【資料】 衆議院・教育基本法特別委員会傍聴記
                      子どもと教科書全国ネット21による集約
                      教育基本法「改正」情報センターHPに掲載

5月16日
 とにかく身体を鍛えておかなければ傍聴はできないな、という感じでした。議員面会所で傍聴券をもらって、雨の中を議場の入り口まで移動して、持ち物は筆記用具以外はすべてロッカーに入れろと指示されて探知ゲートを通らされて、でも「財布は手放さない」と言い張って持ち込みました。一階までエレベーターで行って、そこからまたエレベーターを乗り換えて四階まで行ってやっと傍聴席にたどり着きました。前後が狭くて身じろぎもできにくい、決して快適とはいえないところです。
内容は新聞報道などでご覧のことと思います。どう一所懸命聞いていても今教育基本法を「改正」しなければならない理由は理解できませんでした。
議場の様子もおよそ真剣とは見えませんでした。まるで学級崩壊の教室のようです。だれかれとなく出入りは絶えないし、隣同士どころか後ろを向いて話をしているのもあちこちに見られます。内容はよく分らないのですが決してパンチの効いているのでもないやじで発言者の内容が聞き取れないところもあったし、なにか不思議だったのは、2度ばかり議長の後ろの日の丸のそばにどこからともなく4,5人の人が集まってきて、なにかささやきあっていてはまたそれぞれの席に帰っていくのでした。なんだったんでしょうね。
こんな状況の中でこの大切な教育基本法が壊されてしまうのかと思うと腹が立って、負けたら悔しいからなんとしてでもがんばらなければ、とファイトも湧いてきました。
早速かねて準備してあった各委員への申し入れをファックスしています。45通に宛名を張り替えながら送るのはなかなか手間がかかりますが、これから育っていく孫たちの顔を思い浮かべながら決して負けられないとがんばっています。
申し入れは別紙のようなものです。実物はあえて手書きにしてみました。たぶんパソコン文書が圧倒的に多いでしょうから、そこそこの悪筆はかえって目にとまるかな、などと思いまして。
特別委員会が始まったらできるだけ傍聴に行きたいと思っています。 (W・T)

教育基本法に関する特別委員会           様

教育基本法を「改正」しないで下さい。
16日の教育基本法に関する本会議を傍聴しました。一所懸命聞いていましたが、今教育基本法を「改正」しなければならない積極的な理由は理解できませんでした。議場の雰囲気も真剣とは見えませんでした。
そもそもこの「改正」については、中央教育審議会に設置された基本問題部会での審議の時から定足数を満たさない回があるなど、議論も気運も盛り上がらないものでした。文部科学省が主催した2002年11月30日の「一日中教審」、2003年10月4日の「教育改革フォーラム」も傍聴しましたが、決して今すぐ教育基本法を「改正しなければ・・」という雰囲気も気運も感じられませんでした。
ここに来て急に動きが活発化しましたが、特に「愛国心」の盛り込みをめぐる思惑と駆け引きばかりが目について、これからの教育にとってほんとうに大切なことは何なのか、現行教育基本法ではほんとうにだめなのか、という本質の検討はつくされていないと思います。
 現行教育基本法を改めて読みなおしてみましたが、必要なことはきちんと書かれています。それを生かしきってこなかったことが問題なのではないでしょうか。「教育は国家百年の計」です。現教基法は制定されて約60年、あと40年これを生かしきるためにがんばりませんか。
今、あたふたと、不出来な寄木細工のような「改正」など強行してしまっては百年後の人々に申しわけないことになってしまいます。貴委員会が拙速におちいることなく、慎重な審議を行ない、「改正」ではなく、現行教育基本法を生かしきる道を選ばれることを心から願います。

5月16日
政府の教育基本法案の趣旨説明は、何のために変えるのか、という疑問に答えることなく、単に60年経ったから、教育をめぐる情勢が変わったから、など、相変わらずで、心に響く内容がありませんでした。
質疑について、私のメモから気になった質疑を簡単に報告します。
Q―自民党・下村博文の質問
戦後教育に誤りがあった。ルール無視の風潮、全て原因が現在の教育基本法にあるとばかりの主張を展開。
A―小坂文部科学大臣の答弁
宗教は、世界の主要宗教を教える。教育内容への国の支配があってはならないと主張する人がいるが、昭和51年に最高裁で国が必要なら介入しても良いという判決が出ているから、内容に踏み込んでも良い、と主張。
Q―民主党・鳩山由紀夫議員
国会後半になって、教育基本法を上程するなんて、教育に対する情熱がないからだ。2〜3年じっくり時間をかけて討論すべき。近々、民主党案を出す予定。憲法の理念を決めた上で、教育基本法もその方向に沿って変えていくべきだ。1ヶ月の討論で変えるべきでない。国を愛する態度とは、どういうことか?なぜ、国を愛する心としないのか?
A―小泉首相
憲法と教育基本法は密接なつながりがある。当面、教育をめぐる情勢に対応する必要がある。
A―安倍官房長官
宗教的情操教育は必要。現在も人間の力を超えた自然とかに対する畏敬の念を教えている。もっと進めていく。
Q―公明党・太田昭宏議員
21世紀は人間教育の世紀である。グローバル化の中、日本人のアイデンティティの確立が大切。2000年からはじまった教育改革国民会議で充分討議を重ねてきた。
A―小泉首相
教育の重視こそ国の活力の基。アイデンティティの確立は大切。他国に対する理解や協調も大切である。
A―小坂文部科学大臣
時代に対応した教育基本法にするべく、家庭教育、幼児教育の充実をめざしたい。家庭、学校、社会の協力で教育向上につなげる。
Q―共産党・石井郁子議員
なぜ、教育基本法を変えるのか。教育をめぐる悪い状況の責任が教育基本法にあるわけではない。今まで、密室での与党協議ではないか。子どもの教育は、教師との自由な空間においてのやりとりの中で行うことで、教育成果がある。教育目標の20項目は、おしつけ。成績評価するなら、内心の自由に踏み込むことになる。
A―小泉首相
内心の自由の侵害にはならない。教育統制の意図はない。公のために相応の内容であれば、国は教育内容に介入しても良いという最高裁判決にしたがっている。
Q―社民党・保坂展人議員
内申書裁判に関わった経験から、教育統制に危機感を持つ。子どもを権利主体とした中身が盛り込まれていない。
A―猪口少子化対策大臣
子どもの権利条約18条1項に合致している。   (T・T)

5月24日
地方から出てきた者にとっては、国会議事堂内は迷路そのもの。子どもが国会内での自由行動が認められたら、格好のかくれんぼの場にするだろうなぁと思いつつ、案内されるままに控え室に入りました。
審議に関しては、何ら面白味も新鮮味もない不快指数が上がるばかりの四時間でした。いつものことですが、あらゆることが時の為政者が敷いた線路に沿った、脚本通りに進められる質疑応答は、大衆を小馬鹿にしているとしか思えませんでした。
道徳教育を求める動機として、一つには、今どきの子どもは・・・のひとことで表される、しつけがうまくできていない、言葉遣いが悪い・・・とかいったことから来る道徳教育をもっとしっかりすべきであるといったもの。
二つには、大人が予測できない、大人の想像を超えた行動を子どもがとっていく事に対して、大人がこれに対応しきれなくなった結果として、道徳教育の充実・強化を求めていくというもの。
三つには、この@とAをうまく利用して現体制の維持、秩序を守る為の支配権力の強化と民主主義の破壊を進める道具としての道徳教育の推進が考えられます。
教育基本法の改悪をもくろむ面々は、この@とAを実にみごとに駆使して、改悪の論拠にしようとしていることが見え見えでした。
平和教育の徹底が邪魔をしていて・・・という池田・ロバートソン会談を思い起こしながらの四時間でした。
あまりにも起こることの多い昨今、怒ることに疲れさえ覚える昨今ですが、日本の歴史的岐路をなるかも知れない、教育基本法の審議を傍聴するという経験を得た今、まず、身近な仲間へ伝える仕事をしなくては・・・と思っています。  (N・S)

5月24日
9時から13時まで休みなしのぶっ通し4時間。傍聴45席。テレビカメラ、マスコミ記者も多く、先着25名まで座席あり。26〜45は立ち見。私は26番札、残念ながら、傍聴希望者が多い為途中交代まで2時間、ひたすら両足で踏ん張る。ラグビーと山で鍛えた肉体に感謝。しかし、精神力の衰えか、メモ取りは途中でやめる。交代は45分間ほど,その間テレビのある待合室で観戦。次ぎの再交代で今度はすばやく座席確保。
総括質疑の内容は、本日の各新聞に任せるにしても、メディアが何処まで本質を突いた記事にするか、昨今の後退した状況をみると期待は出来ない。立川の図書館が休みなので、各紙の記事は明日ジックリ拝見し、比較検討する。購読している朝日の社説の見出し「民主案のも問題がある」とあるが、前文から「憲法」を削除するばかりか、「愛国心」「祖先を敬う」を「前文」(条文全体の趣旨を規定する)に盛り込み、政府・与党案でも残った「教育は不当な支配に服することなく」を全面削除し、おまけに「宗教心」まで盛り込まれている。政府案以上の「改悪案」といったほうが正しい。本日の民主党質問者の松本明議員は「愛国心」にかかわる表現で政府案と民主答案に違いがないと表明していた。「改悪案」の競い合いが行われていることが事実である。
質問時間、自民60分、公明30分、民主50分、共産20分、社民10分の割り振り。現教育基本法を擁護する、共産、社民両党の持ち時間が余りにも少ない。小泉首相は「劇場型」を得意とし、テレビで国民に単純な言葉で語り騙し続ける。(前回の衆議院選でも多くの争点を隠し,「郵政」一本で叫び続けて圧勝したように。勿論マスメディアも利用して。) 昨日も、テレビが入り、自民、公明、民主の質問には余裕の表情で、国民の目を意識して,心情の訴える答弁を長々と繰り返す。共産、社民の質問には表情を一点して変え、恐喝も交えて答弁する。自民党質問の町村議員と、その答弁に立つ小坂文科相と小泉首相は盛んにジックリ時間をかけて「改正案」を検討したと臆面もなく嘯く。事実は、自民、公明の担当者が密室でこそこそと隠して検討したものを突然出したものである事はおくびにも出さない。
「どの子にも確かな学力と豊かな人間性をはぐくんでゆく、一人ひとりの育ちが大切にされる教育を」の教育基本法の精神を、憲法と共に一貫してないがしろにしてきたのが、自民党政権であること。「学校の荒れ」や「学力低下」や「ニートの増加」、更には「ライブドア事件」までも堂々と教育基本法のせいにする厚かましさ。
なぜ今、急いで「改定」するのか、国民に一刻でも早く知らせましょう。「戦争しない、軍隊を持たない」という憲法9条を変え、日本がアメリカと共に「海外で戦争する国づくり」に変えようとしている企みを。教育基本法の改定のねらいは「国に忠誠を誓う人間作り」が本当のねらいであることを。本当の教育基本法の姿を、広く、大きく、ただちに、子どもたちとこの国の平和な未来の為に。たたかいは今こそ。  (H・N)

