色を想う


 子供の頃、よく引越しをした。ピアノの後に何かが落ちても、また引越しする時にでも出てくるだろう、ぐらいに思っていた。二、三年おきに移り住んだ土地の記憶は断片的で、例えば福岡に住んでいたころの記憶は、塀からこぼれた茱萸の実や瓶から溢れる水だったり、広島では「遺族の家」という表札や裏庭にうち捨てられたライオンの塑像だったりする。計八回転居したが、多摩ニュータウンと八王子市が触れ合う南大沢という町に越してきて十年が過ぎた。偶然のように越してきたが、今のところ生涯の中で最も長く住んだ土地となってしまった。先月出版した『短歌はプロに訊け!』(本の雑誌社)の担当編集者のKさんが学生の頃南大沢の近所に住んでいたことを知り、二人でローカル話を咲かせた。Kさんは言った。
──あそこってよく店がつぶれますよね。今はどうなってるのですか?
 そうなのである。新しい住居が蟻塚のように次々と出来上ってゆく中で、たくさんの店舗や施設が現れては消えた。そごう、忠実屋、ダイエー、九州屋、コトブキ、テンプル大学……皆輝きを残したまま去って行った。理由はよく分からない。わたしはKさんに答える。
──今は二つのビルをくっつけてイトーヨーカ堂になってて、今度巨大なアウトレットモールができるらしくて工事中なんですよ。
 ナンデスカソレ、という、特に興味のなさそうな笑顔を、Kさんは浮かべた。
 南大沢駅から都立大学に向かう広大な空き地には、春になると菜の花とポピーが咲き乱れ、美しかった。それらは工事のために掘り返され、だだっ広くて風ばかり強かった駅前には、工事用の塀がはり巡らされている。ある時この金属塀に色がついた。波板数枚ごとに微妙な色が塗り分けられ、色が変るたびに白抜きの文字が目に止まる。なになに…「上柚木小学校の瓦屋根、可燃物、不燃物、三和の買物かご、ここの街灯、宝くじ、大平公園の池、せいび保育園のうんてい、キティちゃんのコップ、宗像先生のジャージ…」。ゴミ収集箱の「可燃物」の水色、「不燃物」のオレンジ。確かに。「宗像先生」は存じ上げないが、この青みがかったピンクのジャージをいつも穿いておられるのだろう。先生の人となりや笑顔、生徒との会話も浮かんでくるようだ。
 細部の色が喚起する物語。目に映る世界は輪郭を持つ色でできているとも言える。色は、記憶に直結し、懐かしさで胸がつまってくる。これらは多摩美術大学の情報デザイン科の人が中心になって、ここに住む人々に取材して集めた「色」だそうだ。感化されたのか、「硬派ホソノの赤」とか「天下茶屋の日々」とか「赤い彗星のシャア」等、個人的な思い入れを書きこんだ落書きもあった。このカラフルな塀は建物の完成後取り外されるのだろうが、言葉と色のハーモニーの小さな感動は記憶に残るだろう。過ぎ去る時の記憶は断片になる。新鮮な断片を書き留め続けたい。

(初出:読売新聞2000年5月13日付夕刊)

illustration:kumiko kobayashi