夏を眠る


 取り返しのつかない悲しみにもがくと、ぼんやり冷たい朝にいた。時計を見ると午前四時半。補修工事中の窓のむこうで、まだ灯っている外灯がにじんでいて美しい。鳥がふいに高く鳴いた。朝ってきれいだな、と思ったときには、夢の中の「取り返しのつかない悲しみ」の内容はすっかり忘れてしまっていた。今日も暑くなるのかなあ。
 今年の夏はことの他暑い。住んでいる建物が工事中でクーラーが使えないのだ。騒音とペンキの匂いと座っていても汗の出る暑さ。苦しい。あんまり疲れてきたので昼寝をする。窓の外の足場にたえず工事の人が歩いているので、カーテンを締め切っての、うっとうしい昼寝である。でも、昼寝は好きだ、昔から。昔から、よく昼寝をした。目覚めると、しばらくはぼんやりしているけれど、そのうち霧が晴れてくるように頭がさえて、おおらかで落ち着いた気持ちになることがある。家に二人の幼児がいた頃は、よく三人でハムスターのようにより添って眠った。たいていわたしが先に目を覚ます。よく眠っている幼児はふっくらとして、いかにも動物らしい。その時間がとても好きだったのに、いつの間にか子供たちは昼間に眠らなくなった。こんなに気持ちがいいのに、どうしてそんなに活動的なのかしら、わたしが幼児期を脱していないだけなのかしら。とにかく、仕方なく、眠くなったら一人で眠る…。
 朝、妙に早く目が覚めてしまったせいか、今日の昼寝は長引いてしまった。浅い夢にもうろうとしていると、なにやらさらさらという音が耳に入って、怖い気がして目を開けられなかったのだ。それでもなんとか起き上って外をそっと見ると、ペンキの飛び散りを押さえていた窓の外のビニールが取り除かれていた。少しさっぱりした。深く濃く重たげな雲が見える。夕暮の、取り返しのつかない夢をまだ抱えているような空だ。夕立、になるかな。
 ゆうだちの生まれ損ねた空は抱くうっすらすいかの匂いのシャツを   東 直子

(初出:信濃毎日新聞2000年8月3日付朝刊)



illustration:kumiko kobayashi