5月24日
「愛」が溢れた国会論議
「愛」「愛する」という言葉が、一体何回言い交わされたか、速記録が出たら数えてみたいほどだ。
曰く、国(日本)、伝統文化、郷土、家族、親・子どもを愛するなどなど。「愛」の大安売りである。「愛する」ことの大切さは承知しているつもりだが、そう簡単なことではないはずだ。こうした「愛」を強制はしない(小泉首相)が、子どもたちに「たたきこむ必要がある」(町村元文科相)という。子どもたちに直接聞かせたい論議だ。ぞっとするに違いない。
小泉首相は「衣食足りて礼節を知る、という諺がある。基本法が制定された時、私は5歳だった。服の袖で鼻をふきテカテカになり、下駄を履いていた。当時は子どもが栄養失調になった。今は衣服も食も豊かになり、栄養過多だ。しかし、大人も子どもも礼節に欠けている。あいさつも、ありがとうもない。60年経つと文明が発達し、社会が変わる」、だから教育基本法を変える必要があるという。同じ歳だという公明党の池坊保子氏と、息の会ったやり取りをしていた。
しかし、あの乱暴な言動の小泉氏が、礼節をわきまえた人間だといえるのか。自分の価値観を大人にも子どもにも押し付けようというのは、ファッシズムである。
「態度」と「心」はどう違うのか
民主党案の主旨説明があった。自民党の「わが国と郷土を愛する態度を養う」に対して、「日本を愛する心を涵養する」というもの。
「心と態度は表裏一体」「態度を見ればその人の心がわかる」「態度は外に表れるが心は内面のこと」などの議論が繰り返された。「心にもない態度、もあるんじゃないの」と言いたくなった。これは全く不毛な議論である。民主党が「拙速に決めずに、時間をかけて議論せよ」と主張するのは評価できる。しかしなぜこんな対案を出したのか、理解できない。
「愛国心の評価は不要」
「教育の危機の根源は、教育基本法ではなく、その理念をふみにじってきた自民党政治にある」という立場での、共産党志井和夫氏の発言はそのとうりだと思った。福岡での通信表で、子どもの愛国の心情の評価をしたことについて、小泉首相が「それは難しい問題」と答え、その後の社民党保坂展人氏に「こういう項目は持たないでいいのでは」と、愛国心の評価は不要、との発言をさせたことは重要なことだ。この項目は2002年の学習指導要領により設けられたものであり、それを基本法で法律化しようという自公の企みの矛盾にくさびを打ち込んだといえよう。
国際人権規約との関連で二つのことに印象をもった。
一つは、民主党の松本剛明氏が「国連社会権規約委員会が高等教育の無償化を勧告しているが」と質問したのに対し、小泉首相は全く勧告を実施しようとしていないと答えたこと。
もう一つ、志井氏が国連子どもの権利委員会から「高度に競争的な教育制度のストレス」で「児童が発達障害にさらされている」と批判されているとの指摘をしたこと。
日本の教育は、国際社会からも多くの問題点を指摘されているのである。
 
午前9時から午後1時まで4時間、休憩なしでの傍聴はしんどいものであったが、改めて教育基本法は変える必要がない、ということを痛感させられた。  (Y・K)

5月24日
この人(小泉首相)憲法前文の先行する文言をとばして「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって」とつまみ食いし、イラクへ自衛隊を送りもした。「教育行政」に関しては、学テ判決により法律さえつくれば教育内容に介入できるとして憚らず、この総理にならう文科大臣もしかり、内心の自由の領域にまで踏み込む。国は介入に「抑制的であるべき」とあるのを、まさに全く無視してだ。懐柔するのもうまい。民主党案についてらしいが、「対立法案になる筈がない」などという。与党質問者は22年前から取り組んでいると前置き。拙速ではないといいたいらしい。
その今日だが、埼玉でも小学校の通知表に「愛国心」評価があったと知った。また学力テストによるランクづけで、最低校となった東京某区及び横並びの二区の小学校では、今年新一年生の入学はなかった、ということだ。評価はおろか勝ち負けの世界が教育の世界にも来ている。                   (I・T)

5月24日
初めて国会傍聴しました。傍聴申し込み人数が多く、途中で入れ替えしなければなりませんでした。傍聴者は熱心にメモをとっている人が多く、危機感をもっている人が少なくないことはたしかです。小泉首相は首尾一貫しない答弁で、さすがの演技上手も、自信のなさが、随所にうかがわれました。そのせいか、いつものことですが、民主党にすりよる態度がすけてみえた。米軍再編、憲法「改正」の流れのなかの教育基本法「改正」、言うまでもなく戦争できる国になるための教育基本法「改正」により関心があります。そのことについては、小泉首相は曲解だと述べた。なぜ、今、教育基本法の「改正」なのかの質問に「60年も変えなかった、社会環境が変化してきた、いろいろ問題がおこっている」というような答弁。憲法「改正」なんて思ってもいないというような答弁。質問者も「憲法改正するつもりなのに」とは言えないのか?と思いました。今後の質疑のなかで、現政権がしようとしていることを明らかにしていってほしい。  (Y.H)

5月26日
26日、衆議院教基法特別委員会を傍聴した。
対案を用意している野党議員の質問を30分ほど聞いた。
政務次官(女性)に対する質問が「私は女性をいじめる気は全くないのだが・・・」と言う前置きから始まった。その言葉が発せられたとたん、停滞していた空気の議場に、いっせいに大きな笑い声が起こった。
相手が女性ならばやさしく手かげんするのが当たり前と言う考え方が持ち込まれ、それを、場をなごますジョークとして使ったり、迎合して大声で笑ったりする議員たち。教基法でいう「男女平等」の考え方を彼等はどう受けとめているのか。怒りこそすれ、ばか笑いをするべきでない真剣勝負の場であることが分からない議員たちによって、教基法が変えられようとしている。
許すことはできない。ちなみに委員長は女性であった。  (T・M)

民主党の山口つよし議員が「国体の護持」という言葉を質問の中で持ち出し、民主党案にはそのような概念があるから60年前からつながるものだというようなことを言っていたのには、唖然としました。「国体の護持」のためにどんなことがあったのかなど、まるで知らない人なのでしょう。戦後の日本の教育の失敗例の典型を見た思いがしました。自分は「リベラルな保守」なのだといっていましたが、本当のリベラルな保守の人が聞いたら怒るのではないでしょうか。彼は単なる「質の悪い右翼」というべきだと思います。
若い女性官僚の答弁の中で、気になったのは「どのような国民を育成するか」というような言葉が出てくることです。彼女らにとって「国民」は道具であり、都合のよいように「育成」するべきものであるという意識がはっきりと感じられました。子ども達を人間として扱うという観点は微塵も受け取れませんでした。
山口議員や同じく民主党の牧義男議員の、女性大臣や女性官僚に対して小ばかにしたようなものの言い方は、質問は答弁の内容は別にしてもいやな感じでした。
委員会室に座っている議員さん(自民党の人が圧倒的多数なのでしょうけれど)はテレビなどで顔を知っている人も多かったのですが、委員会室を出たり入ったりしている人が多くて少々驚きました。じっと座っていることのできない小学生を思い浮かべてしまいました。
こんな人たちが日本の根幹を決める教育基本法やさらには憲法を決めようとしていることに、やりきれない思いがすると同時に、どんな状況下でも私たちが本当に人間の尊厳を守るためにがんばっていかなくてはならないのだろうなと思いました。     (N.K)

5月26日
5月26日は、国民投票法案(与党、民主党)の2案が提出予定と報道され、そちらの動向も気になりながら、午後1時再開の教育基本法特別委員会を傍聴した。
6人の野党側の質問が4時間にわたって行われ、傍聴者は100名を超えた。(150名位?)40名しか入れない傍聴席(立ち見を含め)は30分ごとに3〜4交代。大事なところで退席を促され、移動により話の行方が分からなくなる。控え室ではTV中継も見ることができるが大変落ち着かない傍聴だった。
小坂文科大臣は、政府案の文言を繰り返し議論がかみ合わないことも多く、また用意された答弁書を読み上げるため、まだ聞かれていない質問項目の答弁を先にしてしまい、指摘される失態も演じた。さらにお粗末なのが麻生外務大臣。教育勅語を自慢気にそらんじてみせ、教育基本法、子どもの権利条約、国連の人権理事会についても興味関心なく3段階で通知表を付ければ、「人権・平和外交への関心・態度は最低のC」。
民主党の質疑は、政府に迫るものだったが、一方で対案を出しており民主党の答弁を求め、差異を際だたせる演出も怠りなかった。政府案よりも右寄りの案を出し、自民を割ろうという政治的意図があるという話も聞くが、教育を政争の具にして欲しくない。ともかく野党の踏ん張りで廃案に持ち込んで欲しい。
共産党の志位委員長は現行教育基本法10条について、社民党の保坂議員は人権教育など「子どもの権利条約」に関してポイントをしぼり鋭い質問で追及した。以下印象に残った質疑・答弁をメモにより紹介する。(間違いがあったらごめんなさい)       (S.K)
                                 
