電車1

「なんか。。。変な感じですね」
「そうか?」

映画を見終わり,初めて二人はそろって電車に乗って帰ることにした。
もともと直江は電車での移動は好きではない。
痛みの心配もあるし,病気のことがあって以来,人ごみが好きではなくなっていた。
それが,今日は思いがけず倫子と一緒に乗っている。
映画館が駅に近かったせいもあって,倫子が「乗りませんか」と誘ったのだ。

金曜日の夜らしく,電車は会社帰りのサラリーマンやOLで混んでいた。
二つほど駅が過ぎたところで,車内がすき,二人で並んで腰掛けることができた。

「なんか。。。変な感じですね」 また倫子が言った。
「何度も,どうした?」
「え」
「さっきもそう言っていた」
「ああ,すみません。。。視線,気になりませんか?」
「視線?」
「誰ってわけではないんですけど」
「変だな」

直江は首をかしげて微笑んだ。そして,倫子がもっていた映画のパンフレットを手に取って見始めた。
そもそも倫子には直江の横に座っている,この状態が緊張するのだ。
それに,病院の誰かに見られないとも限らない。
何も考えずに乗ろうと誘ったが,ちょっと後悔していた。

「今日の映画はどうでしたか?」
「映画は久しぶりだったから疲れた」
「疲れた?」
「話はよかった」

直江は,長時間座ったままの姿勢でいるのに耐えられるか自信がなかった。
痛みが襲ってきたときのことを考えて,あまり映画に集中できないと思っていた。
だが,倫子が二人で見たいと選んだ映画は意外におもしろく,直江は時間を忘れて映画を楽しむことができた。

「ありがとう」
「はい? なんですか,いきなり」
「いい映画を選んでくれた」
「そういってもらえるとうれしいです。また,誘ってもいいですか?」
「もちろん」
「ふふ」 倫子は直江からパンフレットを受け取ると,うれしそうにページをめくり始めた。

『もちろん』 その気持ちは本物だった。
映画を見たり,食事をしたり。そういう当たり前のことをいつまでできるかわからないが,できるまでしていこう。

「そうだ。今度ビデオを借りて見ましょうか」
「ん?」
「そうすれば家でゆっくり見られますし」
「そうだな」
「いいんですか? じゃあ,今日とか。。。だめですか」
「今日?」
「この監督さんの映画,ほかにもいいのがたくさんあるんですよ」
「見たことがあるの?」
「一つだけですけど,ほかのも見てみたいと思ってたんです」

ビデオか。。。部屋を暗くして,ソファに座って映画を見る。
つまみでも作ってくれれば,食べられそうな気がした。
ワインでも気持ちよく酔えそうだ。。。

「それも悪くない」 つい,本音が口をついて出た。
「本当ですか?」
「ああ。でも,君はいいのか」
「はい。オールナイトにしたとか電話すればいいですし」
「大丈夫か」
「だって嘘にはなりませんもーん。えと,近くにレンタルショップってありましたっけ? 確かあそこの近くに。。。」

直江の心配をよそに倫子ははしゃいで考え始めた。こんなこともきっとつきあっていれば,当たり前のことだろう。
そういう時間を共有する自分と倫子が,何か不思議な気がした。
こんなことがいつまでも続いていきそうな,幸福の予感。

「ワインを買って帰ろうか」
何もかも忘れたいと,直江は思った。

「電車での会話」をリクエストされて考えたのは映画を見た帰りの話。
そして,並んで座った二人の会話。直江先生は黒いコートです。もちろん。