 中学・高校での「部活」って?

 昨日「行き過ぎ部活」について考えていたら、「部活」は学校から切り離して地域で個人の範疇でやるべきとの従来からの思いが顕在化してきた。成績をつける権能を持つ教員が主宰者だと抗議するのも躊躇われる。まさに好きな競技に参加することと内申の評価を人質に取られているようなものである。

 とはいえ、場所、施設、人員の配置など学校で扱わなければならないこともあろう。しかし、その際、最大限の注意を払わなくてはならないのは組ぬけを許さないような締めつけを禁止することである。よく見るのが甲子園での高校野球。レギュラーになれず選手の登録枠にも入れなかった部員たちが練習着で応援している姿。私の時代も強豪校の選手は100人を超えていたから必然的に登録枠からあぶれる子がでる。こんな場合私ならさっさと他の種目に乗り換える。

 私が陸上・野球・書道と部活にはまっていた高校時代、高1の最初から受験科目を決めて勉強にはまっていたヤツがいた。(こいつには受験科目たら難易度とか受験の常識を教えてもらって感謝していた。)さて、こいつは所期の希望どうりの大学に進み高校野球を主催する新聞社の記者になった。それで曰く。「高校野球ーーベンチに入れなくても裏で後輩を支えるキラリ光る汗が美しい。この体験は必ず君を成長させ社会で役立つことであろう。ワン フォー オール、オール フォー ワン」笑わせてくれたぜ、部活の経験のない御仁の目には部活はこのように写っているのかと。

 * 2年生で引退するのが普通だという都内の進学高の3年生が「受験は来年もできるが高校野球は今年しかできないから今も続ける」という言葉を賞賛したニュアンスで書いていた。(最近読んだ朝日新聞東京版)これも部活経験の乏しい御仁の作文であろう。大体「2年生で引退」というのがおかしいのだ。日本中の高野連加盟高のうち大半は「3年生夏の甲子園予選」まではやっている。超レアな「2年生で引退」を持ち出してきても納得は得られないだろう。


28. 6.23 高校野球 育成功労って?

 受賞の人の言葉の中に、『甲子園出場という生徒の夢をかなえたい一心で、土日1日12時間、生徒と一緒にグランドですごす・・・。』があった。(朝日新聞6月9日)ご自分の時間を削って高校生の夢のためにというのは美談かも知れない。しかし、野球が好きであっても高校生には進学のための勉強の時間も確保しなければならない。「あんたの趣味で、土日1日12時間も部活にひっぱりまわされた。」と感じる生徒もいよう。しかし、野球は団体競技であるから一人抜けるわけにはゆかない。私自身も高校時代は野球部であったが「@練習試合をのぞき練習は平日のみ。A中間期末などの各試験の2週間前から練習禁止。B赤点を取ったら次の試験まで練習参加不可。」が学校のルールであった。行き過ぎ練習を是正するには頭に血の上った教員のいる現場(学校)では無理なので教委が厳格なルールを作るべきである。

 一部教師による部活の長時間拘束が近辺の中学校でも聞かれる。放課後の練習以外に朝練、夜連。試験中もお構いなしに練習を強要している。私自身の中学には「4・3ルール」つまり、「週4日、一日3時間」が部活の時間であった。(当時はベビーブーマー時代でグランドの平等利用という別の目的があったかもしれない。) それで、抜け穴として野球部の監督(教員)は「生徒が自発的に」と称して公園などで練習させていた。やはり野球大好き人間であった私も一旦は野球部に入った。最初の日曜に「午前6時○○公園に弁当持って集合」というので行った。解散は夕方5時頃、薄暮になってから。数日後には中間試験があるというのにである。翌月曜日、速攻、止めた。結果、その時の野球部の監督の教員とはその後3年間はもちろん卒業後の同窓会(その教員も同窓生で同窓会会長であった)でも気まずくなってしまった。


28. 4. 9 39歳 大学生さんの投書(産経新聞)におどろき


 「生徒らに服従を求めないで」と題するもの。その一部を抜粋させてもらうと、

 ・・・中学生の頃、私は東北地方の公立校に通っていた。その学校は、まるで「学校の主役は生徒でなく、先生だ」と考えているようだった。学校が最も重視するのは、「進学校」に生徒を何人合格させるかで、生徒の進路は先生が決め、親の意見も聞かない。少しでも先生に逆らうと、平手打ちされることもあった。生徒は学校の評価を高めるための「駒」のようだった。・・・。(広島市佐伯区)