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 5月26日 教育基本法検討委員会 午後の部 野党議員の質疑
▼牧義夫議員(民主党)
Q 教育の危機的現状は現行の教育基本法に起因するものではない。どうお考えか?
自民と公明の考え方に隔たりがある。拙速な議論は控えるべき。
A 小坂文科大臣  現行法に起因している訳ではなく社会的、経済的変化、グローバリゼーションの変化等で青少年の様々な問題が起きてい る。だから教育理念の明確化が必要。
▼山口壮(つよし)議員(民主党)
Q 文部行政の最終的責任はどこか?
A 小坂大臣 国と地方の役割分担によって行う。
A 藤村修議員(民主党)
学校には理事会を置く市町村長は地域の責任を負う。レイマンコントロール※で行う。最終的には国の責任。           
※教育行政の方針決定が教育の専門家の独断に流れることのないように、社会の良識を広く教育行政に反映とあり首長の権限を強めることになるのか懸念。
Q 日本は国際人権規約の高校教育の無償化条項の13条の2項B、Cを留保しているが、なぜか?日本、マダガスカル、ルワンダの3カ国が留保。高校教育の無償化はどう考えるか?格差が広がり、貧しい家庭では大学進学も難しくなってきている。教育予算が年々落ちてきている。防衛費1%枠のように比率を決めるべき。
A 小坂大臣 3カ国だけではなく、アメリカは人権規約全体を議決していない。無償は財源問題がある。高校へ行かず働いて税金を納めている者との不公平感の是正が難しい。
▼松本大輔議員(民主党)
Q 昭和22年制定時の国会の議論を見ると、大本の基本法なので敢えて細かい規定はしなかったと当時の大臣は答弁している。明文改定する必要があるのか?外的要因を列挙し、文部行政の反省がない。プロセスの検証をすべき。毎日、朝日新聞の世論調査でも、さらに議論すべきが6〜7割を占めている。
A 銭谷初等中等教育局長 学校教育法、学習指導要領等で徹底した。
A 小坂大臣 当時の議論の評価よりも、速やかに改正案の理解を求めたい。
▼志位和夫議員(共産)
Q 立法者である辻田力・田中二郎監修の『教育基本法の解説』、第1級の文献によると、教育は一歩未来を準備するものでなければならない。現実的な力によって左右されないことが必要。政治と教育とが同じく国民全体に対して責任を負う関係にありながら、その関係に両者差異がある。教育は現実的力によって左右されないと大切なことを指摘している。なぜ教基法10条の「国民全体に対し直接」に責任を負って…」を排し、「法律により」を入れたのか?
A 小坂大臣 最高裁判決にあるように、法律の定めるところにより行うことは、不当な支配にならない。
Q 最高裁学テ判決でも、教育内容への国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請されるとある。抑制する条項は具体的にどこか?
A 小坂大臣 判決には国家的介入はできるだけ抑制的であるとそのような記述はある。しかし正当な理由があれば国は教育を決定する権能がある。
Q 政府案には矛盾がある。抑制条項が一つもない。権力的統制が無制限となり、憲法の要請に反する。廃案を求める。
▼保坂展人議員(社民)
Q 国連人権委員会が排され人権理事会となり、日本は理事国となった。また国連子どもの権利委員会からは依然として子どもの意見尊重が制限されていることへの懸念も出されている。子どもの権利条約を国内法制化し子どもの権利基本法を制定する国もある。世界に人権教育を発信しリードすべき理事国となったが、政府案には人権や人権教育が入っていないが、どうなのか?
A 麻生外務大臣 なぜ私が、直接担当ではないので文部大臣に聞いていただきたい。
   (外務大臣あなたに答弁を求めていると言われ)
  子どもの権利条約と教育基本法との関係だが、反すると思ったことはない。
Q 「我ら」と「我々日本国民は」とどちらが広いか?
A 麻生大臣 Weの方がWe Japaneseよりも広い。
Q 明らかにWeの方が広い。人権教育は例えば女性、子ども、障害者、少数民族、HIV感染者への差別・偏見に対し考えるというように。大臣は「一文化、一民族、一言語は日本しかない」と発言し、アイヌの方々から抗議された。どういう真意なのか?
A 麻生大臣 なぜ、当然でしょ。この種の議論はいろいろある。HIVとか出たが差別なくやって来た。
Q 新聞報道によると大臣は「教育勅語は公徳心・モラルがあって良かった」と発言   されたがどうなのか?教育勅語の復活を求める声もあるが、教育勅語の問題点は?   教育勅語の教育で戦争を疑うことを許されない時代があった。
A 麻生大臣 (自慢気に教育勅語を暗唱し)皇運…コイネガフ。いいことを言っている。皇運というのはおかしいから国運と書いてあれば(今でも)良い。教育勅語があったから戦争に入った訳ではない。
Q 世界的子ども観の変化、子どもの権利に対応する条文はどこにあるのか?子どもの権利条約の意見表明をどう考え、やって来たのか?
A 小坂大臣 子どもの権利は憲法で保障されているので、各条に規定する必要はない。意見聴取はタウンミーティング、スクールミーティングなど5年間にわたってやって来た。
▼ 糸川正晃(国民新党)
Q 各条項について質問したい。(省略)   (S.K)

5月26日
☆ 愛国心の評価の是非に対して、内心は評価すべきではないが、具体的学習内容の理解や学習する態度、姿勢を評価する、という意の質疑応答が何度か交わされた。与野党双方からなされた質問に対して小坂文科相はその都度忘れることなく、学習する態度あるいは姿勢は評価の対象となることを繰り返したのだ。暗記ものの日本歴史が嫌いで窓の外を眺めていたり鼻をほじくっていたりしたら、テストの点数は悪いだろうし学習態度・姿勢も低い採点になるだろう。ニッポンコクの歴史を学ぶ意欲がないとはクニヲアイシテイナイということだ、愛国心のない非国民め、となるのにそう時間はかからない。
☆ 自民大前議員の教育勅語を肯定、参考にして新教育勅語を・・・、稲田議員の憲法及び教育基本法を変えて戦後体制の歪みを正すべき・・・等ソッチョクな意見に対して閣僚たちはむしろ抑制的に応答していたが、本音は質問者と同じなのでしょう。
☆ 共産党志位議員の10条不当な支配に関する質疑で、畳み込むような学力テスト最高裁判決文文言追求に小坂文科相は答えを逸らすこと数回も逃れきれず。国の教育内容への介入は抑制的であるべき文言のあることは認めた。志位議員は改案の教育行政条項は国の教育への無制限介入を許す法律であり、廃案を求めると明言した。禁止されていなければ拍手したいところだった。
☆ 同日議員会館前で行われていた共謀法反対集会のざわめきが議事堂内にも聞こえてきた。防音工事を施していないのは意外だったが、こんなによく聞こえるのであれば国会を幾重にも取り巻いて上げる教基法改悪反対、共謀法反対、国民投票法反対の喚声は与党議員への脅威、野党議員への励ましとして大きな力になりうる、それほどの結集をしなくては、と思ったことだった。  (T・H)

5月30日
30日は参考人質疑で中教審会長の鳥居泰彦氏(自民)、京都市教育長の門川大作氏(公明)、ジャーナリストの桜井よしこ氏(民主)、国立大学財務・経営センター名誉教授の市川昭午氏(共産)。
鳥居氏は適当に民主党案も持ち上げたりしながら改正の早期実現を主張していたのは立場上当然のことでしょう。質疑の中で現教基法が占領軍の影響下で制定されたものであることは否めない、と印象付けようとしていたのが耳に残りました。
門川氏は京都市ですでに先取りしてやっている学校・家庭・地域の協力がこの改正案に盛り込まれていることを評価し、これまで「不当な支配」ということでイデオロギー対決が持ち込まれたことは子どもたちにとって不幸なことであった、教育振興基本計画に期待する、といって細かく法律で決めて行政主導でやっていくことに意欲を示していました。
桜井氏は憲法も現教基法も個人が際立ちすぎている。ここで決意して「国・ふるさと・家族」を書き込まなければならない。と主張していました。質疑の中では教育勅語もしっかりほめていました。国を愛する心の涵養は当然のこと、なぜ反対され、問題にされるのか分らないとも言い、妙に説得力を感じさせるしゃべり方で危ないなあ、と思いました。
 市川氏はただ一人「改正する必要はない。」という主張でした。中教審に連なっていて現教基法でなにか支障があるかと質問したが文科省や他の委員から支障があるという回答はなかった。困ることもないけど改正してもよいのではないか、との意見はあった。個別の足りないことは他の法令で補えばよいので、なまじ細かいことを基本法に入れるのは他の法令との整合性などかえって支障が生じることがある。現に学校教育法、学習指導要領などに定められてさまざまなことが行なわれている現状がある。と説明していました。質疑の中では中教審では「議論」はなくたたき台が出たものに各人意見を言いっぱなしという感じであまり深まった物ではなかったらしいことが察しられました。「徳目」を法律に盛り込むことはなじむのかという質問に対して「義務教育に関わってくるだろう、家庭教育・社会教育については有名無実だろう、実効のないものを書き込むのは正しくないだろう。」というふうに言われたと思いましたが、義務教育に関わるとすればそれは非常に危険な、よけいなことだということを言って欲しかったな、と思いました。
 「愛国心」の評価についてはどの参考人も評価は適切でないだろうという雰囲気でした。
 この日は傍聴希望者が多く3回も入ったり出たり、聞きそびれたところもあって残念でした。    (W・T)

