奇跡

「以上です。よろしくお願いします」
「はい。くれぐれも体調には気をつけてください」
「ありがとうございます」

カルテを片付け始めた直江の背中を見ながら、小橋はつぶやくように言った。
「。。。うらやましいです」
「はい?」
「それほど好きになれる相手に出会えて、うらやましいです」
「そうですね。。。僕もそう思います」
振り返って直江が言った。
「奇跡じゃないかと思っています」
「奇跡、ですか」
「はい。。。幸せなことです」
「幸せ。。。」
「悪いことばかりじゃないんですね」
直江は静かに微笑みながらそう言った。

この微笑みは彼女がいるからだろう。
彼がこのところ変わってきたのも、彼女がいるからだろう。

「何が決めてだったんですか」
「え? なんですか。いきなり」
「あ、いや」

「小橋先生の質問とも思えませんが」
「僕はまだそういう気持ちになったことがないので、今後の参考に。。。」
あわてて言い訳をする小橋を見て、直江はさっきとは違う柔らかい表情で言った。
「そうですね。。。さっきも言いましたが、彼女の笑顔は何物にも変え難い宝物です。
。。。あの笑顔が忘れられなくなったということでしょうか」
「そうですか」
「不思議な気持ちです」
「そうなんですか」
「。。。彼女といれば病気のことも忘れることができます。
一瞬ですが、それでも、今の僕にとっては貴重な時間です」
「直江先生。。。」
「ああ、話しすぎました」
「すみません。お引止めしてしまって」
「いえ、それでは失礼します」

「直江先生」
「はい?」
「彼女にお話しになったんですか」
「自分の気持ちなど素直に言えるような人間ではないので」
「彼女も聞いたりはしないんでしょうね」
「そうですね」
「そういう人だから僕は彼女を愛することができた」
直江が笑った。
「いや、その言葉は忘れてください」
「感動しました」
「。。。では、いつか、彼女に話してくださいませんか」
「僕がですか」
「僕は直接言えそうもないので」

『いつか』
悲しいことだ、と小橋は思った。
しかし、目の前にいる直江に悲壮感は感じられなかった。
。。。優しい顔をしている。

「やはり、うらやましいです」
その言葉を聞いて、直江は微笑みながら頭を下げて、医局のドアを開けた。

「決心」の続きです。