NN病的「僕の生きる道」にみるもう一つの生き方

■「僕の生きる道」
2003年の1月クールの「僕の生きる道」。
余命がわずかというところ、好きな人に打ち明けるか悩むところ。
人生や生き方というものに対する叫び。
そういうものは、直江先生と共通する。
というか、私の場合は、ほとんど重ね合わせてみてしまっている。
ツヨポン、ごめん。
あなたはほんとうに死にそうなくらい影が薄くて消えそうだよ。
だから余計話に入り込みやすいのかもしれない。
でも、考えるのは直江先生のことなんだよ。本当にごめん。

ツヨポンを見ながら、いつもいつも「直江先生にもこういう生き方があったのか」とか
「直江先生が同じことを言ったとしたら、倫子はどうするのかな」とか
「直江先生も同じように怖かっただろうに」とか、そんなことをずーっと考えている。
中村先生の言動はいたって普通の人のように思える。
病気のことも正直に話すし、僕は怖い、だからそばにいてほしい。そうみどり先生に話す。
普通の人だったら、そう考えてそう言うだろうと思う。一人でなんて耐えられない。
直江先生のようには複雑には考えられない。もっと単純だ。
そして、みどり先生もまた、普通の受け止め方をして、とても素直に行動する。
もうすぐ別れはやってくるのは同じだけれど、そこに至るまでの過程がちがう。

やっぱり直江先生が特殊なのは、『自分の余命を判断できる医者』だったからなんだろうか。
だから、一人で抱えて一人で逝って、好きな人には笑っていてほしいと、そう思うんだろうか。
今まで悲しむ人たちをたくさん見てきたから。
それとも、普通の人とは死の受け止め方が違うのかな。
繊細すぎるのか。優しすぎるのか。それとも、強すぎるのか。

直江先生は最後まで目の前の幸せに身を委ねることを潔しとしなかった。
それは、そういう小さな幸せを積み重ねていくことに、その果てに死が待っていることに耐えられなかった、ということ?
そんなことを考えると、中村先生のほうがよほど強いような気もしてくる。

直江先生が弱さをさらけ出したら、私たちはどうしたんだろう。
それでも直江先生から離れられなくなるのだろうか。
倫子に告げて、中村先生と同じように別れを告げる直江先生。
というより、直江先生なら、はじめから倫子を受け入れないよね。
やっぱり想像できないなぁ。だって、倫子を受け入れるまでに、ものすごく葛藤したのを私たちは知っているから。
そんな直江先生がようやく受け入れた倫子に別れを告げるなんてことはするはずがない。
言うつもりなら受け入れたりしないんだから。
受け入れたから言わなかったんだから。
言わなくてはならないのなら、そもそも関わりを持つのをやめるだろう。

それが直江先生だ。

倫子の行動はわかるような気がする。みどり先生と一緒。
そばにいたい、それだけ願って、明るく振舞うでしょう。
それができるみどり先生も倫子も強い人なんだとは思うけれど。
みどり先生と倫子の、どっちが幸せなんだろう。
二人とも同じくらい涙を流すだろうけれど、二人とも幸せだったと言うだろうか。
倫子は直江先生の考えを受け止めて、陽介くんを産んだ。

一緒に暮らしたり、教会で二人きりの式を挙げたり。
それを見ながら、どうしても直江先生と倫子を思ってしまう。
そういう幸せが二人にもあったらよかったのに。
あのマンションの部屋で倫子と暮らす風景を見られたら、私たちだってうれしかったはずだ。
挙式? 幸せそうな直江先生を見たかったな。あの二人の式はそれはそれはきれいだっただろうから。
ツヨポンは白いタキシードだったけれど、直江先生は黒、だろうな。うん。
卒倒しそうなくらいきれいだろうなぁ。。。

『思いを残す』 逝く人間はこの世に思いを残し、残された人間にも逝く人間に対する思いは残る。
たとえつらくても、それだけの思いが持てたら幸せ。
最期にボートの上でガラスのボートを握り締めた直江先生を思い出す。
後悔して、未練の気持ちを断ち切って、倫子の強さを信じた直江先生。

■ついでに「高校教師」
こちらのドラマで、もう一つの生き方という点ではあまり直江先生と重ね合わせることはないと思う。
ただ、好きな人と関係を持つかどうかという話になると、やっぱり直江先生を思い出さずにはいられない。
古賀先生の病気を自分の病気だと思い込み、自分はもうすぐ死んじゃうんだからと思いつめる雛。
古賀先生に迫る彼女を拒絶するときに古賀先生は言う。
「君に後ろめたくて恋愛ができなくなる」
これは古賀先生の、残される雛に対する思いなんだけれど、直江先生にも当てはまる。
そう言われた雛は『自分のことだけしか考えなかった』と思う。

関係を持つこと=『自分のことだけ』考える。。。という方式が成り立つのだとしたら、
直江先生は果たして自分のことだけ考えて倫子を受け入れたのだろうか。
自分のことだけしか考えていない関係は、むしろ三樹子と小夜子との関係になら当てはまるように思う。
倫子との場合は、相手のことを考えすぎて、葛藤していた。
そして、その先に受け入れるという決断をした。
結局のところ、古賀先生も雛を受け入れるのだけれど、古賀先生はただ『自分の気持ちに正直に』なった感じがする。
それは、一言で言ってしまえば『今の幸せを大事にしたい』ということになるのかな。

うん。。。それは直江先生も同じだよね。
『自分の気持ちに正直に』『今の幸せを大事にしたい』
それが一番シンプルで大切な答えなのかもしれない。
別れがどんなに悲しくても、その気持ちは相手に伝わっているはずだと。

終わり