クリスティーナ


 一番好きな絵は何ですか、と訊かれたら、少し考えてから、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」です、と答えるだろう。十五才のときに美術の教科書で出会って以来、胸の奥で深く息づいている絵である。草原のむこうの小さな家を見つめる一人の女性の後姿という簡素な絵だが、私はそこにとてつもない淋しさと一筋の願いを感じたのだ。
 先日、「アンドリュー・ワイエス水彩素描展」(平塚市美術館)に出かけた。実在のモデルであったクリスティーナとその弟の生活を描いた絵を集めたものだ。クリスティーナの手足が不自由だったこと、生涯独身だった無口な弟と二人、辺鄙な農場で質素な暮らしを続けたこと、ワイエスと深い信頼関係で結ばれた交流は三十年近くにも及んだこと等を初めて知った。テンペラ画の「クリスティーナの世界」そのものは展示されなかったが、この絵に至るまでの部分的なデッサンや習作など、貴重な過程を観ることができた。絵の中で這うような姿でつっぱっているその腕の細さやごつごつとした太い関節、硬く握られた指先、ほつれて風になびく黒い髪、きりりと伸びた背中。それらがリアリティー以上の力で心に深く沁みた理由が、少し分かった気がした。中でも、拘泥ともとれる程たくさん描かれた指先の素描が印象的だった。しかし全体的には、人物が描きこまれた絵は意外なほど少なく、二人が暮らしていた建物や愛用の道具が押さえた色彩で丹念に描かれた絵が目立つ。そして、そのひとつひとつの確かな存在感に胸を打たれるのである。納屋の中の青い計量器が、ブルーベリーのいっぱいつまった桶が、二階の窓からのぞく布が、錆びた雨どいが、「さっきまでそこにいた人」の人となりやしぐさまでを生々しく感じさせる。精密で寡黙な絵の、圧倒的な美しさ。人も建物も道具も永遠に同じではいられない。けれども慈しんだ時間の想いは、一枚の絵として残された。私も、一行の言葉でそれを残したいと願っている。

(初出:「信濃毎日新聞」2000年12月7日付朝刊)



illustration:kumiko kobayashi