NN病的「NN病と癒しの関係」

私はNN病である。2002年にわかにNN病の周辺が騒がしくなった。
それまではネットの中で静かに深く浸透しつつあったNN病だが、
1年経ってようやく?世間にNN病が認知される状況になりつつある。
NN病についてここで説明する気はないが、「中居直江病」のことである。
3月、 まず関西地方の新聞が取り上げ、続いて全国紙、週刊誌が後に続いた。
それらのタイトルを並べてみると。。。

  • 「癒しを求める女性たち」
  • 「ドクター中居くんを忘れない」
  • 「NN病にハマる主婦たち」

これらのNN病を報道する新聞、週刊誌はこぞって「癒しを求める」病気であると、
NN病を定義していた。「私を癒して」などのタイトルをつけて。
「ドクター中居くんを忘れない」 などというのはもちろん論外だが、
癒し? 癒しってどういうことよ?
NN病がどうして癒しを求める病気なのか理解できなかった。
巷で癒しという言葉はよく聞くが、癒しとはどういうことを指すのか。

私は直江先生によって癒されたいとも癒されたとも思っていない。
癒しの対象ではないのだ。
そもそもNN病になったのは「直江先生を理解したい」という思いからであって、
直江先生に夢中になるのも、直江先生のことを考えるのも、
すべて直江先生を理解したいためなのだと思う。

しかし、である。あるNN病患者の人が言った。
「一人でDVDをみていると直江先生が自分だけのものになったような気がする。
セリフが少ない分、目つきや仕草一つ一つが私だけを癒してくれる」
。。。う〜ん。。。確かに私も一人で見る。
見れば確かにその世界に引きずり込まれるし、禁断症状はおさまるし、充足感もある。
それが癒しということなのだろうか?
「心が満たされる」とは思うが、逆にいろいろなことを考えるのも事実である。
生きるということ、死ぬということ、やさしさということ、嘘ということ。
直江先生のまわりにはこれらのことが複雑にまとわりついているから。
だから、私の場合はただ癒されるというものではないと思うのだ。

しかし、「直江先生を理解したい」という気持ちがどこからくるのか、
どうしてそう思うのかという理由を、私は説明することができない。
新聞の取材を受けたとき、矢継ぎ早にいろいろな質問をされた。
『喪失感は感じましたか?』
『何がそんなに魅力なんですか?』
『どうして直江先生に惹かれるんですか?』
『中居さんのどこがそんなに人を引きつけると思いますか?』
最後には
『その思いって一体何なんですか?』
とまで質問された。
私は答えに困った。
はっきりと言葉にできるほどの明確な理由を持っていないような気がした。
いや、理由はある。ただ、それを人に説明できないのだ。
『何が』 と聞かれても 『どうして』 と聞かれても、
「直江先生だから」ということしか言えないような気がする。
それも「中居くんの演じた直江先生だから」 という答えになる。
私にとっては正直な、しかしほかの人から見たらよくわからない理由で
ひたすら直江先生を追いかけるNN病患者の行動は、
そうでない人から見たらとても奇異に見えるだろう。
多分理解してもらえないと思う。
そこに「癒されるため」という流行りの定義を当てはめてみると、
もしかしたら理解しやすいのかもしれない。

何やらNN病が一人歩きを始めた感がある。
うれしいと思う反面、「癒し」というくくりで単なる流行り言葉のように扱われるのは、
NN病患者の本意ではないと思う。
今後暴走しないことを祈っている。
そして。。。一番心配なのは、純粋な中居ファンがどう思っているのかということ。
認めてもらえないかもしれないよね。
このホームページを開設していると、中居ファンの方からメールをいただくことが多々ある。
ありがたいことに『白い影で中居ファンが増えてうれしい』と好意的なものがほとんど。
だが、拒否反応を示している方もいるだろう。
NN病患者はほとんどの場合中居ファンになっているけれど、
中居ファンすべてがNN病患者ではないんだよね。

終わり