「ちょっと,仕事してもいいかな」
夕食の後,倫子がコーヒーを持っていくと,直江が言った。
「? あ,はい。どうそ」
「ちょっとまとめたい資料があってね」
直江は,椅子に座るとなにやら書類を出して仕事を始めた。
倫子はデスクに直江が座っているところを初めて見た。
医者であれば,家でもまとめたい仕事や勉強などは必要なんだろう。
ここには何度かきているが,今まで見なかったのが不思議かもしれない。
「私,帰ったほうがいいですか」
「いや,君さえよければいてくれてかまわない」
「ほんとに?」
「すまない」
「いえ,そんな」
「でも,何もしないでいるのも退屈だろうな」
「何か夜食でも作りましょうか。たいしたものは作れませんけど」
「そう。。。あっさりしたものなら食べられそうだ」
「じゃあ,ちょっと考えてみます」
MMの資料をまとめるのにかなりの時間を要していた。
これまでも時間を見つけてはコツコツ作業してきたつもりだが,佳境に入ってきた感がある。
倫子がいるときはこんなことなどしたくはなかったが,そうもいっていられなかった。
病院ではレントゲンを撮るのが精一杯で,資料をまとめることなど無理だし,
倫子との時間を大切にしたいと思えば,帰宅後作業にかかる時間が削られる。
。。。時間がなかった。
「テレビでも見たらいい」
「え,でもお仕事の邪魔じゃありませんか」
「そんなことはない」
「でも。。。あ、じゃあ,CDを聴いてもいいですか」
「ん? ああ、そうだな。今入っているもの以外でも,奥のキャビネットに入ってるから,出して聴くといい」
「あ,はい。ありがとうございます」
先生はどういうものを聴いてるんだろう。
興味深々で見てみたら,ほとんどがクラシックだった。
はっきりいって,倫子はクラシックをよく知らない。
聴こうにもどれがいいかわからないのだ。
「あのう,すみません」
「ん?」
「先生はどれがお好きなんですか?」
「なに?」
「えっと。。。私クラシックはよくわからなくて。だから,先生のお好きなのを聴いてみようかなって」
「今中に入ってるものは気に入っているものばかりだ」
「じゃあ,聴いてみます」
「使い方はわかる?」
「なんとかやってみます。すみません。お邪魔して」
「いや」
しばらくして,曲が流れてきた。
ちょっとてまどったようだが,なんとか使い方がわかったらしい。
そういえば,直江も最近,聴いていなかった。
『久しぶりだな』
このところあまり聴いていなかったが、今日は体調もいいし、作業もはかどりそうだと思った。
CDが終わりに近づくころ,直江はリビングから音がしないのに気づいた。
まさか帰ったりはしないだろうが,どうしたんだろう?
リビングの方を見ても,倫子の姿は見えなかった。
気になって,立ち上がって見ると。。。ソファにもたれて眠っている倫子が見えた。
ちょうど頭がソファの背もたれに隠れて見えなかったのだ。
倫子は幸せそうな顔をして眠っていた。
クラシックはあまり好きじゃないらしい。
申し訳ないことをしたかな。。。
でも,こんな顔をして寝てくれたら,それもいいかもしれない。
今のCDをもう一回かけてまた聴こう。彼女はこのままにして。
直江は、そう思った。
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