知られざる小林多喜二の周辺
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「満年齢」では、初めての誕生日に1歳となり、最初の1年間は0歳です。これに対して、「数え年」では生まれた時点で「1歳」です。受精してから出生までを「0歳」と考えると分かり易いかもしれません。年齢が加算されるシステムも異なっています。「満年齢」では「誕生日」に
1歳加算されます。現在はこれに慣れていますが、旧暦の時には違いました。「数え年」では「元旦を迎える時」に加算されます。この「数え年」における「元旦(年越し時)の年齢加算システム」は、旧暦では2〜3年に
1度の閏月が挿入されるため誕生日が存在しない人が多くなる事に関係あるかもしれません。例えば「閏5月」に生まれるとします。約2.7年で閏月が挿入されますから、別の閏月が11回あって、12回目に「閏5月」になると仮定すると、次の「閏5月」までは30年近くかかることになります。 1903年(明治36年) 2月1日に生まれた人がいたとします。生まれた瞬間に「数え年で 1歳」です。翌年の明治37年1月1日は「数え年では2歳」となります。この時点で、まだ「満年齢では0歳」ですが、 2月1日には、すぐに「満1歳」となります。このように、1年の早いうちに生まれると「満年齢」と「数え年」は、ほぼ「1年違い」です。 多喜二は1903年(明治36年)12月1日に生まれたので,この瞬間に「数え年で1歳」です。1ヶ月足らずで年が明けます。従って翌年の明治37年1月1日は、生まれて1ヶ月で「数え年2歳」となってしまいます。満年齢では、まだ「0歳」です。「満1歳」になるのは12月になってからです。このように,1年の暮れ近くに生まれると,「満年齢」と「数え年齢」は,ほぼ「2年違い」にもなるのです。12月31日に生まれた児は、次の日には2歳なのです。 このように、「数え年齢」と「満年齢」の差は生まれた月により異なっています。「満年齢」では「誕生日に年齢が加算」されるのに対して、「数え年」では「年越し時に年齢が加算」されるという年齢加算システムだからです。次に示す表では単純化しています。明治36年について、 1月1日・2月1日・3月1日・・・12月1日に生まれた人の年齢を示しました。赤字は「数え年齢」、青字は「満年齢」、黄色背景は1歳である期間、灰色背景は2歳である期間を示します。数字は、例えば「1-04」は1歳04ヶ月を意味します。緑字は「数え年齢」と「満年齢」の差です。 「生まれた年」の年越し前は、「数え年齢」と「満年齢」の差は「1歳00ヶ月」と一定です。最初の年越しをしてから、生まれた月により違いが生じます。表の中で、例えば2歳になる瞬間(図では灰色背景の開始時点)を見ればいいでしょう。誕生日がちょうど 1月1日ならば、「数え年齢」と「満年齢」の差はずっと 1年のままです。しかしながら誕生日が 2月1日・3月1日・4月1日・・・となるに従って、「満2歳」になる日が遅れてやってきます。これにより、「数え年齢」と「満年齢」の差は少しずつ拡大していくのです。
多喜二は 12月1日生まれであり、「数え年齢」と「満年齢」の差は 1年11ヶ月ということになります。2月1日生まれの人は、「数え年齢」と「満年齢」の差は 1年1ヶ月です。
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