知られざる小林多喜二の周辺

 
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はじめに



小林多喜二は明治36年(1903年)12月1日に生まれました。30年に満たない生涯でしたが、多くのものを残しました。たくさんの研究がなされ、かなり詳細なことまで伝わっています。しかしながら一部は不正確だったり、間違ったものもあります。例えば最初に示した誕生日の件があります。それまでの通説は10月13日でした。平成24年(2012年)の秋田県多喜二祭50周年記念「多喜二展」の時、私は手元にある曽祖父の除籍謄本を展示しました。それが秋田魁新報に掲載(3/18)され、その後のウィキペディアでは誕生日に関して断定的に12月1日と書かれるようになりました。

私が3歳の時なので覚えていませんが、祖父の葬儀の時に、せきさん(多喜二の母)が参列していました。私は祖父からすると長男の長男でしたから頭のひとつも撫でられたと思います。また苫小牧にはツギさん(多喜二の妹)が住んでおり、よく祖母のところに遊びに来ていました。お兄さんの話ばかりしていたのを覚えています。その頃は、よっぽどお兄さんが好きな人なのだなとしか思いませんでしたが多喜二のことだったのです。また、苫小牧の三星では社員やその家族を対象として、毎年クリスマスパーティーが開かれていました。それに出席しているせきさんの写真なども残されています。これらは、まさしく「知られざる小林多喜二の周辺」だと思います。

本日(12/1)は多喜二が生きていれば115歳の誕生日です。身内の人間として、これまでの研究者らと違った視点で書いていこうと思います。文学ではありませんし、正確さを目指すものなので説明が冗長になることもあろうかと思います。ネットの世界には、印刷された書籍には不可能な即時性があります。間違っているところがあれば、分かりしだい修正します。その足跡を残す意味でも、バージョン管理をします。文章が「バージョン1」のままなら、最初に書いたままという事です。これを必要とする人がいるかどうか分かりませんが、資料性を考慮して、分かる限りの出典も書いていきます。


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キーワード

小林多喜二
多喜二の誕生日
小林せき
多喜二の母
明治36年12月1日
多喜二の香典控
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