 年齢からみて30年近く前に中学校時代を広島市で過ごした私には投書氏の経験は奇異に感じられる。我々の中学時代でも、教師は「不合格の場合、中学浪人ですよ。」と言っていたように思うが、我が家の親たちを含め当時の親は「中学浪人はあんたがする訳ではなかろうが、どの高校を受験するかしないかを決めるのは生徒と親の専権事項ではないのか。」の風潮があったように思う。

 人様の人生に関わる「進路指導」を中学や高校の教員に出来るはずもないし、誤った「進路指導」の責任を誰が取るというのか。また、学校格差がひどい中で内申を事後の学校の選抜に使うのもよろしくない。オリンピックの代表選考に「情実が入り込む」のと同様に「平常点」と称する「情実」が入り込んではいないか。


28. 3. 9 受験ごときで死ぬんじゃねえ。何年遅れでもいい。人生はこれからじゃないか。


 「1年生時に万引き」誤記録で進路指導 広島の中3自殺/広島県府中町はオレの青春の舞台だぜ。

 広島県府中町で昨年12月に中学3年の男子生徒(当時15)が自殺した問題で、学校側が「(生徒が)1年生の時に万引きをした」とする誤った記録をもとに進路指導をしていたことが分かった。この記録にもとづき、学校側は生徒が志望した私立高校に対して学校長による推薦はできない、と告げていた。生徒はこの指導内容が保護者に伝えられた12月8日の夜に自殺したという。府中町教委によると、学校側は生徒が1年生だった当時、別人の万引き行為を生徒の行為として書面に記録。ある教員が校内の会議で誤りを指摘したが、訂正されずに引き継がれた。生徒は私立高を第二志望としていたが、学校側は誤った記録をもとに専願受験はできないと告げていた。学校側は生徒が自殺した翌日の12月9日に開いた全校集会で亡くなったことを伝えたが、公表していなかった。自殺後、誤った記録に基づく進路指導だったことが判明した。町教委は第三者委員会を設けて一連の経緯を調べるとともに、8日の保護者説明会の後に記者会見を開くことにしている。

 わし自身も小学校、中学校時代に出会った先生の大半は今でも目をつぶれば自分の青春の日とともによみがえってくるほど懐かしさでいっぱいになる。 しかし50年たった今でも思い出すとムカムカする教員もいる。(その教員も半ば冗談であったのだろうと、年を経た今では思える。)

【例1】 超おバカな科目をそれこそ死ぬほど頑張って中学2年2学期期末=18点を3学期学年末=86点にすると、担当の教員は「カンニングしたろう!」と断定的にぬかしてきた。「るせ〜!!なら別の問題持ってこいや!」と教室内に響き渡るような大音量でおらんでやった。(おらぶ=叫ぶ)でその結果(別の問題)、94点。・・・ザマーみろ。

【例2】 もう一匹は「中間、期末の合計点でのみ評価する」と事前に言っておきながら中間、期末の2回の合計が190点超のわしの友人が4だったのに、はるかに低い奴が5段階評価の5。当時、内申は高校入試に連動しないからそいつの評価なんぞ屁でもないのだけど不愉快の極みだった。その教員は「贈り物の多寡で評点が決まる。」と部活の先輩からの申し送りがるほど有名であった。(「教員の評価なんぞこんなもんよ」と以後思い込んでしまった。)

 その旨を地元の地方紙(中国新聞)に投書したのだけど「しかと」された。(30年か40年か後、高校だか、どっかの大学だかの同窓会かまたは県人会でこの新聞社のご大層な役職の名刺を出したヤツがいたので、当時の件を持ち出してクソミソにけなしてやった。オレは根に持つ方じゃけんね。)

「結論」 盗撮やる教員、修学旅行の積立金を着服する教員、そして【例1】【例2】の教員。教員にはこんなのもいるんだぜ。こいつらの一言を重く受け止めちゃあダメよ。「記録が誤って」いるのなら大声を上げることだ。「クソ教員のせいで推薦でないんだと、日本死ね!」「府中町やめちゃえ=広島市に併合されちゃえ!」「緑ケ丘中つぶれちまえ!」・・・「第三者委員会を設けて一連の経緯を調べ」ても死んだ子は帰らないが、せめて教育長以下関係者にはきちっと責任とらせてくれ。