知られざる小林多喜二の周辺

 
 009 ( 2019/01/16 : ver 01 )
数え年のこと



「満年齢」では、初めての誕生日に1歳となり、最初の1年間は0歳です。これに対して、「数え年」では生まれた時点で「1歳」です。受精してから出生までを「0歳」と考えると分かり易いかもしれません。年齢が加算されるシステムも異なっています。「満年齢」では「誕生日」に 1歳加算されます。現在はこれに慣れていますが、旧暦の時には違いました。「数え年」では「元旦を迎える時」に加算されます。この「数え年」における「元旦(年越し時)の年齢加算システム」は、旧暦では2〜3年に 1度の閏月が挿入されるため誕生日が存在しない人が多くなる事に関係あるかもしれません。例えば「閏5月」に生まれるとします。約2.7年で閏月が挿入されますから、別の閏月が11回あって、12回目に「閏5月」になると仮定すると、次の「閏5月」までは30年近くかかることになります。

1903年(明治36年) 2月1日に生まれた人がいたとします。生まれた瞬間に「数え年で 1歳」です。翌年の明治37年1月1日は「数え年では2歳」となります。この時点で、まだ「満年齢では0歳」ですが、 2月1日には、すぐに「満1歳」となります。このように、1年の早いうちに生まれると「満年齢」と「数え年」は、ほぼ「1年違い」です。

多喜二は1903年(明治36年)12月1日に生まれたので,この瞬間に「数え年で1歳」です。1ヶ月足らずで年が明けます。従って翌年の明治37年1月1日は、生まれて1ヶ月で「数え年2歳」となってしまいます。満年齢では、まだ「0歳」です。「満1歳」になるのは12月になってからです。このように,1年の暮れ近くに生まれると,「満年齢」と「数え年齢」は,ほぼ「2年違い」にもなるのです。12月31日に生まれた児は、次の日には2歳なのです。

このように、「数え年齢」と「満年齢」の差は生まれた月により異なっています。「満年齢」では「誕生日に年齢が加算」されるのに対して、「数え年」では「年越し時に年齢が加算」されるという年齢加算システムだからです。次に示す表では単純化しています。明治36年について、 1月1日・2月1日・3月1日・・・12月1日に生まれた人の年齢を示しました。赤字は「数え年齢」、青字は「満年齢」、黄色背景は1歳である期間、灰色背景は2歳である期間を示します。数字は、例えば「1-04」は1歳04ヶ月を意味します。緑字は「数え年齢」と「満年齢」の差です。

「生まれた年」の年越し前は、「数え年齢」と「満年齢」の差は「1歳00ヶ月」と一定です。最初の年越しをしてから、生まれた月により違いが生じます。表の中で、例えば2歳になる瞬間(図では灰色背景の開始時点)を見ればいいでしょう。誕生日がちょうど 1月1日ならば、「数え年齢」と「満年齢」の差はずっと 1年のままです。しかしながら誕生日が 2月1日・3月1日・4月1日・・・となるに従って、「満2歳」になる日が遅れてやってきます。これにより、「数え年齢」と「満年齢」の差は少しずつ拡大していくのです。

01月01日生まれの人 → 1年00ヶ月の差
02月01日生まれの人 → 1年01ヶ月の差
03月01日生まれの人 → 1年02ヶ月の差
04月01日生まれの人 → 1年03ヶ月の差
05月01日生まれの人 → 1年04ヶ月の差
06月01日生まれの人 → 1年05ヶ月の差
07月01日生まれの人 → 1年06ヶ月の差
08月01日生まれの人 → 1年07ヶ月の差
09月01日生まれの人 → 1年08ヶ月の差
10月01日生まれの人 → 1年09ヶ月の差
11月01日生まれの人 → 1年10ヶ月の差
12月01日生まれの人 → 1年11ヶ月の差

多喜二は 12月1日生まれであり、「数え年齢」と「満年齢」の差は 1年11ヶ月ということになります。2月1日生まれの人は、「数え年齢」と「満年齢」の差は 1年1ヶ月です。





月(端数)を省略し,年だけを考えると、

誕生日 : 数え年 = 満年齢 +
誕生日 : 数え年 = 満年齢 +

・・・ということになりますが、年末に近いほど端数が大きくなります。


満年齢について厳密に言うと、現在の法律では年をとるのは「誕生日の前日」のようです。より正確には、「前日の24:00」と考えると分かり易いかと思われます。例えば 4月1日生まれの人は「3月31日の24:00」に年をとります。これは事実上「4月1日の0:00」に等しいのですが、法律上は「前日扱い」なのだそうです。

ずいぶん面倒なことをしているようですが、閏年のことを考えると納得できると思います。すなわち閏年の2月29日に生まれた人にとっては「2月29日の0:00」は4年に1回しか来ません。しかしながら、前日である「2月28日の24:00」は、ちゃんと毎年くることになります。

この理屈だと、ややこしい話ですが「平年の2月28日の24:00」には、3月1日(平年および閏年)生まれの人と、閏年2月29日生まれの人が同時に年をとります。「閏年の2月28日の24:00」には、閏年2月29日生まれの人だけが年をとります。「閏年の2月29日の24:00」には、3月1日(平年および閏年)生まれの人が年をとります。多分そうでしょう。

また就学時の「早生まれ」の規定も,これに関係があると思われます。なぜか 4月1日は「早生まれ」に含まれているそうです。そのため 4月2日以降に生まれた子供よりも1年早く小学校に入学するのだとか。これは法律上 4月1日生まれの人は、3月31日(24:00)に年をとる。事実上は4月に生まれているのだが、法律上は3月のうちに年をとるから・・・と考えましたが、正しいかどうかは知りません。年齢によって法令上の扱いが変わる場合があるため、これらは厳密に規定されているのだと思います。



直接の関係はないのですが「ウィキペディア:数え年」には馬の年齢(馬齢)について書かれています。日本の競走馬について、2000年までは「数え年」が採用されていたのだそうです。2001年からは,生まれた時を「0歳」にしているようです。これは人間における「満年齢」システムと同じです。しかしながら年をとるのは一律に「1月1日」のままなのだとか。「数え年」のシステムが併用となっています。競走馬は、元旦に一斉に年をとります。


トップ・ページに戻る



キーワード

小林多喜二
多喜二の誕生日
小林せき
多喜二の母
明治36年12月1日
多喜二の香典控
知られざる小林多喜二の周辺