NN病的「広告批評」

■ Contens

  • SMAP広告を語る
  • 知っている限りで「SMAP」のこと 吉本隆明
  • SMAPほぼ全CM525本
  • SMAPはすでにプロジェクトだ 佐藤可士和×多田琢
  • 五人そろうと緊張します 関口 現
  • 貪欲さが見えないのがいい 石井克人
  • 映像のテイストが変わる 田中秀幸
  • カッコいいにつきます 中島哲也
  • どこから撮っても決まる 若木信吾
  • SMAPのアルバムは誰がデザインしてきたのか?
  • SMAPのミュージックビデオで5人の変貌を見る
  • SMAP、ユニット、データベース 永江 朗

■雑誌を手にして
この雑誌は初めて見た。
確か編集長の方は「ブロードキャスター」にコメンテーターとして出演されることがあるように思う。
『ああ、あの人の雑誌なんだぁ』単純な感想で。
いわゆる広告業界および広告業界に興味のある人が見る雑誌? 
一概には言えないが、言えることは『興味のない人は見ないだろう雑誌』であるということ。
見ないというか、その存在すら知らない、一般人にとっては特殊ともいえる雑誌。
取扱店が限られている(おまけに書店買取らしい)ことからもわかる。
さて、まずその大きさに驚いた。予想より小さい。私はキネマ旬報くらいの雑誌を想像していたのだ。
それより小さい。A5版だ。そして、紙の質がよい。
広告をテーマにしているからにはその映像やポスターのデザインや視覚的な要素も取り上げられるからだろう。
考えてみれば紙質が良いのは当たり前なのかもしれないが、
私は巻頭カラーページはあっても、フルカラー版とは想像していなかったのだ。
ある程度の大きさで値段がそう高くなければ(どの号も約600円)、必然的に紙質などは落ちるだろう。。。
という安易な発想だったのだが、その想像はいい意味で裏切られた。

■写真集?
写真集かとみまごうばかりの表紙。『広告批評』という文字より大きい『広告SMAP』の文字。
しかし、当然あるべきグラビアが。。。。ない。したがって、これは写真集ではないのだった。
あくまで広告批評であって、誰にインタビューするからといって、グラビアは載せないのかもしれない。
(本上まなみには数枚カットが入っていて、超うらやましかったりもした)

SMAPの特集であることは言っていたが、ほぼ全編SMAPだとは思わなかった。
この本、割と厚いのだが、紙質がよいためページ数は172ページと少ない。
そのうちの約半分、80ページ強にSMAPのことが書かれている。

なぜか表紙は篠山紀信がわざわざSMAP×SMAPのリハーサル室まで出かけていって撮っている。
5人がそろうのはあの収録現場しかないからなのかもしれないが、
そんな贅沢して1枚だけってそれは残念だ。せめて1人ずつの写真がほしかったところだが。
「Snap」とは違う、篠山紀信が撮るSMAPをもっと見たかったなぁと思う。
みんな色っぽく撮られたに違いないから。

■ひたすら「白い影」を探す
SMAPについてCMディレクターなどが論じている企画が多い。
基本的に私は活字が好きである。したがって、読み物が多いのは非常にありがたかった。

吉本隆明氏は「ビューティフルライフ」と「白い影」を見ていたらしい。
『かなり熱心に』という言葉にしばし感激。
しかし、この方の文章は難しかった。一度読んでも意味がよくわからないのだ。
吉本ばなな氏のお父上らしい。ん? とすると、確かかなり高名な方だったような。。。
「無理を言って無理をお願いした」とあったとおりの方のようだ。
しかし、なぜこの方だったのか、という理由はわからないが。
SMAPを近代文学の士と比べてしまうあたり、興味深かった。

さて、その内容についての感想であるが、いわゆる「キムタク」の魅力を
「両性具備」と表現しているのにちょっと驚いた。
木村拓哉の魅力はそういうものではないと、私は思っていたから。
ある意味、彼ほど『男性』を意識している(させている)人はいないと思っていた。
彼の魅力はその男性的な部分であり、それがどうしようもなく女性だけでなく男性も
『かっこいい』と惹きつけるものなのだと思っていた。
キムタク好きな男の人ってけっこういる。『男惚れ』するってやつだ。
多分5人の中で単独でいて一番オーラがあるのは彼だと思う。