5月30日
今日は、げんなりした。
自民党の参考人・鳥井中教審会長は、中教審答申の自画自賛に終始。石井共産党議員に与党案との相違点を指摘されると、答申後の3年間の教育行政の変化、自公間の折衝のご苦労もあったろうと鷹揚。
公明党推薦の門川京都市教育長は、「市民参加の下に京都発教育改革、“心の教育“を京都の隅々まで行き渡らせ、学校と家庭・地域の連携の徹底、学校評議員、学校外部評価などの施策の自画自賛。夏休みには、家庭に宿題を出し、PTAや親父の会など協力して、子どもにやる気を起こさせる。学力テストは京都独自でずっと続け、国歌斉唱は、すべての学校で行われ、不起立の教師はいない。アンケートでも7割の市民が愛国心は大事と答える。教育者が尊ばれる世の中にする。がんばっている教師には、その処遇で応えていく。」京都は教育基本法改正の先を行っていると胸をはる。石原都政下の横山教育委員長を呼んだようなもので、現場の実態を聞きたい、「京都残酷物語」があるだろう。
民主党の参考人・櫻井よし子氏は、静かに、切々と巧みな話術で独演会。「私は憲法改正論者だ。憲法は9条と並んで、3章13条が問題だ。現憲法は、個人の権利、自由ばかりを唱い、責任、義務をないがしろにする。アメリカ、中国、韓国、日本の青少年の意識調査があるのだが、日本の若者は、どこの国の若者より、ダントツでお金をほしがり、責任を負いたがらない。それは、教育の責任。憲法・教育基本法が、個人を大事にして、責任をとらないところに起因する。敗戦当時、教育勅語を失効させる気はなかったのに(誰が?!)GHQの圧力で、廃棄させられた。そのせいで、人心は乱れ、勝手放題になった。教育勅語こそ日本人の精神のバックボーン、皇室を核として、生き暮し死んでいったのが日本人というものだ」
現教育基本法を廃止「教育勅語」を復活論者、日本人は「汝臣民」になれ!?それが民主党のお勧めする参考人で、民主党の「日本国教育基本法」のココロ?
共産党の参考人・市川昭午氏。「私は、中教審の席で、なぜ今変えなくちゃならないのだ、なにか支障があるのかと尋ねたが、文科省の人は別に困ることはないと答えた。学校目標は、学習指導要領でその時々で改定しているから、基本法を改定しなくてもなんら不都合はない。基本法は、具体的問題を入れていくといろいろ齟齬が生じる、家庭教育の目標を掲げたって、担保にするものはないのだから、有名無実になる」といった調子で、法学者なのか法律論に終始して迫力がなかった。共産党は小森陽一さんを呼ぶなりして、バチッと本質に迫って、明快に言い切ってほしかった。 (M・K)

5月30日
傍聴席にすわると、松浪健四郎議員が水差しをガチャガチャさせて、水をついでいた。反対意見に激昂してコップの水をまかないでちょうだい思いながら、とみつめていたが参考人発言中は居眠り?腕を組んで目をつぶっていた。
鳥井氏、門井氏は与党推薦人なので、さもありなん。と聞いていたが野党推薦の桜井よしこ氏の発言には、日々の言論から予想していたものの驚きでした。教育勅語は軍国主義と結びつかない。GHQの圧力で日本が自らやめさせられたもの。今でも必要だと戦前の教育礼賛。民主党案は国を愛する心、家庭教育の役割が書いてあり大変すばらしい内容です。と発言していた。与党案を上回る愛国心押し付けでした。
市川昭午さんの意見は改正するに及ばない。改正の理由がみつからない。と明解でした。野党議員はその正当性を裏づける質問をして下さいましたが、もう一歩ふみこんでほしかった。万が一改正されたらどんな状態になる心配があるかも聞いて欲しかった。というのは、国旗国歌法でなんら学校に強制するものではないとしながら、良識ある教師の心を踏みつけている現状からみると、例えばこの法案が出来た後、愛国心がたっぷり盛り込まれていない映画の上映、美術展の開催、演劇上映などに規制がかからないのかなど。テレビの前に座っている普通の庶民の生活にも関わる改正なのだという点を強調した質問をお願いしたい。  (T・T)

5月31日
質問者は下村博文(自民)、山際大志郎(自民)、土屋正忠(自民)、斉藤鉄夫(公明)、糸川正晃(国民)、奥村展三(民主無所属)、保坂展人(社民)でした。この日は傍聴者が少なく交代なしでした。質問は人は違っても同じことのくり返しも多く、4時間聞いているのはうんざりという感じでもありました。
下村氏は反対派からはがき、メール、ファックスなどが数百も届いてうんざりしていると言っていました。奥村氏も1100枚のファックス、300数十通の手紙が来ていると言い、こちらは国民の意見も吸い上げて改革を、と言っていました。どちらにしても声がたくさん届くのは何らかの意識に引っかかっていることは間違いないのでしょう。うんざりする奴にもさらに届けて「もうやってられない」と思わせてやりましょう。
全体として分ったことは「不当な支配」を完全に逆の意味にしてしまおうとしていることでした。「国民全体の意思とはいえない一部の意向に左右されない」と言う言い方で教職員組合や、市民の意向は「不当」にあたるというわけです。
それに対して国民から選挙で選ばれた議会で決めた法令に基づいて行なう教育委員会などの指示は不当ではないということを明確にするのが今回の「改正」の狙いなのだということがよく分りました。
これが教育の情理には当てはまらないことあることをよほどきちんと説得しなおさなければ、けっこうもっともらしく受け入れられてしまうのではないかと心配です。教育学者さんの発言を期待します。
国民から選挙で選ばれたと威張りたいのなら、それらしい審議をしてもらいたいものです。委員会くらいの規模でさえ私語を交わしているのもいるし、出入りもけっこう多くてほんとうに席はまばらという時間帯さえあるのです。こんな状況で「議会で決めた法令に基づいてやることが正当なのだ」などということが決められてしまうのはほんとうに不当なことです。      (W・T)

5月31日
自民党の議員は「不当な支配」の部分について、組合や市民団体などを目の敵にする発言を繰り返していました。体制に反する言論は一切封殺してかまわない、という思想が恐ろしいと思います。意外だったのは、公明党の斉藤鉄夫議員が「憲法や教育基本法は国がひどいことをしないように国を制限するものだ」というようなことを言っていたことです。与党でもきちんとした認識を持った人もいるのだと思いました。
また、自民党の議員は、「はがきやFAXがたくさん来て扱いに困っている。皆同じことが書いてある」などと言っていました。有権者から来ている声をまともに聞く気はありません、ということを、たくさんの傍聴者の前で言っちゃっていいんでしょうか。
それに対し、民主党の奥村展三議員が「愛国心の押し付けは止めてほしい」という内容のはがきを1通読み上げて、年金のときの倍くらいはがきやFAXが来ている、だから拙速に決めるのではなく、時間をかけて論議すべきだと言っていました。(私の聞き違いでなければ、はがきが千百通、FAXが三百数十通ということでした)ただし、奥村さんは胎教にはベートーベンよりモーツアルトがいいとか、本筋とどう関係があるかわからないようなことも言っていましたが。
社民党の保坂展人議員は、愛国心を通知表などで評価しないことを確認していましたが、今後社民党や共産党の議員には、与党案や民主党案の「愛国心」とは具体的にどんなことを言うのかを質し、さらに、いろんな愛国心があることを政府側に認めさせるような質問をしてほしいと思います。「愛国心を法律に書くことは日本がまちがった方向に行くことにつながるから反対するという愛国心」とか「国から言われたことでもまちがっていると思ったらそれに従わないことが日本のためだと思う愛国心」、「戦争協力を求められても、それを拒否することが日本の将来のためだ思う愛国心」等も、「愛国心」だということを認めさせてほしいです。「愛国心」などというあいまいなものを法律に書いてしまったら、いかようにでも利用されてしまうわけですから。   (N・K)

