電車に並んで座っているとき,どんな話をすればいいんだろう。
倫子は一生懸命,頭を回転させて二人で話す話題を探した。
「えと,先生,電車通学なんてしていましたか?」
「高校時代は自転車だった」
「そうですか」
「電車で通うほど遠くの高校ではなかったし」
「へえ」
「電車の本数も少なかったしな。トレーニングがてら走って帰ることもあった」
「野球部でしたよね」
「そう」
「足は速かったですか」
「速いほうだったよ」
「走っている姿,今の先生からは想像もできません」
「そうかな」
走る姿か。。。走ることなどしなくなってからどのくらいたつだろう。
医者になってからは仕事に追われて,走るなんてことはしなくなった。
病院内を急ぐことはあっても,それは仕事に追われているせいだったし。
この病気になってからは,それすらなくなった。今では長い間歩くこともつらいときがある。
。。。走る自分がずいぶん貴重な姿のように思えた。
「君は?」
「はい?」
「走るのは速かったのか」
「う〜ん。どうでしょう。わりと速いほうだったかな。運動は嫌いじゃなかったし」
「そうか」
「でも最近は体を動かすこともなかなかできないです」
「そうだな」
「先生も体がなまっているんじゃありませんか」
「。。。そんなことはない」
「そうですか? たまにはジョギングとかしませんか」
「そんなことをしなくても,大丈夫」
「そうかなぁ」
「医者の仕事もけっこう重労働だ」
「え?」
「患者の処置でいろいろ体を使うことも多い」
「それならナースも同じですよね」
「そうだな」
それきり,直江は話をしなくなった。何か,ほかのことを考えているようだった。
どうしたんだろう。何か気に障るようなことを言ったかしら。
「先生?」
「ん? ああ,すまない。ちょっと考え事をしていた」
「?」
「君の走る姿を想像していた」
「え」
「君はかけっこで一等になったことはあってもリレーの選手には選ばれない」
「え」
「わりと速いほうだが,そこまで速くない」
「どうしてわかるんですか」
「当たった?」
「はい。リレーの補欠がいいとこで」
「そう」直江が笑った。
「そうだろうな」
「なんですか?」
「それが悔しくて死に物狂いで走るってこともなかっただろう」
「。。。そうですね。ちょっと悔しかったですけど,そこまでは」
「君は負けず嫌いかと思ったが,そうでもないかと思って聞いてみた」
「で,そうでもなかったわけですよね」
「そう」
「期待はずれですか?」
「いや。おもしろいな」
「おもしろい?」
「君はおもしろい」
「なんですか,それ」
「いい意味だよ」
「。。。」
会話がよくわからなくなってきた。
私は足が速そうでもない,そしてそれはおもしろいことらしい。
何を言いたいんだろう。
「先生,一体何を言い。。。」
「僕も君のことが知りたいんだよ」
そう言う直江の目は限りなく優しかった。
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