NN病的「だぶってしまう姿」

■ニュース

いかりやさんが亡くなられたことを知ったとき、私はまず最初に「石倉さんと同じだ」と思った。夫も最初に私に向かってそう言ったほどだった。そして、石倉さんを見送った直江先生と同じように、いかりやさんの死を知ったときの彼の気持ちを考えた。
彼がどう思ったのか、ショックを受けたに違いないだろうけれど、それはどういう気持ちだったのか、そんなことを考えた。
そんなこと、私なんかにわかるはずはないのに。でも、なんだかだぶってしまう。
それだからこそなおさら、かなりショック受けたんじゃないのかなと思った。
いかりやさんについてのニュースは通夜、告別式、ドリフの特番などが数日続いたが、その中のどれも「白い影」に触れることはなかった。TBSでさえ、だ。
唯一私が確認したのは日テレがBGMに白い影のサントラを使用していたことくらいだ。
俳優としてのいかりやさんを語るとき、白い影の話はまったく出てこなかった。
あまりに現実とだぶるから配慮して使わないのだろうと思う反面、ご遺族の依頼でもあったのかとも思ってしまった。あまりにだぶるから。
白い影でのいかりやさんの配役を、当時私は「いかりやさんのような大御所をすごいなぁ」などと単純に思ったものだが、あらためて俳優としてのいかりやさんを回想する番組を見ると思いのほか俳優歴が短いことに気づいた。
ドリフとしての一時代の後に俳優を本格的に始めた。
代表作は「踊る〜」。あれやこれや見たように思っていたが。
だったら。「白い影」も代表作といっていいくらいなのに。それほどのドラマであり、演技だったのに。

■彼の姿

通夜の映像。私は必死で彼の姿を探していた。
しかし、映像はドリフのメンバーと織田さんと木村さんがほとんどだった。
香取&稲垣2人の姿も流れていた。しかし、彼の姿はなかった。
ドラマの撮影で時間が取れなかったのかと思い。それなら仕方ないと思い。
そして見るのをあきらめかけたとき、彼の姿が映った。
通夜も終わり、他の参列者の姿もない時間。彼は一人で焼香して、遺影をじっと見つめて手を合わせていた。
そのひっそりとしたお別れの仕方に、何故か涙が出てしかたがなかった。
何も語らず、ひっそりと。あまり映像も流れることもなく。
白い影の映像も使われなかったのだから、彼と彼の間にどういうつながりがあったのか知らない人もいるだろう。
でも、彼と彼の間には白い影というドラマがあり、石倉さんという癌患者がおり、直江先生という医者が存在したのだ。その縁を知っている私たちは、彼の姿にいろいろなことを思い出した。
そこにそうして手を合わせている彼の気持ち。いかりやさんに対する気持ち。
同じ病名であることの不思議。

■1ケ月たって

1ケ月以上経ったサムガで話す彼を「らしい」と思う。当時コメントを「僕なんかが」と話す彼を「らしい」と思う。
そして、ビストロでのエピソードを話す彼を「らしい」と思う。
あのとき、オンエアでは「最初に脈をとられるかと思った」といういかりやさんの言葉があったけれど。
そのときに「最初に直江先生のところに行けばよかったな」って言われたこと。
「って言ってくれたんですよ」という彼を「らしい」と思う。
「直江先生に診てもらったらもっと早く治ったかもしれないね」などという、いかりやさんの話を聴いたら。。。それこそまた涙が出て仕方がない。
いかりやさんの中にも直江先生は存在していて。
病名をきいたとき、直江先生のことを思い出しただろういかりやさんの、いかりやさんの病気を知って石倉さんを思い出しただろう彼の気持ちを思う。
あれはドラマの世界だといっても、それでも2人は直江先生のことを忘れていないのがわかるから。

ビストロで「それとすごく、だぶりました」「びっくりして、ほんとに」「自分ができることってなんかないのかな、なんて思いましたもん」そのとき彼はこうも話したのだ。

■あれから

あれから私は白い影を見ていなかったが、最近ちょっとだけ直江先生と倫子の場面だけ見るようにしている。石倉さんが出てくるところは避けてしまう。まだ見られない。石倉さんとの直江先生もなくてはならない場面だけど、まだ見られない。いかりやさんが亡くなったなんて信じられないな。。。