6月1日
小渕優子議員(自民)
「1999年教職員組合の圧力によって、広島世羅校長が自殺した。それを機に国旗国歌法ができた。」
(ウソだ。世羅高校の校長が卒業式の前日、自死に追い込まれたのは、広島県教委からの「日の丸・君が代」実施への執拗な圧力、「日の丸・君が代」導入に反対する教職員の間で悩んだ末だ。若いのにぬけぬけと言うよな)
小泉首相は「WCで旗をふり、国歌を歌うのは“愛国心の発露”である。情操豊かな人間の自然の感情だ」と答えた。(私は、サッカー観戦に興味がないけれど、でも、日本チームを応援する人を見て「愛国心の発露」なんて、勝手な解釈だなあ)
太田昭宏議員(公明)に対して小泉首相は、「高杉晋作は辞世で“面白きことのなき世を面白く・・・”と詠んでとぎれ、付き添っていた尼が“すみなすものはこころなりけり”とつないだ。高杉晋作の本心かどうかわからないが、おもしろいとみなすか、おもしろくないと感じるか、それは心。教育は心だ。心は教育の根底だ」
(心に踏み込んでこないで欲しい。小泉首相に「教育は心だ」なんて言われたくない)
また糸川正晃議員(国民新党)の「態度できちんと心がつくれるのか」に対して、小泉首相は「心のあり方を態度で表す。実際の行動で示す。心をわかってもらうために、どういう態度をとったらいいのか、心と態度は一体だ」という持論を展開。
糸川議員「『伝統と文化を尊重し、それらをはぐぐんできた我が国と郷土を愛する』の我が国は、統治機構は含まれるのか」
小坂文科相「歴史的に形成されてきた、歴史的文化的共同体としての我が国――であり、統治機構は含まない」
(そりゃあそだよね。いくら、厚顔無恥でも、政府を愛せ、総理大臣を愛せなんて言えないよね。マスコミが嘲笑する将軍さまの崇拝と変わらないものね)
糸川議員の「教育基本法改正によって、現場でどんな教育が行われるか」に対して、小泉首相「教育は国が、きっちり責任を持って行う」
小泉首相の言う“国がきっちり責任を持って行う教育“とは、政府案教育基本法の第2条「教育の目標」を責任を持って浸透させるということ?「教育の目標」を、政府が決めることを国家主義教育、国定教育というものじゃないか。
鳩山議員の「中曽根氏は、『変えるのだったら、50年はもつ憲法をつくる』といった」を受けて、小泉首相は、「教基法も変えるのだったら、数十年はもつものであってほしい」
鳩山議員「教基法は憲法の付属法だから、新憲法を作って、それに基づいた教基法を作ればいい。なぜ急ぐのだ?現憲法で、「教育」に関する部分は、このままでいいのか」
小坂文科相「教基法は、憲法に密接に関係するが、付属法ではない。今日的情勢に応えるため、教育に求められる課題に応えるため、教基法を変える。新憲法ができたら、それに合わせて変えればいい。」
鳩山「小泉首相は50年たえるものと言いながら、文科相は、新憲法ができたら、また変える。矛盾はないか。ここで新教基法成立が数年遅れたところで、どんな支障があるのか」
(ここは、鳩山氏1本あり! でも、教育は百年の計と言いながら、はじめから賞味期限50年って、熱意、信念の希薄さを感じる。教育基本法派、50年もてばいいなんてみじんも思わなかっただろう)
鳩山「昨今の社会問題、青少年の問題について言えば、子どもは大人の鏡であり、大人の責任が大ではないか」
小泉「大人の責任が大きい」
鳩山「大人の責任を認めて、そこを直すのが教育の原点ではないか」
小坂「大人社会の教育力の低下が問題だ。だから、生涯教育、大学、家庭、地域施策を施す」
(なるほど、こういうふうに論点をすり替えるのが政治家の答弁というんだな。)
鳩山「『公約は守らなくていい』『フセインが大量兵器を持っているから、イラク侵攻を支持』と言って、それがウソだったと明らかになっても、ほおかむり、責任をとらない。そういう政治家の姿がテレビに映っていて、青少年にいい影響は与えない。そういうことは、生涯教育で直るのか」
小坂「テレビに映る政治家だけに責任を強調するのはいかなるものか。子どもに対する悪影響を与えるものはもっとあるではないか」と反論。
(なるほど、こういう風に自分の非を認めないで、言い逃れるんだ。上祐さん顔負け)
鳩山「政府案の『態度』では、『面従腹背』の人間を作る」(そうだ、だから「心」とか「態度」とか内面の問題のことを、法律で決めてはいけないのだ)
鳩山「戦後憲法の下、家庭の重要性が国民に浸透してこなかった。民法で『家族』の重要性をもっと位置づけたい」(「家族」に何を押しつけたいの?農業社会から、高度消費社会に突入して、家庭、家族は生産拠点じゃないもの、子どもは、親の面倒はみられない)
石井議員(共)は、17条の教育振興計画の習熟度別指導の批判をした。
「日本の学級定数の多さ、先進諸国は、20人前後である。
国際比較をすると、日本は財政支出のうち教育費の割合が、断然低い。
世界の学力比較で、ここ数年トップのフィンランドの教育省使節団と話した。彼らは『教育には平等が大切』と言い、それを日本の『教育基本法』に学んだと言った。佐藤学教授の調査で、習熟度別指導をやっても学力向上にはならないのは証明されている。すでに一歩踏み出した『東京』、続いて、『政府』は、日本中に競争、選別の教育を押し進めるのか。」
小泉首相は持論の「わかる子は、さらに進める。わからない子は、わかるまで教えるーーそれがなんで悪いのかわからない」
(ここから見えてきたことは、優秀な子を伸ばしたいと言うことなのだ。つまり、習熟度別では、学力国際比較で上位になれないとわかっても構わないのだ。子どもたち全体の学力水準向上が教育改革の目的はないと言うことだ)
保坂議員(社民)は、「愛国者となにか。郷土を愛し、辺野古の海を守ろうと座り込みをしているおばあ達に愛国心はないのか」と質問。
小泉「郷土愛に燃え、辺野古で反対するする人も愛国心はあるでしょう。でも、日本独自で、日本の安全を守れないのだ。(米国に基地を提供して、日本を守ってもらう? それが理解できない分からず屋のおばあ達) 外国へ行って、国旗国歌を蔑視していいのか?子どもの愛国心をABCと評価はしないが、教師は愛国心を指導しているかどうかは、評価される」
これから追及して欲しいこと。
政府は、「なぜ、今、教育基本法を変えるのか」について、念仏のように繰り返す文科相見解「戦後60年たって、日本社会は変わった。日本を取り囲む状況も変わった。グローバル化、情報社会、少子高齢社会、経済的には豊かになったが、凶悪犯罪、青少年犯罪の増加、学校では、いじめ、不登校、学級崩壊、学力低下、学びの意欲の減退など問題は山積している。現教基法のお陰で、教育の機会均等、義務教育の無償制度などで、子どもの学力は向上し、経済発展を遂げた。その面は評価しつつ、個人の尊厳とか普遍的価値はそのままにして、時代の変化に対応して、足りないところを新たに加筆する」と言う。しかし、「教基法を変えれば、学校現場の問題は解決するのか」と問えば、「そうは言いきれない」と逃げる。
しかしながら、100%今の教育問題、学校現場の問題を解決するわけではないにしろ、解決の方向に向うと目論み、提案しているのだから、具体的に、教基法を変えることで、いじめ、不登校が減る筋道を小坂文科相に説明させて欲しい。
教基法に、「教育の目標」を規定することで、学校現場にどういう効果を予想されるのか、具体的に述べて欲しい。
10条 「教育は、不当な支配に服することなく」が、当時、なぜ明記されたかについて、論を深めて欲しい。当時の文部省の資料、解説を用いて、事実認識を明白にして欲しい。
小坂文科相は、「戦前の教育は、軍部や、軍国主義にひきずられた」ことは言う。でも、当時の文部省の責任、どんなふうにして、子どもたちに、『お国のために、兵隊になって天皇陛下のために死ぬ』価値観を注入し、信奉させる機構に学校を仕立てあげたのか。そこの事実認識、政府、文部省の犯罪性を追及して欲しい。戦後教育は『われわれは騙されていた』と、国民に言わせることのないように、教育、学校を作っていこうと言うのが、スタートではないか。そのための「不当な支配に服する」という文言ではなかったかと言うことを、もっともっと、アピールして欲しい。
政府は、自分に都合の悪いことは、棚上げにして、「戦後の教育は、日教組の圧力に服した」とチラリチラリと言う。そこをはっきり追及して欲しい。「どこで日教組に圧力をかけられ、どこで『教育』が服したのか」と言う点を明らかにする論戦をはってほしい。
全国統一学力テスト問題では、「実態を明らかにするのが当然」と首相も文科相も口を揃えるけれど、60年代に実際に行われ、さまざまな問題、「テストはあって、学びはなし」「知識の暗記が、本当の学力か」「競争激化による子ども差別、いじめ」など吹き出し、廃止に至った経緯を当事者に語ってもらいたい。    (M・K)

6月2日
一般質問 2日午後1時の再開の時は席はまばら。
質問者は戸井田徹(自民)松浪健四郎(自民)池坊保子(公明)川内博史(民主)笠井亮(共産)糸川正晃(国民)
戸井田氏は「本質論を」などと大きな口をきいてボイジャーからの写真だというのを見せながらだらだら説明を繰り返して、要するに人は「生かされているもの」なのだということを言いたかったらしい。それはそれとして、男女について「公平」はありえても「平等」はありえない。どうしても違いがあると言い張って猪口大臣をうんざりさせていました。愛国心についてはラモスの例をひいて強く賞賛していました。
松浪氏は教壇に立っていた経験をひけらかし、アフガニスタンでの見聞として学校教育がなくても家族と一緒に働き、家庭・社会での宗教教育がしっかりしていれば子どもの目は輝いていた。とけっこうまともなことを言っていたかと思うとその直後、馳副大臣が自分の教え子であるといって自分がどんな教師であったかについて答弁を求めるなどという馬鹿なことをやってくれました。副大臣もにこにこと「水をぶっ掛けた時にはどうしようと思ったが」などと言いながら自分の離婚、再婚話まで世話になったことまで話し盛り上がっていました。国会の場でじゃれるな!!としかりつけてやりたい気持でした。こんな奴に教育なんか論じてもらいたくない、と心底腹が立ちました。民主党案に対してそこに書かれている「日本」はどこまでを指すのか、と質問し「国内法の及ぶ範囲」という回答に、北方領土や竹島は含まないのかとからんだりしていました。民主党の藤村氏は「含む」と回答していました。このあと交代で聞き逃しました。5分くらいでまた入れたときはちょうど「終ります」と言っていました。
池坊氏は家業であるお寺様の教養を裏づけに、民主党案の「宗教的感性の涵養・・」についてどのような概念かと質問し、民主党の笠氏のごく平凡な回答に対して「厳密な雅念規定はしなかったわけか、言葉遊びとまでは言わないが・・」など意地の悪さをにじませていました。またここで交代。
今度はしばらく控え室でテレビで傍聴。川内氏に代わっているがざわざわしていて集中できない。また入場。
川内氏学力のことについて聞いていたらしいがどうも小坂大臣の答弁とかみ合わない様子。
また交代。
笠井氏は現教基法の制定過程について質問、小坂大臣は「政府の発意によって」と答弁したが安倍官房長官は「歴史的事実として占領下であったことはたしかだ」言い張り、かつて何かに書いていた「占領政策の残滓」という言い方を取り消すとは言いませんでした。
さらに憲法とのかかわりを削ったことや「真理と平和を希求する」を「真理と正義を希求し」に変えたことなど質問しましたが田中局長と大臣と二人がかりで「他のパラグラフに含まれている」とか「理念は引き継ぐ」とか一生懸命取り繕っていました。ここで入場。
また学力テストについて東京都の馬鹿馬鹿しい問題の例をあげて大臣も「問題としてあまり適切でない」と言わざるをえなかったりちょっと面白かったです。
さらにテストで子どもたちはくたびれ果てていること、成績下位校の校長は責められることなどをあげて、予定されている一斉学力テストについて不参加を表明している自治体に対する対応を確認し、大臣は「意義を理解してもらいたい」と粘っていましたが、「最終判断は自治体でできるのだな」という確認に対して銭谷局長は「そうだ」と答えていました。
糸川氏は家庭教育を新たに入れたことについて質問していました。小坂大臣はすべての教育の出発点であると言い、田中局長はその支援のために家庭教育手帳の配布、早寝早起き朝ごはん運動の推進などを言っていました。少子化への取り組みについては猪口大臣が働き方の改善、就労支援をあげ、今年に入って婚姻率は上がっているので期待をしていること、どこへでも出向いて意識の向上につくしたいと懸命に答弁していました。なぜか猪口大臣の答弁の時には特に与党のほうから冷やかし笑いのような反応があります。
この日も途中は席はかなり埋まっていましたが終り頃はまたまばらになっていました。
少なくとも森はいませんでした。西岡は毎回議員傍聴席(1階)に着席しています。天井桟敷みたいなところなのでなかなか顔の見分けはつきません。池坊はほとんど席をはずしません。海部はふと気がつくと消えていることがあります。    (W・T)

