朝の火

小林久美子


illustration:kumiko kobayashi


終わろうとする夏そっと朝を呼びながらひとりの肩を冷やしぬ

雨の夜にこおろぎ鳴けり雨のふるままに明けゆく空のようなり

気のせいかあおい薬鑵はごくまれにかたくなになるゆるい炎で

雨が来る前には海のにおいするごときかそけきさきぶれの消ゆ

産んだのち祖国に置いて来しままの児があるという女人描けり

おのずから母乳(ちち)のあふれてくる裸婦を拭きやればあたたかしタオルは

パンに湯のしずかに沸いて火を消しぬ愛はひそかにどこへゆくのか

遠のいてゆく暑気の上の雨は泣きおえし女人の安堵に似るも

水煙と溶けあいてなお太陽の光というは直線に見ゆ

帰ろうとして睡蓮のワンピースそっとあてがわれていた女人

遠く立っていただいたのはよく視たいからだったのに しずかな径で

(せわ)しさのなかに流されゆくように見えてゆるやかに在る人待ちは


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