トリハダについて


 鳥肌は、皮膚に浮かぶさみしい音楽のようだ。。のどの中心にできたつめたいしこりが、ぞわぞわと全身に広がる。少し肌寒い日ならば、鳥肌をたてようと思えば、たてられる。つかのまの皮膚のざわめき。ほら、みて、とそばにいる人に話しかけても、その人が振り返るころには消えかかっている。
 みえた? 
 うん・・・。 
 ほんと? 
 うん・・・。
 春先に明治村に遊びに行って、本物の蒸気機関車に初めて乗った。過去現在の「とうきやう」から「なごや」まで。汽車に初めて乗ったのは誰だろう。動く物の中で揺れることの安らぎ。汽車の揺れは胎児のころに羊水で揺れていたことを思いださせるのか、すぐに眠くなる。眠りつつ感じるのは地上のトリハダ。
 鳥肌をたてて遊んでいると、ドアベルが鳴った。和歌山の親戚からはっさくが宅急便で届いたのだった。淡いオレンジ色の肌にあるかすかな凹凸。永遠の鳥肌がそこにあった。このトリハダはよい匂い。
 もう帰ろう、ほら、トリハダがたってる
 あれは、だれの言葉だったのか。促されて、腕を見る。それは日に焼けた肌にくっきりと浮かんでいる。川遊びに夢中で気がつかなかった。「鳥肌」は鳥の羽根をむしったあとの皮膚。本物の鳥肌は、とりかえしのつかないトリハダ。
 さむいんちゃう? さぶいぼたってんで。
 わたしは笑った。もう小さな子供ではなかった。その人のことを、理由なく好きになった。さぶいぼ、なら消えるね。

(初出:「かばん」2000年6月号)



illustration:kumiko kobayashi