6月2日
 途中席を外したので都合、民主党3人と共産党1人の質問を聴いた。民主党議員の一人は、「連合国の関与で作られた屈辱的な教育基本法。全く新しいものを作るべきと思うがどうか」と言い、一人は「生命の大切さは教育上の大きなテーマ。宗教を生命と結びつけたのが民主党の法案の意義。政府案は粗雑だ」と言った。「教育勅語はすばらしいが、しかし…」に続けて、公式見解を言わざるを得ない政府側答弁を超える、民主党の主張。もう一人若い女性議員は、出生率の低さは個人の問題ではなく雇用や社会保障の問題、と指摘は正しいが、しかし、ここでの質問主張ではないだろう。3人の質問を聴いていて、これじゃあ、与与党。委員会を開いたというアリバイつくりへの加担?!と思った。教育理念をめぐって質の高い論議ができない国会及び委員会の質を高めるために、傍聴や国会前座り込みをしたり、はがき・ファックスをどんどん送ろう。
共産党の議員は、憲法と教育基本法の関係や憲法9条と教育基本法前文から「平和」が削除したこととの関係性等を指摘し、また、来年度から行われようとしている全国一斉学力テストの予想される弊害を、すでに行われている東京都を例に挙げて批判した。今日唯一の指摘だった。
終始その場で配布された資料に目を通さず、また、だらしのない座り方をし、緊張感のない議員が目についた。この議員たちに、自身の「道徳心」を尋ねたかった。国民を愚弄するが故のこの態度なんだろうと感じたから。  (N・K)

6月5日
一般質問 質問者は鳩山邦夫(自民)、若宮健嗣(自民)、太田昭宏(公明)、牧義夫(民主)

鳩山氏はかつて同僚議員だった西岡氏の考えに感銘を受けていたが今回西岡氏が中心になってまとめたという民主党案では西岡イズムはどこに行ったのか。と言って国が最終責任を持つのは義務教育だけかとか教員を国家公務員にすることなどをただしていました。現教基法の制定は戦後のどさくさに押し付けられたものではないか、と蒸し返し小坂大臣は「自ら制定したもの」という答弁を繰り返しました。内容についても不易流行の不易の部分である愛国心、道徳、家族尊重などを抜かれて制定されたのではないかと食い下がり、小坂大臣は先輩としての見識は「拳拳服膺」したいなどと教育勅語の用語を使って答弁し、当時は書かなくても大丈夫ということだったのではないか、しかし現在は書かなくてはならなくなった。と時代の変化を強調していました。猪口大臣も同調していました。さらに祖父鳩山一郎の説をひいて早くから改正の必要性が指摘されていたことを述べていました。「森の民」うんぬんなどと文明論らしきものも述べていましたがほとんど時間つぶしのためと言う感じでした。最後は「障害のあるもの」を入れたことについて、まず普通児と一緒の教育が大切で就学前の振り分けはやめよ、と主張しました。小坂、猪口両大臣とも保護者の意見をよく聞く、と答え、「それを信じる。」と言って終りました。

若宮氏は生涯学習、家庭教育について質問していましたがたいした内容とは思えませんでした。聞き捨てならないと思ったのは教員の資質の向上についての質問に対する馳副大臣(だったと思う)の答弁でした。研修、教職大学院、面接重視、実践的研修、などを挙げたあとで「教員の評価を行い、それは処遇に反映してもよいのではないか。」と述べていました。

太田氏は前文、1条2条の構成について質問し、小坂大臣は前文の1文で「理想」、2文で「あるべき姿」、3文で「なにを行なうか」を宣言した。と述べ憲法の原則、精神の尊重を具体化したのだ、と言っていました。「個人の尊厳」は継承されたのかという質問には「その通りだ」と答えていました。さらに日本では「個人」が定着していない、「私人」になっているとか、「公共の精神」とか「伝統と文化の尊重」の概念規定をしっかりしなくてはならない、とか言っていました。池坊氏といい、太田氏といい、公明党は概念規定が好きなのかな、と思いながら聞いていました。最後は浅利慶太氏の意見として「人生」という単元があったらよいと言っていたのが印象に残っている。と言って終りました。

牧氏は2条5項について1センテンスに色々盛り込んで、かえってあいまいになっている。「伝統と文化を尊重し」と「他国を尊重し」は等価値なのかと質し、小坂大臣は「等価値ではない、それぞれという意味だ」と答えていました。牧氏は「一緒に並べて中和させてしまったとしか思えない」と食い下がっていました。
国を愛する心というのは現場ではどのように現れるのか、という質問には銭谷局長が学習指導要領のとりあげるべき42人などを説明し、牧氏はもっと再評価すべき人を加えろ、と言っていました。「他国を尊重し、・・・態度を養うこと。」と書き込むのは中国などにつけ込まれるのではないかと言う質問に対しては安倍官房長官が「外国の言うとおりにせよということではない。誤解を解こうとする態度こそ必要だ」と答えました。
最後は妊娠中絶数の推移をあげて、全体では減少しているのに未成年者で増えていることを指して教育の現場での扱いを尋ね、もっと倫理的な面を強調するように求めていました。
宗教的感性の涵養も必要だと民主党の主張も繰り返していました。

ああくたびれた。面白くもなく感動もしないくだらないやり取りを再現するのはほんとうに苦痛な仕事でした。報告が遅くなった言い訳です。     (W・T)

6月6日
参考人質疑 田村哲夫(日本私立中学高等学校連合会会長)(自民)、梶田叡一(兵庫教育大学学長)(公明)、西澤潤一(首都大学東京学長)(民主)、渡久山長輝君(全国退職教職員生きがい支援協会理事長)(民主)。
・傍聴席があまりに窮屈で、3時間座っているのはつらかったです。最低でも丸椅子でなく、普通の椅子にしてもらいたいものです。あの狭い空間しか用意していないなんて、国民をばかにしています。それと、議員は水を飲んで、傍聴席では飲めないなんておかしいと思います。委員会室にあいている席がたくさんありました。議員の傍聴用でしょうか?あそこに入れてくれればいいのにと思いました。
・欠席は数人と思われますが、途中退席が多く、最後まで残っていたのは24人位でした。それにしても出たり入ったりが多いので驚きました。
・参考人はひどすぎでした。特に田村哲夫君(日本私立中学高等学校連合会会長)は自分の学校の自慢話が長く、今を明治に例えて家庭教育が大事だとか、変化の時代に対応して「改正」はすぐにやってもらいたいと強調していました。今の教育基本法は「義務教育基本法」だそうです。
・梶田叡一君(兵庫教育大学学長)もひどく、憲法、教育基本法が日本が主権を失っていた期間にできたことを強調していました。新しい道徳教育の必要性、管理の必要性をさかんに言っていました。
・西澤潤一君(首都大学東京学長)は長々としゃべっていましたが、私のノートには「こいつ、何を言ってるか全然わからん!」と書いてあります。とにかく早く「改正」したいと何度も主張、すぐに変えなければ何年分の損になるかとか言っていました。
「民主的な教育とは何か?」という質問に、「日本の教育は日本人のためにある」という答えでした!!
・渡久山長輝君(全国退職教職員生きがい支援協会理事長)はこの中ではまだましな方でした。教育基本法「改正」より憲法の方が先、教育の荒廃が「改正」で変えられるのか疑問、愛国心は強制になじまないなどと言っていました。
みなさん、質問に対する答がずれていて、自慢話も多くうんざりでした。とにかく日本中心(世界が見えてない)、子どもたちの姿が見えてない(教育の問題点がわかってない)、管理好き、権威好き、子ども不在・・・などなど・・・
中教審もそうだと思いますが、こんな国会で子どもたちの未来が決められてしまうなんて、いまさらながら本当にひどいことです。       (W・Y)

6月6日
田村氏
国民会議そして中央教育審議会と十分話し合い、民意を尽している。今は立法府としての意思表示をする時だ。現教基法は、「家族の絆」「伝統や文化」などふれなくてはならないことにふれていない。教育基本法を改定することで、教育現場に国の姿勢を表し、国民の教育への関心が奮い起こされる。教育振興基本計画で、長期に渡った計画が立て、教育に大きな影響を与え、国民の理解が得られる。

教基法改正は、論議し尽し、民意は尽した。各会議の委員だったご自分はそういう認識かもしれないが、国民は、あずかり知らない。
梶田氏
与党案も民主党案も大筋は同じだ。現行基本法の理念は残し、条文を今に合わせた。
教育振興計画で実行力を伴わせる。つまり年ごと予算要求ではなく、5年10年の流れの中で、教育方針を進めていくための措置だ。
現教育基本法は、第92帝国議会で作成されたというが、その時日本が主権はなかった。アメリカの押しつけだ。おとなの愛国心が必要。

主権が失われたって、主権在民でしょ。デマゴークって、こういう人のことを言うのかなと思った。

西沢氏
新教基法の中心は、教育振興基本計画、文科省が作るこの計画によせる期待は大きい。
ゆきとどいた教育、私学助成が可能になる。

石原都知事に招聘されて、首都大学総長になるだけのことはある発言が節々に目立った。教育振興基本計画に利権があるのだろうか。

渡久山氏
今の教育の危機は、教基法を変えて解決するのか。第5条の男女共学は削除すべきではない。高校が準義務教育となっている現状を踏まえといのであれば、修業年限の延長を記入すべきだ。基本法に徳目を書くべきではない。「全体の奉仕者」という部分は、一党、一派に服すべきではないという意味で大事な点であるから、もっとふさわしい言葉で表現すべきだ。学力テストは、1961年〜64年から全国で行われ、〈テストあっても教育なし〉〈テスト漬け〉〈学校ランク付け〉など様々な弊害を生んだ。サンプル調査でいいし、公表のあり方、序列をつけない、どんなテストするかなど問題点を指摘しつつも、財政的裏付けが必要、国家予算に置ける教育費が減っている、GDPに占める教育費の割合が小さいことあげ、教育振興基本計画を評価した。

4人の中で一番まともであったが、どこの党の推薦参考人なのだろうか。改正反対であったら「国家権力は慎み深くあるべきだ」裁判所判決みたいな、ものの言い方ではなく、明確に論じてほしかった。

4人の参考人はみな、政府案17じょうの教育振興基本計画を歓迎している。文科省に潤沢な資金を与えて、大胆に「国家的戦略」教育の勝負に出たいということ、平等より選抜、100人の一歩より、一人の100歩をめざす教育を進めたいということ?