木村拓哉の次に「中居正広が医者役をやったドラマ」として「白い影」の話は登場する。
吉本氏が「ドラマ作家」と表現していたのは、おそらく企画と脚本を両方あわせたものを言っているのだろうが、
『中居正広の資質を引き出していた』と述べていた。
中居正広だからこのドラマは成功したんだということをわかっていることに、私は感激した。
それと同時に、ドラマ作家の力量を誉めている文章を読んで、
私はあらためて渡辺淳一氏の原作の素晴らしさを思わずにいられなかった。
ドラマ作家が考えたストーリーじゃない。あのドラマには原作があり、
その原作を踏まえた上でさらに中居正広のためのドラマにスタッフが設定し直したんだということ。
おそらく、原作があることはあまり注視していなかったのだろう。
あの原作があったということ。あの原作に中居正広がハマるとわかっていた人がいたこと。
そして、原作を下地に中居正広のためにドラマを構成したスタッフ、脚本家がいたということ。
そういうことを教えてあげたかった。
『中居正広の演技力に感心した』
『性格俳優なみに好演していた』
彼に関する賛辞は見るのも聞くのも、単純に非常に嬉しいものである。

後半は難解な文章が続く。
いいたいことはなんとなーくわかるような気がするけれど、とにかく難しい。
以下、吉本氏の文章を引用する。
−コント55号からたけし、タモリ、さんまにいたる優れた芸能家は、
 個性を野放図に解放するところまで演技を自在化できるところに達成感がある。
 こういう視線に沿って言えば「SMAP」の人たちは「禁欲」を演技や資質の解放のために
 逆説的に使いこなしているように思える。
 たけしやタモリやさんまは現在の沈滞した社会的な雰囲気に対応するためには
 解放感や笑いの要素を今までよりももっと大胆に拡大してみせるよりほかない。
 これに対応して「SMAP」の人たちは「禁欲」性を伸縮自在に行使することになるほかないと思える。
 これが「SMAP」の未来図ではなかろうか。−

私の解釈は、「個性を解放するところまで演技を自在化できる」という優れた芸能家が
駆使している『欲』を、SMAPはあえて『抑えて』使いこなす。
このことが『逆に』彼らの資質を解放させている、ってこと。
書いてる本人もよくわかっていないが、そういう結論になった。

■中居くん
永江朗氏はフリーライターとして『SMAPとは』ということについて論じている。
私はこの方の意見にひどく同意した。PSIKOで言われていたことともダブる感があるが、
SMAP成功の理由として、『バラ売り』『お笑い』『スタッフ』は誰しも認めるところだろう。
ファンではない私だってそう思っていたくらいだから。
『お笑いを征したものは強い』それはあたっている。
そして、それに力を入れたいと20代前半に決意した中居氏は先見の明があったのだと改めて思う。
バラエティで成功している人はMCでも力を発揮する。

永江氏の話のとっかかりが『中居くん』であるところが非常におもしろいと思った。
「くん」づけってある意味非常に馴れ馴れしい。
そして、相手を自分と同等かそれ以下に見ていると聞こえがちだ。
会社で後輩の男性をxxくんと呼ぶ。しかし、いずれ彼らは私の上司になる。
順調に行けば。そして、そうなったときにxxくんでは失礼なのだと思う。
だから、本当ははじめからxxさんって呼ぶようにしとかないといけないんだけど、
今でもxxくんと呼んでしまう男性はどうしてもいるものだ。
くん付けで呼んでいた時間が長ければ長いほど。
だから、というわけでもないが、『中居くん』はこのままいつまでたっても『中居くん』なんだろう。
それもある意味すごいことなんだよね。

■編集後記
最後に編集長の言葉を引用させていただく。私、この文章、超好きである。
−SMAPの面々が、職業人としてのまっすぐな姿勢をいつどうやって手に入れたのか、
 想像するしかありませんが、
 それぞれに内発的なモラルを持ち、自分の自慢や他人(メンバー)の批判をせず、
 仕事は、技術であると同時に、自分を鍛えるものだと思っていて、
 けれど、それは言葉のはしばしには感じさせても、決して精神論にはならない。
 こういう仕事へのモラルを、どれだけの大人が持ちえてきたことかと思います−

終わり