電車2

電車に並んで座っているとき,どんな話をすればいいんだろう。
倫子は一生懸命,頭を回転させて二人で話す話題を探した。

「えと,先生,電車通学なんてしていましたか?」
「高校時代は自転車だった」
「そうですか」
「電車で通うほど遠くの高校ではなかったし」
「へえ」
「電車の本数も少なかったしな。トレーニングがてら走って帰ることもあった」
「野球部でしたよね」
「そう」
「足は速かったですか」
「速いほうだったよ」
「走っている姿,今の先生からは想像もできません」
「そうかな」

走る姿か。。。走ることなどしなくなってからどのくらいたつだろう。
医者になってからは仕事に追われて,走るなんてことはしなくなった。
病院内を急ぐことはあっても,それは仕事に追われているせいだったし。
この病気になってからは,それすらなくなった。今では長い間歩くこともつらいときがある。
。。。走る自分がずいぶん貴重な姿のように思えた。

「君は?」
「はい?」
「走るのは速かったのか」
「う〜ん。どうでしょう。わりと速いほうだったかな。運動は嫌いじゃなかったし」
「そうか」
「でも最近は体を動かすこともなかなかできないです」
「そうだな」
「先生も体がなまっているんじゃありませんか」
「。。。そんなことはない」
「そうですか? たまにはジョギングとかしませんか」
「そんなことをしなくても,大丈夫」
「そうかなぁ」
「医者の仕事もけっこう重労働だ」
「え?」
「患者の処置でいろいろ体を使うことも多い」
「それならナースも同じですよね」
「そうだな」

それきり,直江は話をしなくなった。何か,ほかのことを考えているようだった。
どうしたんだろう。何か気に障るようなことを言ったかしら。

「先生?」
「ん? ああ,すまない。ちょっと考え事をしていた」
「?」
「君の走る姿を想像していた」
「え」
「君はかけっこで一等になったことはあってもリレーの選手には選ばれない」
「え」
「わりと速いほうだが,そこまで速くない」
「どうしてわかるんですか」
「当たった?」
「はい。リレーの補欠がいいとこで」

「そう」直江が笑った。
「そうだろうな」
「なんですか?」
「それが悔しくて死に物狂いで走るってこともなかっただろう」
「。。。そうですね。ちょっと悔しかったですけど,そこまでは」
「君は負けず嫌いかと思ったが,そうでもないかと思って聞いてみた」
「で,そうでもなかったわけですよね」
「そう」
「期待はずれですか?」
「いや。おもしろいな」
「おもしろい?」
「君はおもしろい」
「なんですか,それ」
「いい意味だよ」
「。。。」

会話がよくわからなくなってきた。
私は足が速そうでもない,そしてそれはおもしろいことらしい。
何を言いたいんだろう。
「先生,一体何を言い。。。」
「僕も君のことが知りたいんだよ」

そう言う直江の目は限りなく優しかった。

「電車での会話」パート2。個人的なことを言わせてもらえれば,二人が並んで座っているところに遭遇したいもんです。
こっそり観察できたらどんなにうれしいでしょう!!