松野自民党議員の参考人への質問で、「現在の問題は、規範の喪失、権威の喪失にある。親、教師、学校、国家の権威を復活させるために、教育基本法で、(人間のあるべき姿、態度)を宣言する」、新しい道徳、規範の再構築をして、社会の立て直し。つまり、新教育基本法が、新「教育勅語」なんだという意味がよくわかった。            (M・K)

6月7日
参考人質疑 見城美枝子(エッセイスト)(自民)、池田佳隆(日本青年会議所会頭)(公明)、中島嶺雄(国際教養大学理事長)(民主)、堀尾輝久(東京大学名誉教授)(共産)。
見城氏
3点について話すといい、@教育は基本 A学校は教育の中心 B国を愛すること
「国を愛することは当然のこと、国は『安全・安心・安定』の源である。
仕事上、外国に行くことが多いが、パスポートを持って、旅行できる幸せを痛感する。植民地にされ、宗主国に自国の文化、伝統を奪われたアフリカなどの国々が独立後も引きずる困難さを見ると、自分の国がこうしてあることのありがたさを感じる。」
「自己を愛し、自己を受容する人が、他者を受け入れることができる。それと同じように自国を愛する人が、他国を愛することができる。」
「子どもは、この国に生まれて幸せだと教えられることが必要。
家族の中で、国に愛してもらおう、国を愛そうというような会話があることが大事」

「国に愛してもらう」ってどういうことなのかなあ。私、国に愛してもらわなくてもいいなあ。

池田氏
「教育は、国が責任を持つ、国家戦略だという認識が必要。
日本がめざす教育――自分のことより他を思う思いやりの精神、武士道、大和心、自分を犠牲にしても、他に尽す心――そういう美しい道徳心を持った日本への回帰である。経済至上主義、拝金主義を廃し、また教員により自虐意識をたたき込まれた子どもたちが毎年増産されている現状を改めねばならない。この国に生まれてよかったと思う子どもたちを作らなくてはならない。「美しく生きること」――道徳教育が基本である。

なるほどね、道徳教育って、やっぱり、国のために、命捧げましょうということなんだよね。だから、道徳、道徳と声高に煽動するんだね。

中島氏
政府案の教育基本法について、いくつか申したい。
民主主義が貫徹した現在の日本では、「国を愛する心」といっても、何ら問題はない。
グローバル化がものすごい勢いで進行し、ボーダレス化するから、愛国心は必要。
「不当な圧力」・・・かつては、軍部であり、ポピュリズムをさすのであろうが、日本は民主国家なのだから、もはや「不当な圧力」の文言は削除していい。
日本を悪くしたのは、平等主義であり、平等主義こそ、教育の荒廃の原点だ。
平等主義を集団的に押し進めた教職員組合に原因がある。
今、国立大学に国旗・大学旗が青空に翻るのを見るとすがすがしさを感じる

「平等が友情を生む」とプラトンが言ったと東京新聞で読んだが、なぜ、こうも平等を目の敵にして憎むのだろう。格差とか差別とかエリートとかがいいのかなあ。「自由・平等・友愛」宣言は、人類の進歩であり、英知だって世界史で習ったけどなあ。

堀尾氏
「この特別委員会でも、現行の教育基本法を町村元文部大臣が、占領下で制定され敗戦の後遺症とか、安倍官房長官が敗戦の残滓だといったとか、GHQの押しつけと見なす見方があるようだが、明らかに事実に反する。田中耕太郎、南原繁、安部能成、務台理作とか教育刷新委員会の先人たちが、どういう思いで、この教育基本法をつくったのか、過去を反省して、二度と戦争をしてはいけない、一人一人を大切にする教育、日本を世界に誇れる国にしたいといった熱い思いに燃えた教育改革だった。家永教科書裁判で、証言台に立った南原繁は、GHQの圧力で教育基本法を作られたのかという問に対して喝破している。「教育刷新委員だったわれわれのメンバーを見なさい。そんなケチなことで動いたのではない」

教育刷新委員の彼らが問題にしたことは、この教育基本法に、教育の目的を書き込むことへの躊躇だった。近代法というものは、個人の内面に関与しないという原則がある。だから、当時の議事録を読むと沢田牛麿が、「法律に目的を書いていいのか」と反対するのに対し、金森国務大臣が、「現在、教育勅語、超国家主義、軍国主義からの脅威がある。それらに対応するために、教育の目的を設定せざるをえない」と答えている。田中耕太郎も、ジュリエスト創刊号で、教基法第1条にふれて、本来なら、目的を書くべきものではなく、変態的ものだと言っている。「法が教育のすみずみまで入ってきたら、教育はみずみずしさを失ってしまう。法がなじまない領域がある」と書いている。
ところが、教育基本法政府案を見ると、2条「教育の目標」を決めている。道徳的規範、徳目を法律で掲げるということは、どういうことなのか。近代法の原則を逸脱している。16条で、現教基法の10条で明記されている「教育」と「教育行政」の区別をなくしている。17条で、この基本法を根拠に、教育振興基本計画で、政府にフリーハンドを与えている
昭和51年の旭川学テの最高裁判決をもって、国が教育内容を関与することは確定されている小坂文科相は言うが、それは判決文の勝手な解釈だ。志位議員が小坂文科相に質問して、小坂文科相は、そこは読んでないと答えていた。私も、小坂文科相に是非質問したい。
私は競争システムが日本の教育をダメにした、教育が病んでいるのは、学校から自由が逃げていき、人間が消えていくからだ。だから、教育基本法を変えてはならないのだと力強く語った。

横尾参考人の話を傍聴席の対面にすわっている文科省の官僚達に聞いてほしかった。しかし、誰も、そこには座っていなかった。       (M・K)

6月8日
 委員会室の出席状況はざっと6.5割程度。ずいぶんと空席がめだちました。現行の基本法の文面から、それを作った人の思いが伝わる。子どもの成長に寄せる期待や希望、信頼があり、心を打つものがあるが、目の前に並ぶ大半の議員からは子どもに寄せる思いが伝わってこない。一部野党の人が子供のことを主体に発言していたが、極少数だった。気になった発言となるほどと思った点を報告します。
岩国 哲人(民主党)  「拉致問題、ドミニカ移民を棄民するような国、防衛を米国まかせにして米国の言うとおり、在日米軍を拡大する国が、国を愛せという現状にない。日本国憲法を発布した時「国」を旧字で書いてあった。天皇陛下に奏上することもなく、勝手に変えてはいけない。元に復すべきだ。日本はニホンとニッポンの二通りの国号を使用しているが、世界にそんな例はない。宮内庁に聞いたが天皇陛下も、皇后も正式な場で「ニホン」と言っている。ニホンに統一すべきだ」と発言していた。
愛される国になるべきだと主張しつつ子どものことを考えているのか疑問だ。間もなくサッカーが始まるが、「ニホン チャチャチャ」では力がはいらない。統制とか統合とか違和感を感じた。
笠井 亮(共産党) 「国旗、国歌法制定する際、人にはそれぞれの考え方がある。斉唱しない自由もある。新たに国民に義務を負わせるものではない。と国会答弁していたが、現状では内心の自由を生徒に伝えた教師が厳重注意を受けた。また先生が罰せられるのが嫌なので無理して斉唱せざるを得ないのは、思想の統制と受け止める生徒もいる。制定当時の法案に変化はないと考えていいのか。という質問にヤジと怒号がとびかい。小杉大臣は、内心の自由を教える前に国歌を教えるべきだ。と本質をはぐらかせた答弁だった。このような状況から推して教育基本法が改定されたら、日本中の学校が東京のようにように息苦しくなるのが心配」と発言していた。
我家は子どもが成人したので、直接学校の変化は見ていないが、孫の世代を考えると心配になった。様々な意見が言い合える学校でなければならないと思う。
保坂 展人(社民党) 「日本の教育は単線型。様々な理由で学校に行けない子どもたちに、再チャレンジ、フリースクールなどの充実が必要。与党改正案の2条教育の目標にかかげる五つの徳目は、3条以下すべてを包括するのか?の質問に対し小坂大臣は、社会や家庭のありかたはそれぞれに委ねられる。主に学校教育に求められる目標だと答弁した」
手放しで喜べないが、全国津々浦々まで国の考える愛国心が強制されるのではない。という答えを引き出してもらって良かった。私には私なりの国の愛し方があり、私なりの学び方がある。ほっとして傍聴を終えた。それにつけても問題が多すぎる法案なので、廃案にして欲しい。
                                 (T・T)
6月8日
8日は、午前と午後、委員会は開催されたが、午前中、所用があり、午後から傍聴に入った。
中井治(民主)
鳩山議員は、政府案教基法の「態度を養うこと」を批判して “面従腹背”のおそれはないかと言った。郵政民営化反対をずっと唱えながら、土壇場でよもやの賛成に回られた小坂文科大臣、その心中はいかばかりか、それで、文科相の座を射止められたのですから、私は、何も申すことはありませんが、心と態度は違うのです。“面従腹背”の国を愛する態度でいいのかと私は問いたい。民主党案は、はっきり「国を愛する心を涵養」だ。(もっと、ヒドイよ。マインドコントロール)
政府案は“人格の完成を目ざす”とあるが、“完成した人格“は神。不可能ではないか。だから民主党案は”人格の向上発展を目指す“だ。政府案は”心身ともに健康“というが、障碍をもって生まれた人に対する配慮を欠く。民主党案は”心身共に健やか“だ。

私は、政局に疎く、小坂文科相がどんな派閥に属し、郵政民営化でどのような去就をとったか知らず、中井議員の批判がどこまで真実を穿っているのかわからないが、ただ、文科相は、背後に陣取った事務方から送られる書類に横を向いて目を落とし、居心地が悪そうだった。個々の語句はともかく、国家の教育介入を堂々と推奨する民主党案、なにをか言わんやである。

岩國哲人(民主党)
最初は、小気味よく、痛快だった。
私は朝からずっとドミニカ移民の方々のことを考えている。あの方達の気持ちはいかばかりのものがありましょう。日本政府に裏切られ、捨てられた。「拉致」も許されないが、日本政府の「放置」も許されるものではない。私は神奈川に住んでいるが、沖縄に次いで米軍基地の多いところ、陸海空の米軍基地があり、原子力潜水艦も来るわ、米陸軍司令部も来るという・・・フルハウスだ。こんな国がどこにある。日本はアメリカの51州に成り下がったのか。子どもに「我が国を愛せ」と言えるのか?「日本を愛するってことは、アメリカを愛せよということ?」と子どもに問われそうだ。官房長官にご意見を聞きたい。
安倍官房長官は「日米同盟については、反論がありますが、新教基法でいう『我が国を愛する』とは、今の日本の政府、統治機構を愛せよということではなく、連綿として続いてきた我が国、風土、伝統・文化であり、『今の政府を愛せよ』なんていっていない・・」と逃げた。
小泉首相は、所信演説で「米百俵の精神」を語り、国民を感動させた。それで、5年経ったが、政府はどのような取り組みをしているのか?この5年間、教育予算は、減るばかりではないか。子どもは国の宝ではないか。
安倍官房長官が「OECDの比較でも、小、中、高一人当たりの教育予算トータルでは遜色ない、少子化で教育予算は減っているように見えるが、一人当たりは増えている」と答えたのに対し、すかさず、「子どもが減ったから一人当たりが増えているなんて言い方は、社会保険庁の偽造、分母を小さくしたやり方と同じ。家計に占める教育費の重圧、だから、少子化が進むのだ。小泉政権の5年間、豊かな県と貧しい県の格差は広がる一方。何でもかんでも地方分権がいいのではない。小泉政権が始まったとき、東京の教育予算が100に対し、わが島根は60だった。それが、初めの2年間で55にさがった。このままで進んだら、20年後、島根県はなくなってしまう」との切り込み方は鋭かった。
笠井亮(共産)
・99年国旗国歌法審議の時、「児童・生徒の内心にたちいって、強制するものではない」と小渕総理はくり返し強調した。君が代については、生徒にもさまざま意見がある。しかし、結果として、生徒が不起立だったら、教師が処分される。こうなると、生徒は先生に迷惑をかけたくないと立たざるをえない。ある都立高校で、卒業生が壇上から「教師を人質に取った思想統制だ」と発言している。生徒が「思想統制」と受け止める事態を小坂文科大臣は、教育上、好ましいことだと思うのか

小坂文科相「学習指導要領では、入学式・卒業式で国旗掲揚国歌斉唱するよう指導すると記述されており、教委、校長がそれに基づいて、適正な判断し、所属の職員に指導を行い、教育的立場から環境を整えることは、教委・学校長の指導の範囲だ。先生をいじめているとかいう問題ではない。」

・「圧力は生徒に及ぶようになった。生徒が国歌斉唱を拒めば、先生が処分される。私達生徒は戸惑った。卒業の日、都教委の不合理な処分や規制、それに対し無力な私が悔しかった」と朝日新聞に生徒の実名入りの談話が掲載されている。生徒がこのように思わざるをえない事態をどう思うか。

小坂文科相「学習指導要領では、国旗国歌について適切な方法で指導するように述べている。それは強制ではない。たとえば、『国旗掲揚したときは敬意を表しましょう、みんなで歌うときに、一緒に歌えば楽しいよね。国歌だからね』といっていればいいのに、教師が自分の内心の『嫌だ』と言う気持ちを事前に生徒に伝える。生徒が、先生がいじめられていると印象を持つのは、その反映ではないか。教委・校長は学習指導要領に従って職務上の権限において、命令し適切な指導をやっているわけで、教師の内心の自由に立ち入っているのではない。」

・推測して勝手にもの言うのはとんでもない。『立つな』と言っているのではない。結果として、生徒達が不起立だった。そのことで、教師は厳重注意を受けている。国旗国歌法審議の時、政府は「指導の結果、最終的に、児童・生徒が卒業式でどういう行動をとるか、国旗国歌の意義をどのように受けとめるかそういうところまで強制するものではない、また、生徒達に心理的強制力が働くような指導が行われるものではない」と繰り返した。文科大臣の答弁は、高校生を一人の独立した人間として、認めていない。
もう一つの論点について質問がある。教師がホームルームで、『歌う歌わないは、君らの判断だ。それは内心の自由だ』と説明したら、そのことを都教委から厳重注意を受けた。「立つな」と不起立を促すことを言ったわけではない。内心の自由を説明しただけだ。小坂文科相、これは、問題でないか。」

小坂文科相「国旗国歌をどんな風に教えるのか、例えば、『W杯で選手達がみんな歌っているよね、自分だけ歌えなかったら困るだろ。一緒に歌えるように歌詞を覚えとこうね』と言えばいい。『これから、国歌について話すけど、内心の自由があるから歌っても歌わなくてもいいのだ』と言ってから教えたら、生徒に入ってこないだろう。日本の国には国歌国旗があるということを客観的に教えればいい。『歌わなくてもいいんだよ』なんて言うことは、逆の指導をしているととらえられても仕方ないのではないか。本来学習指導要領、関係法令に従って教員が職務を果たせば、生徒に素直な気持ちで受け入れてもらえる。」

笠井「大臣は推測で言っている。証拠はあるのか。最初から教員を疑っている。現場の先生は、内心の自由の問題ばかりを言っているというのか。」

小坂文科相「私なりに、想像して、そういう感覚をもったといいうことだ。それぞれの立場で学習指導要領基づく関係法令、職務命令に従って教育指導を行ってもらう。校長が、所属の教員に、学習指導要領に従って、本来行うべき職務を行うように指導するのは、教員の内心の自由を侵すことではない。それに対し、生徒が教員はいじめられていると感じるなら、現場の教員が生徒にそのようにとられるようにふるまっているのではないか。」

笠井「国旗国歌法の審議の時、野中国務長官は、『人それぞれの考え方ある。人によって式典等で起立する自由もあるし起立しない自由もある。斉唱する自由も斉唱しない自由もある。法制化はそれを画一的にしようとするものではない』と答弁している。安倍官房長官、間違いありませんね。」
安倍官房長官「国旗国歌については、長年国民の慣習として定着していたものを21世紀を契機にして、法制化し根拠を明確にした。これは、国旗国歌に関し国民に新たな義務を課すものではない。国旗国歌を国民がどのようにうけとめるかは個々人の内心の問題だ。しかし、この法制化により、国民が国歌国旗に理解を深め、大切に取り扱うようにつとめることに意義があると考える。」
笠井「野中官房長官の発言は、これでいいのかと聞いている。」
安倍官房長官「当時の官房長の談話についての理解は変わりない。」
笠井「生徒に対し国歌答弁を伝えたらいけないのか。」
安部官房長官「国旗国歌法は民主的手続きで、君が代日の丸は国歌国旗であると定められた。国旗国歌について一般常識としてどのように態度、敬意を表するかということを生徒達に教えることはありうる。」
笠井「教師が生徒に、国会答弁通りに伝えたらいけないのか端的に答えて下さい。」
安倍官房長官「先生が、国旗国歌について、それぞれの国でどのように敬意を払っているかを教えることが極めて大事です。そのことを教えずに、最初に立ても立たなくても言いと教えるのは誤解を与えるということもありえる。」
笠井「国会の答弁を学校で伝えたら、厳重注意されると言うことでは、法治国家とは言えない。教基法が改正されたら、このような東京の状況が全国に広まることだ。」

自分の都合の悪いことには答えず、すり替え、言質をとられたくない――だけの官房長官。こんな不誠実な人間に人気があり、次期総理有力候補なのか。なんで?
国旗国歌法の成立にあたって、内閣が何を言おうと、いったん法律が成立すれば、なんとでも解釈され、拡大して適用されるのだということがよく分った
「『W杯で、みんなで歌おうよね』と言って、「君が代」を高校生に教えればいい」と言い放つ文科相発言の高校生をバカにした能天気さ。そして、教員には、「学習指導要領、その他関係法令に従って、職務を果たせ」と恫喝する――政府案教基法16条の「教育は、この法律及び他の法律の定めるところよって行われる」という条文通り。学習指導要領に書かれていても、教基法10条の文言、憲法19条「思想信条の自由」が、私たちの根拠だった。その根拠は面倒だ。まさに統治機構の都合のいいよう変え、教員は上の命令のままに実行せよ――戦前・戦中の教員そのもの。教員は「お前を縊ったその紐の端を私も握っていた」と痛恨したはずのその道を再び行くのか。
笠井議員の発言は、「当然だ」「国旗国歌を敬え」「教師が悪い」と大声のヤジが飛び続け騒然とした中で行われた。森山真弓委員長はそれらを制止することはなかった。

保坂展人議員(社民)
・2条で教育の目標をあげ、教育の具体的目標を1〜5まで整理して並べた。この2条の位置関係を質問したい。3条以下すべてを包括するものなのか。家庭教育、社会教育にもかかるものか

小坂文科相「2条の教育の目標は、学校教育にかかるもので、家庭教育、社会教育については、教育が行うものに具体的教育内容ゆだねられ、それぞれが目標を見つけ出し決めていくものだ。」

・ 3条(生涯教育の理念)で国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送る・・・とあるが、豊かな人生とはなにか、それぞれの価値観がある。今はのんびりしたいと思うことだってある、それぞれの選択だ。この条文は誰が誰に対して課して言っているのか、国民に言っているのか?教育行政に対して言っているのか?

小坂文科相「現代の科学技術、社会構造の変化は目覚ましく、生涯にわたって絶えず技術の習得を求められている。また高齢化社会で自由時間の充実が求められ、人生をより豊かにする為に生涯学習の意義は大になっている。誰かに義務を課し『やれ』というのではない。社会全体に生涯教育の理念を広げていく。国の機関・地方行政は学びたいとき学ぶことができる場、環境を作る、支援の態勢をつくるという趣旨である。」

・ 13条(学校、家庭及び地域住民その他の関係者の相互の連携協力)で、その他の関係者とは誰を指すのか。具体的列挙してほしい
馳副大臣「当該地域に居住する人々、当該地域における企業、NPO,関係省庁、児童相談所、警察、当該地域にあるあらゆるものを指す。」

・ 政府提案教基法には、子どもの権利条約でいわれている、子どもが権利の主体という見方が条文的にはでてこない。
猪口国務大臣「子どもの権利条約の観念は、憲法によってすでに保証されている。政府案教基法においても教育の機会均等の規定、個人の尊厳、家庭教育など、さまざまのところで十分に折り込まれている。」

2条の教育の目標がどこまでを包括するのかという点について、小坂文科相は、すべてに及ぶといったり、言い直したり、自分はよく認識していないかもしれないといいつつ(提案者でしょう)、学校教育にかかわる目標で、家庭教育、社会教育の目標ではないと言う点を言明した。  (M・K)